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末尾ルコ傑作詩「こじんまりじゃない俺、マチアス・エイマン、イザベル・ゲラン」篇。『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その29。末尾ルコ「芸術文化に対する実践」~「美術手帖」美術出版社の民事再生法の件のようにならないための方法とは? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ傑作詩「こじんまりじゃない俺、マチアス・エイマン、イザベル・ゲラン」篇。

ひたすらやるのさ
この俺は
それにしても今日の俺はこの席で
こじんまりと
見えるかい?
そう見えるとしたら、
それはあなたの錯覚さ。
俺の心は溢れんばかり、
漲り炸裂
しているぜ。

マチアス・エイマン
アントルシャ
空を切り裂く
アントルシャ
ああ、アントルシャ
アントルシャ

マチアス・エイマン
アントルシャ
空を切り裂く
アントルシャ
ああ、アントルシャ
アントルシャ

イザベル・ゲランも
やって来る。

●『驚異のはちきん小説!「はちきん」と呼ばれる女』その29。

・・・・・・
人生の中で人には「忘れられない日」が存在する。
当人にとって「よき日」であれ「悪しき日」であれ、どんな人にも「忘れられない日」がある。
「この日」について、はちきんはどれだけ覚えているだろう?丘メヒー子は?田川猿蔵は?
ともあれ、人生の大半を公立中学教師生活に捧げてきた山の中椅子子にとって「忘れたくても忘れられない日」になったことは、賢明な読者諸氏であればご理解いただけるだろう。
では「そのシーン」を振り返ってみよう。

その時だった!
丘メヒー子がポツリと、しかしパパイヤ組教室内隅々まで行き渡るには十分な声量でこう言ったのだ。

「おばちゃん、なんでタコみたいなが?」

(え?)

この瞬間の山の中椅子子の心情を、ぜひご想像いただきたい。

●末尾ルコ「芸術文化に対する実践」~「美術手帖」美術出版社の民事再生法の件のようにならないための方法とは?

♪マーカス・ミラーのベースを聴くことなく生涯を過ごすわけにはいくまい!

「美術手帖」の美術出版社が民事再生法の適応を申請した事実は紙媒体出版の困難さという点以上に、編集方針、そして書き手の方々に「育てる」という意思・意欲がどれだけあるのか、あったのか。
これは「美術手帖」についてだけ言えるのでは、もちろんありません。
映画批評、音楽批評などにも同様のことが言える。
美術ファンを、映画ファンを、音楽ファンを育てる意思・意欲がどれだけあるのか、あったのか。
現に育ってませんよね、これらのファンが。
「美術手帖」などのあまりにスノッブ臭が濃過ぎる文章は論外としても、とてもおもしろく書かれている批評文も今の一般日本人には難しくなっている事実をしっかり把握したうえで、「では今後どのようにファンを育てていくべきか」をしっかり考え、実践していかなければ、早晩「本物の文化芸術」は日本から姿を消してしまいます。

末尾ルコ〈「言葉」による革命〉が考えているポイントを一つ挙げれば、

「批評は批評として存続せねばならないが、それ以外の方法を強化すべきである」

です。

♪マーカス・ミラーのベースを聴くことなく生涯を過ごすわけにはいくまい!

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

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