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末尾ルコ詩D「猫、忍耐」篇。末尾ルコ「演劇畑の人たちには容易に理解できない〈高倉健的〉とはどのようなものか?」 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、忍耐」篇。

「猫、忍耐」

あの太い木は何だろう
暗闇の中、
そうか
巨大な台風の幾多をも
耐え抜いてきたのだね

・・・・・・

ぼくの素敵なネコのためなら
どんな忍耐でも大丈夫なのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「演劇畑の人たちには容易に理解できない〈高倉健的〉とはどのようなものか?」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

では、「高倉健的」とはどのようなものか?
実は佐藤浩市はが『起終点駅 ターミナル』で、そして永瀬正敏が『あん』で見せてくれた「高倉健的」とは、あくまで東映退社以降の高倉健のイメージであって、佐藤浩市も永瀬正敏も、東映時代の毒々しいまでのカリスマを纏っていた高倉健とはまったく違っている。
しかしそれはそれでまた別の話。
東映退社以降の高倉健が、多くの日本人の心に残っているのは事実であり、わたしは「どちらか」と問われれば、東映時代の高倉健の方が好きだけれど、もちろん退社以降の「健さん」もリスペクとしている。

東映退社以降の高倉健は簡単に言えば、

「演技臭い演技をせずに演技する」

という境地であり、この辺りの凄さが一部演劇畑の人間には理解できない部分となっている。


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


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