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●1972年は特撮ドラマ花盛りか?『アイアンキング』の石橋正次の「夜明けの停車場」も、おれは歌った。 [「言葉」による革命]

●1972年は特撮ドラマ花盛りか?『アイアンキング』の石橋正次の「夜明けの停車場」も、おれは歌った。

末尾ルコ「昭和文化史とテニスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

※テニスワンポイント講座・・・2017年全仏オープンテニス男子準々決勝で、錦織圭は惜しくもアンディ・マレーに敗れてしまいました。
「錦織、グランドスラム優勝できないんじゃないか~」という声もこのところ多く出ていて、若手の台頭も急激な現在、非常に厳しいポジションになってきつつあることは事実ですが、しかしそもそも「世界テニスランキング上位でプレイしていること自体」が夢のような話なわけで、錦織圭を語る時は、すべてその前提で、最大限の敬意を持って語るべきなのです。
ゆめゆめ「マイナー競技のメダリスト」などと比較するようなことはないように。
これは「ものの見方」という文脈においてもとても大切なことなので、今後も繰り返しお話していきます。

さて、1972年に「男女合体」のコンセプトを持った『ウルトラマンA』が、子ども心にエロティシズムを薫らせながら放送されたというお話はしたけれど、この年はわたしもけっこう特撮ドラマ観ていた事実が判明した。
1972年に放送された、『ウルトラマンA』、『超人バロム・1』、『変身忍者嵐』、『人造人間キカイダー』、『アイアンキング』・・・これらすべて観てましたなあ。
う~ん、これで勉強になるわけがない。
それはさて置き、注目したいのが『アイアンキング』で、細かな設定などはさほど記憶にないけれど、

石橋正次!

ひょっとしたら、わたしが「人生で最初にファンになった男優」かもしれない。

『アイアンキング』にはかつて吉永小百合の相手役青春スタートして名を馳せた浜田光夫も出ていたけれど、当時はまだ吉永小百合作品など観ておらず、男臭くてカッコいい石橋正次と比べたら、「ただのおじさん」にしか見えなかった。
そして当時、石橋正次は歌手としても活動していて、

「夜明けの停車場」

はい。今でも歌えるわけなんだな。

もちろん石橋正次が、俳優の世界全体から見れば、まったく一線級ではなかったことなど、頑是ない子どもだったわたしは知る由もなかった。

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いっぷく

アイアンキングの頃の石橋正次は売れっ子でしたが、もう少し背があればといわれましたね。
はまり役は、ちょっとひねくれた寂しがり屋。相手は善意なのに心を覗かれるようなことを言われると激怒する。新国劇出身で芝居は出来るはずなのに、全盛時でも森田健作の引き立て役、陽の森田、陰の石橋って感じでした。それはそのまま、役者としては後輩の中村雅俊との関係でも引き継がれ、私生活では水前寺清子とも結ばれず、30歳過ぎたらレギュラーの仕事もなくなってしまいました。
しかし、新国劇時代の仲間だった仮面ライダー2号の佐々木剛が家事で一文無しになり家庭もなくし、さらに火傷の手術で俳優としての資本である顔にも自信をなくし、屋台の焼き芋屋で糊口をしのいでいる時、また芝居をやろうと声をかけて、佐々木剛30年目のカムバックに貢献したのはよかったですね。しかも、佐々木剛が話すだけで、石橋正次はノーコメントで自分の手柄を自慢しない。私もこの話を聞き、自分もあと24年以内にまたチャンスを掴めばいいという気持ちになれます。もっとも、私の24年後は寿命もあるかどうかわからないのですが(汗)
当時は、私は「鉄橋をわたると涙がはじまる」も歌ってました。考えてみると「陰の石橋」らしい歌ばかりですね。石橋正次は紅白にも出ていますが、森田健作は出ていないんですよね。たぶん、石橋正次はNHKのテレビ小説に出ていたから出られただけかもしれませんが、でもとにかくこの点は森田健作ができなかったことを成し遂げたわけで良かったです。
私は石橋正次の作品で好きなのは「おこれ男だ」という雨傘番組です。知り合った婆さん(たしか三益愛子)の息子が兵隊に行って帰ってこないというので、頭を丸めて兵隊の格好をして婆さんを喜ばせてやったり、旅の途中で妊婦と知り合って好きになったけれど、結局別れることにして、船の上で橋の上にいる女性に向かって手旗信号で「好きだよ」と気持ちを伝えたりする、なんかちょっと泣けてくるシャイな役どころでした。
by いっぷく (2017-06-12 01:18) 

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