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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ジャン・ルノワール『ピクニック』のキスシーンが何故に圧倒的に官能的・エロティックであるのか?」。2017年11月20日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ジャン・ルノワール『ピクニック』のキスシーンが何故に圧倒的に官能的・エロティックであるのか?」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

「キス」に関してはそれぞれの国民性によって捉え方は千差万別だろう。
さらに言えば、個人個人で捉え方が異なっているものだ。
世代間の違いも当然ある。
街の中で濃厚なキスを交わす姿が普通に見られることで知られるフランス(特にパリ)も、そうしたキスが一般化したのはさほど昔ではないという説もある。
官能的、エロティックな表現についてはコードがうるさいハリウッド映画界だから、「キスシーン」に関しても多くが無難な表現になってしまうのは今のところ仕方ない話でもある。

ジャン・ルノワール監督は印象派のピエール=オーギュスト・ルノワールの息子であり、しかし今の日本ではなかなか鑑賞できないア作品も多く、ただよく考えたら、ネットで鑑賞可能になっているのもけっこうあるのではないか、よし探してみよう。
などと思い付きはしたが、PCで映画一本観るというのはどうも抵抗があり、テレビにつなげてせめてテレビ画面の大きさで、とも思うのだが、まだ試みたことはない。
という個人的な感想などはさて置いて、ジャン・ルノワールの『ピクニック』がとてもとても素晴らしいのだ。
時間にして50分足らず。
テンポよく、正にアッという間に過ぎていく充実した時間だ。

田舎にピクニックにやってきた一家の中に美しく若い娘がおり、土地の若い男たち二人がその娘に目を付ける。
結局娘は二人のうちの一人と束の間の情事をしてしまうのだけれど、

そのシーンの官能性が素晴らしい!

女優はまったく脱がない。
露出もほとんどないロングドレスだ。
もちろんセックスシーンまで至らない。
川辺の草むらで、男が少しずつ、しかしかなり強引に娘に迫り、初めから「拒絶」の意を表してない娘が心身を預け始める。

この「課程」こそ、エロティシズムの一つの極致なのである。

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