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末尾ルコ詩D「猫、スタイル」篇。末尾ルコ「ガリポリの戦いを実感させてくれる、ラッセル・クロウ『ディバイナー 戦禍に光を求めて』、あるいは美しいオルガ・キュリレンコ」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

●末尾ルコ詩D「猫、スタイル」篇。

「猫、スタイル」

カレーをパクリ
カレーをパクリ
しかもオーソドックススタイル
つまりは
ジャガイモと
人参と
玉葱と
肉で
これがオーソドックススタイル?
と問うのは
インド人?
それとも
ミリアム・シャト・シャルマンの
スタイル?

・・・・・・

ぼくの一番好きなスタイルは、
ぼくの素敵なネコ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「ガリポリの戦いを実感させてくれる、ラッセル・クロウ『ディバイナー 戦禍に光を求めて』、あるいは美しいオルガ・キュリレンコ」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

第一次世界大戦というのは恐るべき戦争で、第二次世界大戦ももちろん「地獄」だったのだが、「地獄の始まり」という意味では第一次世界大戦のとりわけ欧州戦線の意味は極めて重い。
ただそれは欧州だけの話でもなく、欧州とアジアの間に複雑な存在として君臨するトルコにしても第一次世界大戦はとてつもない戦争だった。

ラッセル・クロウが初監督を果たした『ディバイナー 戦禍に光を求めて』の主な舞台は第一次世界大戦中のトルコであり、ガリポリの戦いが題材とされている。
それがどれだけ忠実に再現されているかはそれぞれの映画により議論となるだろうが、とは言え映画ほど「戦争を描写する」に相応しい芸術表現はないだろう。
そもそも「完璧に忠実な現実の再現」はどのような芸術にも不可能なのであり、しかも「同じ現実」を見たところでそれぞれの人の心には「違う現実」が見えているのは間違いないのである。

※すべての人は「違う現実」を見ている。

それでもよくできた映画作品が特に歴史的事実を(ひょっとしたらこんなだったのかも)と実感させてくれることは間違いなく、その度合いは他の芸術表現より一般的にずっと上だ。

『ディバイナー 戦禍に光を求めて』もそんな感覚を持たせてくれる一本であり、「初監督」のラッセル・クロウがよく撮ったと感心した。
『親指の標本』を観た時から贔屓女優の一人であるオルガ・キュリレンコも美しいし。

[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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