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「アナザースカイ」の菊池凛子と今田耕司 3 [末尾ルコ(アルベール) 美学 生と死のあいだ]

今田耕司が菊地凛子に示した「怖れ」というのは、世界的女優に対する「気遅れ」と「リスペクト」によるものだろう。
辟易させられるほどの「狎れ合い」が支配する日本のバラエティ番組の中で、こうした態度というのは最近あまり見られるものではなかった。
バラエティタレントたちは、自分たち同士が狎れ合うのはもちろん、できれば「外部の人間だち」も自分らの世界までひきずり落したいと考えていることが多い。(全てのバラエティタレントではないが)
以前沢尻エリカが中山秀征の番組に出たとき「これでエリカちゃんも~ファミリー」などと言われて、「ファミリーなんだ」と辟易した表情で答えたという話が何かの雑誌に書かれてあった。
その態度に、沢尻エリカが帰った後(笑)、中山秀征らが激昂したというのだが、いきなり何の価値観も共有できない者に「ファミリーだ」などと言われたらどうか。
確かに「ファミリー的」な集団はどんな分野にもできるものだが、「狎れ合い」のファミリー、しかも「誰でも引きずり込もう」という「ファミリー」など百害あって一利なしだ。

基本的に人間は「孤独」であるという認識がないと。
「孤独」の中から、本当の人間同士のふれ合いが生まれてくるのだと思う。

とまあ、いつも通り話は横道にそれてきたわけだが、
要するにこの番組の今田耕司の態度は、先だっての吉高由里子出演「はねるのトびら」の西野などよりはずっと好ましかったわけだ。

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She's a Rainbow

沢尻エリカの辟易した表情での「ファミリーなんだ」という発言はちょっと愉快ですね。
話を振った中山秀征もそれで「ピン!」と来てくれたらまだ救いがありしたが、激昂するところにこの人(達)の限界を感じます。
日本人の多くは、大前提として「皆わかりあっている」という認識があるためか、これをくつがえす人に対しては(たいがい陰に隠れて)「激昂する」だの「空気が読めないと言う」だの「変わってると言う」だのと、それまでの友好ムードからとたんに手のひらを反しますね。
島国で基本的に他者と接することがなかった為、皆と同じ空気を共有して波風立てずに生きることが賢い生き方…、そんな思考が遺伝子のレベルにまで浸透しているのでしょうか。
先日の西野亮廣の「どつき」も、十分その場の空気を味方につけた(視聴者もある程度味方につけた)上での「つっこみ」の延長線であって、もし吉高由里子があからさまに不服そうな態度をとっても、「冗談が通じない人」だの「空気が読めない人」だのと叩かれるのは吉高由里子の方だ、という計算があった様に思います。

ところで、表現の世界において「この日本人の特性」が良い意味で生かされる例はあるのでしょうか?「能」や「狂言」といった伝統芸能の世界でしょうか?テレビ界では「狎れ合い」というマイナス面ばかりが目立っていますが…。
本題と少しずれてしまいすいません。
by She's a Rainbow (2009-11-11 22:12) 

末尾ルコ(アルベール)

She's a Rainbow様

> 表現の世界において「この日本人の特性」が良い意味で生かされる例はあるのでしょうか?

う~ん・・。これは難しいですね。何かあるかなあ・・。
「刺激し合う仲間」というのと「狎れ合いのファミリー」は全く違いますよね。
映画の世界で「~組」というのは普通スタッフ間で刺激しあって、できるだけいいものを造ろうとする集団ですよね。
「刺激し合う仲間」であれば、互いに敢えて波風立てることもよくあるのだと思います。
まあ、じっくり探せば何か見つかるかもしれませんが、今のところちょっと「狎れ合いファミリー」な雰囲気が創作にいい影響を与えるとは思えないですね。
それにしてもゲストに来ただけの沢尻エリカに対して「ファミリー」などと言うセンス。「大丈夫だろう」と勝手に判断したら、ゲストに対しても「どつき」を入れる西野亮廣。
まあなんともレベルが低くて・・。

                             ルコ
by 末尾ルコ(アルベール) (2009-11-11 23:22) 

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