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●『西郷どん』とは次元の違う子役演技、『彼らが本気で編むときは、』の柿原りんか。 [「言葉」による革命]

●『西郷どん』とは次元の違う子役演技、『彼らが本気で編むときは、』の柿原りんか。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

NHK大河『西郷どん』を観ているけれど、大河ドラマの1回目はだいたい主人公の幼少期が描かれるもので、しかも子役のここぞとばかりの「熱演」に辟易させられるものだ。
『西郷どん』もその例から漏れることはなく、子ども時代の西郷隆盛役の子どもが鼻水も噴出さんばかりの絶叫演技で困ったものだなあとまたぞろ呆れ返った仕儀である。
わたしは子役のワザトラ演技が原則大嫌いで、(ああ、始まったなあ)と思ったら、もう身の置き所がなくなるし、録画しているものであれば、必ず「忍法 早送りの術」を駆使することにしている。
「なぜ子役の熱演が嫌いか」という点についてさほど説明する必要はないと思うが、最もシンプルに言えば、「不自然過ぎる」からであり、(さあ、これから熱演を始めますよ)と子役たちの顔に書いているように見えるからである。
旧い日本映画の子役の多くは「台詞棒読み」で済ましているケースが多いが、こちらの方がずっといい。
もちろん「ワザトラ熱演」でもなければ、「台詞棒読み」でもない、非常に自然でしかも切実感も高い子役の使い方というものも存在し、例えばフランソワ・トリュフォー監督の映画はその最上の例だと言えるだろう。
最近観た日本映画では、荻上直子監督の『彼らが本気で編むときは、』の子役が素晴らしかった。
『彼らが本気で編むときは、』は生田斗真演じるトランスジェンダーの男性が主人公で、そのパートナー(桐谷健太)の姉の娘がネグレクト(育児放棄)されていて、一緒に暮らしている内に相互理解や愛情が芽生えてくるという展開となる。
母親にネグレクトされている娘を演じるのが「柿原りんか」という子役なのだが、後から知ったのだけれど、『西郷どん』の第2話にも「ふき」という主要な役で出ている。
この「ふき」役については可もなし不可もなしというところで、第1話の西郷隆盛子ども時代の子役のように大熱演させなかっただけでもましといったところだが、『彼らが本気で編むときは、』の柿原りんかは実に秀逸な演技で、これはひとえに荻上直子監督の演出手腕に尽きるけれど、作品中、柿原りんかが二度感情を爆発させるシーンがあるのだが、わたしとしては近年の日本映画鑑賞中としては非常に珍しく、「目頭が熱くなった」。
つまり、「グッとこみ上げた」わけだが、そのシーンで柿原りんかの顔はアップにならないし、もちろん大声や、まして号泣もない。
そこへ至る過程にも、大袈裟な表現は一切ないのだが、鑑賞者は理解できるのだ、

社会の片隅に追いやられている人々の、つもりに積もった怒り

というものを。

こう書いては何だが、『西郷どん』などとは次元の違う、品格ある演出だ。

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いっぷく

大河ドラマですか。コント55号の「裏番組をぶっとばせ」以来、我が家では見ていないですが、例外的に1995年でしたか、ジェームス三木が脚本で西田敏行主演、江守徹がナレーションを担当した八代将軍吉宗はよくできていたので見ていました。でも翌年、竹中直人がそれこそ過剰な演技をしていたので、すぐ別の局に戻ってしまいました。竹中のふんどしからモノが見えるとか見えないとか話題になったときです。
竹中直人は、多摩美大生のとき、ドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」が同校をロケ地にしていたので、「僕も将来俳優になりたい」とロケバスにわざわざ挨拶に来て、撮影後の飲み会にもさりげなく参加していたそうですが、引っ込み思案の私には印象深いエピソードでしたけどね。そのくらいの度胸がないと成功しないのかとか。でも成功できなくても、きっとそれは老後の一つ話として面白い体験だっただろうなとか。中村雅俊らも、日芸ならともかく、美大生が何だろうと思ったでしょうね。そういう意外性が、名前を覚えてもらえるきっかけになるんだろうなとか。

子役は人生経験もほとんどなく、演じるとはどういうことかと哲学的なテーマをいつも頭において演技しているわけでもないので、単純に、泣くときは思いっきり泣けばいい、絶叫すれば熱演だとなってしまうのではないでしょうか。
棒読みとか、声が小さいとかはとにかくマイナス、という考えなのだろうと思います。棒読みは慣れると個性のように感じることもあるんですけどね。子役ではないのですが、逆にわざと台詞を棒読みにしたのが、淡路恵子の「男嫌い」(1964年)ですが。
統計は取っていませんが、私が子供の頃はどちらかというと、家庭環境の不遇な子役のほうが巧い、ただし子役で巧いのは意外と大成しない、という印象がありました。
子役はどうして大成しないのか、というのは私が以前から考えているテーマです。
松井八知栄もプロボウラーになってしまいましたし。
最近は、家庭環境というより、空気読みのうまい頭のいい子がそつなくこなすという感じがしますね。そういう子は、いい仕事しているのに割り切りよく引退や休業して、他の子がすべてを犠牲にして必死に勉強して受かるような学校に、お受験して軽く受かるようです。つまり上手に生きているんでしょうね。
小川範子とか、ケンちゃんシリーズの岡浩也あたりの登場がその過渡期だったのかなと思います。

>現在山田姉妹はわたしの中でその頂点に立つ存在となっております。

なるほど、騎士道精神ですか。今回は愚問というか、明らかなことをわざわざお尋ねしてしまったかもしれません。
私の夢想はちょっと設定が少女漫画なのです。私は露骨にそのような態度はとらないのに、向こうがなんとなく私を気にしてくれるというむしのいい始まりなので、そもそもそこから実現を困難だろうとわかってはいるのですが、結局ここも引っ込み思案がネックになっているのかもしれません。でも妄想ぐらい、もっと大胆でもいいと思うんですけどね。
by いっぷく (2018-01-21 10:28) 

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