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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ノーベル賞とは何だ?ボブ・ディランとハルキストの関係とは?」2017年8月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ノーベル賞とは何だ?ボブ・ディランとハルキストの関係とは?」

末尾ルコ「文学で知性と感性を鍛えるレッスン」

「ノーベル賞の価値」。

わたしは実はさほどそれに興味は無くて、それにしても毎年各分野で何人か選定するという方法は、しかも「受賞者のみ発表」というスタイルは何かこう横着な感じがするがいかがなものか。
毎年「受賞者だけ発表」。
例えば米アカデミー賞であれば、各部門(原則)何人かをノミネートし、授賞式の日にその中から受賞者を発表する。
そのスリルはある種残酷な見世物になっているけれど、「ノミネートされた」というだけで普通は大変な世界的栄誉となり、仕事も急激に増える。
賞の性質上、同じようなわけにはいかないのは分かるが、どうもノーベル賞はいろいろと不透明な部分が多いのだ。
そして「受賞者」に対するマスメディアの騒ぎぶりもいつもいつも気色悪い。
「五輪金メダル」と同様、「ノーベル賞」ということになれば、ほとんど盲目的に「日本人、やりました~~!」と大騒ぎになる。
その分野に興味を持っている人たちが悦ぶのは分かるけれど、もともと一切興味を持ってない人たちまで、「ノーベル賞、すげえ!!!」となる。
「五輪メダル」で、レスリング、卓球、バドミントンなど、本当はぜんぜん興味のない人たちまでが、その時だけ「五輪メダル、最高!!」と騒ぐ。
どうにもこうした姿が、

「五輪」
「ノーベル賞」
そして
「マスメディアの操作」

などに無条件に平伏している姿に見えて仕方ないのだ。
そして「集まって発表の瞬間をカウントダウンするハルキスト」・・・これが文学ファンなのか、と誰しも思うわなあ。

ボブ・ディランとがノーベル文学賞を受賞した時、AFP=時事の報道によれば、フランスの小説家、ピエール・アスリーヌは、

「ディラン氏の名はここ数年頻繁に取り沙汰されてはいたが、私たちは冗談だと思っていた」

「今回の決定は、作家を侮辱するようなものだ。私もディランは好きだ。だが(文学)作品はどこにある? スウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)は自分たちに恥をかかせたと思う」

と語ったという。

スコットランド小説家、アービン・ウェルシュらも辛辣なコメントを表明しており、しかし日本の報道はお決まりの「通行人インタヴュー」など馬鹿なものばかりで、しかも流される曲はほとんど「風に吹かれて」。
現在も極めてクオリティの高い作品を出し続けているボブ・ディランなのに。

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えくりぷす

当の村上春樹氏は、ノーベル賞騒ぎを「迷惑」と言っていたように記憶しています。
by えくりぷす (2017-08-25 14:16) 

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