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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「音楽であなたの人生をより強く美しくする」講座~2016年グラミー賞でデヴィッド・ボウイをトリビュートしたレデイー・ガガはオーラを失ったのか?2016年12月24日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「音楽であなたの人生をより強く美しくする」講座~2016年グラミー賞でデヴィッド・ボウイをトリビュートしたレデイー・ガガはオーラを失ったのか?

2016年グラミー賞を観ていて、今のケンドリック・ラマーをヴィヴィッドに鑑賞できたとか、素晴らしい部分はあったのだけど、レディ・ガガがデヴィッド・ボウイを追悼するパフォーマンスをやっていて、正直なところちょっとキツくなってるなあと。
スターとしてのオーラがどうにも無いんです。
レディー・ガガはもともと顔立ちもプロポーションもさほど目立つ方ではなく、顔はわたしは美術史的には「いい顔」「鑑賞し甲斐」のある顔をしていると思っているけれど(ほら、クラナーハらの絵画を思い出してください)、それが一般ウケしているわけではないであろう。
かつて、「ボーン・ディス・ウェイ」を発表した前後は、その衣装、言動も含めて「世界を制した」と評しても違和感のない存在となっていたけれど、当時から「音楽的ポテンシャルの限界」はよく指摘されていた。
もちろんレディー・ガガ自身だけを見れば、優秀な歌い手でありパフォーマーであるのだけれど、なにぜ米国は次から次へと「極めて優秀なミュージシャンが登場するから。
特にテイラー・スウィフトの爆発的な人気拡大は、なにせ持って生まれた容姿、あんなプロポーションでしかも作り手としても歌い手としても図抜けた才能を持ち、さらにネットを駆使してファンに「近い存在である」と意識させる方法といい、レディー・ガガのやっていたことに「小細工感」をもたせたことは必至でしょう。
テイラー・スウィフトが「洋楽離れ」の日本でさえ若い女性を中心に大人気なのは皆様もよくご存知でしょうが、スウィフトの場合、

「音楽的評価もすこぶる高い」

ことを忘れてはいけません。

ただレデイー・ガガ。
感動的な日本でのステージは忘れられない。
そして米国は、ハリウッドスターでもミュージシャンでも、「もう過去の人」だと思われていて、突如大復活を遂げることもよくある。
映画「バードマン」のマイケル・キートンが最近で一番の例ですが、レデイー・ガガの動向、今回オーラの無い姿を観てしまっただけに、今後より注目したいのです。

今こそ注目しましょう、

レデイー・ガガに!

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