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●「オープン選手権 ダスティ・ローデス VS ヒロ・マツダ」動画視聴しながら、ヒロ・マツダのスタイルと田鶴浜弘に関する思考を巡らせる。 [「言葉」による革命]

●「オープン選手権 ダスティ・ローデス VS ヒロ・マツダ」動画視聴しながら、ヒロ・マツダのスタイルと田鶴浜弘に関する思考を巡らせる。

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

しかし全日本プロレス、1975年の「オープン選手権」、確かに豪華カードが連発されておりますな。
これが80年代後半くらいからだと、「日本のファン受けする外国人レスラー中心」という尺度がはっきりとできてしまったので、試合のレベル一定以上保たれていても、「何が起こるか分からない」という「未知のものにワクワクする感覚」は薄らいだわけですね。
で、

「オープン選手権 ダスティ・ローデス VS ヒロ・マツダ」

を最近観たわけですが、ヒロ・マツダの「黒のショートトランクス+裸足」というリングスタイルはこのご時世、逆に目を引きます。
ある意味「田吾作スタイル」よりもヘンである。
しかしプロレス史的に言えば、あの大スター アントニオ・ロッカが同様のスタイルだったじゃないか!
ヒロ・マツダ、リング上でその肉体を覆っているのは黒いショートトランクスだけ。
これは余程の自信がなければ不可能なスタイルなのではないか。
などと脳裏に走馬灯のようにプロレスコスチューム論が駆け巡りつつ、試合はダスティ・ローデスの巨体をヒロ・マツダが持て余し気味で進んでいるが、ここでわたしは重大な事実に気付いた。
解説が、

田鶴浜弘

先生ではないか!
U~MU,わたしが子ども時代、田鶴浜弘の解説は、「おじいちゃんぽい」との印象だったが、今聞いたら声もけっこう若いぞ!
田鶴浜先生、ごめんなさい!

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いっぷく

田鶴浜さんの解説は、正直内容はあまり期待されているとは言えず、当時どうして起用されていたのかわからなかったですね。1シリーズに1度は出てきましたね。
力道山以来の日本プロレス界の、保守本流が全日本プロレス、ということを示すために、こういう古い人をおさえておいたのかもしれません。でも長州たちが来て「全日本プロレス中継」が夜中からゴールデンタイムに戻った時に切られましたね。同じ頃、馬場も引退勧告されていたらしいですが、つまり、馬場も田鶴浜さんも、日テレから見ると同じ「遺物」扱いだったんですね。

馬場とマツダは、アメリカのトップレスラーとして日米で実績を作ったという点で共通していますが、馬場が、テーズ、ブラッシー、デストロイヤー、サンマルチノ、ロジャースなど、各地であらゆるタイプとドル箱試合を作ってきたのに対して、マツダは、フロリダ州タンパのエディ・グラハム&サムスティムボート、そしてダニー・ホッジが対戦相手のときだけ、という限定版の名試合製造人で、日本に凱旋したときも、当初はこのメンバーでやってきました。
力道山と合わずに日本を飛び出し、ツテのない外国で自分を売り出すために、特定の相手でいいからドル箱試合を作ろうと頑張ったのかもしれませんが、それ以外の試合が物語を作れなかったのが、日本でエースになれなかった理由でしょうね。ほんとはセメントも強いらしいし、もっと日本で試合をたくさんしてほしかったですね。

>「そりゃあブラジルやろう」と迷わず答えが返ってきたものです。
馬場はブルーザーに負けたことはありませんが、ブラジルには負けましたしね。
電話帳を引きちぎると言っても、まさか人間の体は引きちぎれないと思いますが、頭突きは破壊力がわかりやすかったですし、褐色で筋肉隆々のカラダでじろりと睨まれたら私はその場で腰を抜かしてしまいますね。
by いっぷく (2017-03-29 02:24) 

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