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●この酷暑・高湿度に多少なりとも身体が馴染んできて嬉しいかどうか~エロを感じるか否かの問題「和服姿の女性」。 [「言葉」による革命]

●この酷暑・高湿度に多少なりとも身体が馴染んできて嬉しいかどうか~エロを感じるか否かの問題「和服姿の女性」。

末尾ルコ「気候とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

9月1日、実に久々に、朝から冷房をつける必要がなかった。
別に気温が25度を下回っていたわけではなく、下回っていた時間帯もあったかもしれないが、だいたいが27度とか28度とか、それでも涼しく感じた。
湿度も50%とかではなく、だいたい70%とか80%とか。
それでも快適に感じた。
余程「酷暑」の時期が灼熱であり高湿度だったわけだ。
27度とか28度とかは、今までならかなり暑く感じていたはずだ。
しばらくその気候が続いたために、慣れはしないけれど、多少なりとも心身が適応してきたと考えられる。
それが嬉しいかと言えば、別に嬉しくはないけれど。
そう、決して「慣れた」わけではない。
温度30度以上、湿度90度以上だと、心身共に調子が出ない。
まず気力を削がれるし、少し身体を動かすだけでも大きな疲労を感じる。
今年の全米オープンテニス期間のニューヨークも灼熱で、特に前半は試合中に体調を崩す選手が続出、「死にたくない」との声も聞かれたという。
ただ、猛暑の中で、ただでさえ苛酷なテニスの試合をしている選手たちのコンディションは想像を絶するものがあるが、それでも湿度は50パーセント台とか、そんな数字が語られていた。
「50%台の湿度」なんていうのはこの夏の高知にとっては夢のような数字であり、ついネットでチェックする「温度・湿度」で特に深夜の90%台には怒りが爆発寸前になった。
天候に対して怒りを爆発させてもなあ・・・ということは分かっているのだが。

昨日私の女性に対する「好み」の一つとして、「タトゥ」はNGだということを書いたが、実は短い期間だったが小さなタトゥを入れていた女性とつき合ったことはある。
その小さなタトゥは、付き合う前は気づかない場所にあったので、(う~ん、この人タトゥしているのか・・・)と、「付き合うか否か」をその観点から検討する余地はなかったのだが、そうですね、ワンポイントの小さなシール程度のタトゥならば許容範囲かな。
何度も言うように、これは単なる「わたしの好み」を述べているだけであって、「タトゥと社会性」の問題とはまったく関係しないのだけれど、ついでにもう一つ「好み」を書かせていただければ、わたしは「和服姿の女性」は、「素敵」だとは思うけれど、エロティックな気分にはならないのである。
もちろん、周囲に和服姿の女性なんてほとんど見かけないから実際にいたらまた話は別となるかもしれないが、やはり「洋服のライン」が好きなのですな。


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いっぷく

私もやっとここ数日は、夜エアコンをつけずに過ごしています。寒いよりは暑いほうがいいのですが、さすがに猛暑は厳しいので、今ぐらいで「暑いなあ」と言っているぐらいがいいですね。
しかしそうしてみると、1970年7月30日に大阪府立体育館で行われたジャイアント馬場対ドリー・ファンク・ジュニアのインターナショナル選手権試合は壮絶だったでしょうね。カラー放送のライトと蒸し風呂のような会場の熱気で、ジャイアント馬場が脱水状態になったため早めにカウントして両者リングアウトにした、それが馬場の全盛期からの陥落だったと位置づける人は多いのですが、ドリーだって「あの試合はいちばん厳しかった」と言ってますし、誰であっても大変だったと思いますけどね。

>「和服姿の女性」は、「素敵」だとは思うけれど、エロティックな気分にはならないのである。

和服は日本人ののっぺりした体型を包み隠すのに都合がいい、と聞いたことありますが、全部隠れてうなじだけチラッと見えても、それだけではなかなか妄想は働きません。
現代人の体型が少し変わってきたこともあるのか、今は和服はあまり見かけなくなったので、特別な服装になってしまったこともあり、なおさらそうですね。脱ぐ(脱がせる)のが大変ですし、また着るのが一苦労ですし。

ATGは、低予算で作って低コストで上映するというシステムで成り立っていたので、今のような上映館がシネコンの都市集中型ですと難しいでしょうね。私が『津軽じょんがら節』を最初に見た時は、高校の映画研究部の鑑賞指定作品で、部員たちでぞろぞろと小さな映画館に行って見てきました。順番は忘れてしまいましたが、原田芳雄や竹下景子が出た『祭りの準備』もATGで、やはり部の指定で同じ映画館に行った記憶があります。その後、3年生が引退して、私は2年の新部長と関係が悪くなり部を辞めてしまったのでわからないのですが、わりとATGを見るのが好きな部だったですね。
前の部長は、映画を見たら必ずノートに作品について思ったことを書け。そうしないと力がつかない言っていました。野球部のような「レビュー甲子園」があるわけでもなく、サークルのような部活ごときで「何の力だよ」と言って部員たちで笑ってましたが、今にして思うと、漠然とストーリーを眺めるだけでなく、見たことをきちんと文章として完結しておくことは、その作品の見方を深めるだけでなく、他の作品とを線で結ぶためにも必要なことだなと思います。

>当時の全日は、手持ちのレスラーをなかなか有効に使えなかった感がありますね。

やはりここが、ジャイアント馬場が「新間寿」に恵まれなかった憾みで、馬場は自分がレスラー馬場を演じることはできても、佐藤昭雄の言うように、ブッカー・プロモーターとしては才覚はなかったのだと思います。
アメリカでも下積みがなかったので、どうすれば上に行けるか、ブッカー・プロモーターが何を考えているかを研究する必要がなかったからだろうと佐藤は言っていますが、マシオ駒が亡くなって人材がいなくなってしまったことも不幸でしたね。
もっとも馬場は、クツワダ、原軍治、米沢良蔵など、側近を次々斬ってそれっきりですが、猪木はトルコにしろ新間にしろ、あっさり和解しますから、そのへんの柔軟さの違いもありますけど、でも私もどちらかといった馬場のタイプかなと思います。
by いっぷく (2018-09-04 01:12) 

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