SSブログ

〈「言葉」による革命〉・・・「僕のいた時間」第2話、三浦春馬の裸体と「必然性」。2014年1月27日 [「言葉」による革命]

●ドラマ「僕のいた時間」第2話で三浦春馬の「きわどい裸体(笑)シャワーシーン」がありましいたね。
かつては映画などで女優が「ヌードになる・ならない」の基準として、「必然性がある・ない」という一種の「基準」がありました。
「必然性がある・ない」という言い方、ご存意でした?
まともな映画、映画監督であれば、無意味に「脱げ」とか言わないはずですが、なにせ日本の場合は社会的意識過剰がありますから、「下手に脱いで軽い女優あるいはポルノ女優まがい」と思われたくないとか、そんな感覚もあっただろうし、いまだ国全体が「ムラ社会」ですから、「脱いだりしたら家族や親戚、友人、知人に何を言われるカ分からない」なんていう意識もあるでしょう。
で、「僕のいた時間」の三浦春馬はどうでしょう。
ま、単なる「話題作り」でしょうね。
特にあそこで裸体のシャワーシーンを入れる意味はない。

nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0