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末尾ルコ詩D「猫、灯り」篇。末尾ルコ ジョニー・デップやアーノルド・シュワルツェネッガーの生き方と、「映画とドラマのあまりの違い」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、灯り」篇。

「猫、灯り」

高知市薊野にある


カスパール・ハウザーって
ハーメルンの笛吹きが
連れて行ったんだってね
誰がそんなことを
フォイエルバッハ先生
ではないよ
でもカスパール・ハウザーは
連れ去られていない
そこに死体があったはずだ
それでもカスパール・ハウザーは
連れて行かれた
ひょっとしたら
ハーメルンの笛吹きに

高知市薊野にある


・・・・・・

ぼくの素敵なネコは
いつでも
灯りを纏っている。

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ ジョニー・デップやアーノルド・シュワルツェネッガーの生き方と、「映画とドラマのあまりの違い」。

・ジョニー・デップに関して、わたしは「お粗末なり」と断じたが、つまり「俳優としての生き方」がジャック・スパロー役で大当たりして以来、「かなり美しくない」あるいは「醜い」とずっと感じていたのである。
この感覚、わたしはとても大切にしている。
ジョニー・デップとは違う意味で「醜いなあ」と感じていたのがアーノルド・シュワルツェネッガー。
わたしはかつてシュワルツェネッガーの大ファンだっただけに、不倫→離婚→映画界復帰という流れがどうにもカッコ悪く見たものだ。
カリフォルニア州知事になったタイミングはなかなかよかっただけに、その後がいただけなかった。
で、復帰後のシュワルツェネッガー主演作は観てなかったのだが、たまたま『ターミネーター 新起動/ジェニシス』を観たら、案外おもしろかった。
「リブート」されたストーリーには最早一切興味なかったが、アクションシーンがおもしろかった。
近年のアクション大作、『アベンジャーズ』シリーズや『ワイルド・スピード』シリーズと違って、各シーンがすっきりとしている。
「芯」をしっかりと中心として展開するので、感情を乗せやすい。
画面の隅々までいろんな映像がごちゃごちゃ花盛りというサービス過剰のアクションシーンは観ていてげんなりしてくるのだ。

ところで『ターミネーター 新起動/ジェニシス』でサラ・コナーを演じたエミリア・クラークだが、テレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』のデナーリス・ターガリエン役でけっこう知られているようだが、わたしは現在ほとんどテレビドラマを観ていないので、『ゲーム・オブ・スローンズ』も一度も観たことがない。
日本では映画とテレビドラマの位置づけが、分かる人には分かっているけれど、一般には極めて曖昧だ。
はっきり言って、ここが日本の「とてもダメなところ」なのだが、米国でもフランスでも、あるいは他の多くの国でも、いかに近年テレビドラマの質が上がって来たとはいえ、

映画があらゆる意味でテレビドラマより格上

である。
この件にについては繰り返しお話していかなければならないけれど、「表現の声質」から考えても、「その国の文化レベル」を考えても、

「映画があらゆる意味でテレビドラマより格上」でなければならないのである。

でも、今回はここまでにしておきましょう。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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