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●末尾ルコの個人史的記憶の中のホットケーキ、うすら卵の煮つけ、そして「寿司屋で1万円」。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコの個人史的記憶の中のホットケーキ、うすら卵の煮つけ、そして「寿司屋で1万円」。

末尾ルコ「昭和氏の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしは小学時代、女の子と遊ぶことが多かった。
学校の「お楽しみ会」の時に出し物としてフィンガー5の曲をグループで歌ったことがあるが、わたし以外はすべて女子だった。
女の子の家に遊びに行くことも多く、その中で今でもよく覚えているのが、「子ども用の調理キット」的おもちゃを持っていた子がいて、極小のフライパンで極小のホットケーキを作っているのを見て、(旨そうだなあ)と思ったのだけれど、できたホットケーキを食べさせてもらったか否かは記憶にない。
ホットケーキと言えば、出不精の亡父だったが、さすがにわたしが小学時代はちょいちょい外食に連れて行ってくれて、いくつかの行きつけのレストランが、そこで食べるホットケーキは実に美味しかった。
表面は香ばしくサクッと歯応えがあるように焼かれているが、内部はしっとりである。
ナイフで大まかな碁盤目状に切れ目を入れ、バターとシロップを載せると焼き立てだからすぐに浸透していく。
その味のハーモニーが絶妙なのだ。
近年はそのようなホットケーキを焼く店に足を運んだことがない。
あの美味しさは今でも健在なのだろうか。

親子連れで行ったレストランでよく食べたものは、やはりお子様ランチ、オムライス、ミモザサラダ、そして中華風の料理を提供する店で「ウズラ卵の煮つけ」というメニューがあり、わたしはそれをよく注文した。
これも子ども時代限定で食べたものだからその調理法などを詳しくは説明できないが、基本的に「衣をつけて軽く天ぷらのようにしたウズラ卵」が野菜などとともに煮つけた中華餡の中に入っているものだった。
高知にも寿司屋がないわけではないが、わたしの子ども時代、寿司屋に行った記憶は一切ない。
おそらく行ったことなかったのだろう。
だからいまだに、「寿司屋」といってもピンと来ない。
小学時代一番仲よくしていた友人の家で、その子の親は何やら商業関係だったが、彼が親に対して、「今日は寿司を食べに行こう。一万円用意しちょって!」などとあっさり言うのを聞いて驚いたことがある。
小遣いがせいぜい「50円」ほどだったわたしにとって、(一回の食事に1万円とは、どうしたことだ!)という驚きだった。
わたしの両親は公立学校の教員であり、「企業」と言ってもほとんどが中小(あるいは「小」)である高知県民の給与レベルとしては平均より上だったのだろうけれど、家庭内で「万」という単位の金額を耳にすることはなかったので、(ああ、こんな世界もあるのか)という驚きだった。

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いっぷく

「お楽しみ会」でフィンガー5の歌。実に健全ですね。自分のことを思い出すと恥ずかしくなります。
私が小5のときに「お楽しみ会」で披露したのは「腹切り」(汗)小学生が考えることではありませんね。お受験の勉強をさせられたストレスとしか思えません。
どういう内容かといいますと、武士の切腹ではないのです。机の上に私が寝て、クラスメートがボンナイフで切るのです。手術ですね。画用紙を貼り合わせた手術着を着て、画用紙のお腹のあたりの裏にジャムの袋を仕込んでおきます。さらに、口の中にもジャムを含んで、ナイフを入れた瞬間、グレート・ザ・カブキが毒霧を吹くようにジャムを口から吹き出すのです。
当然、口の中には唾液がありますから、ジャムに唾液が混ざって、近くにいた女の子は「洋服についた」と怒っていました。怒ったということは、私の唾液を汚いと思っているのだな、とがっかりしました。そりゃがっかりするほうがおかしいですね。「あなたの唾液ならいいわ」と言ってくれる可能性を信じていた自分がそこにいたわけです。世の中を舐めてますね(笑)
腹を切って、口から血を吹くという発想自体意味不明です。永源はるかのように、パンチをされて唾を飛ばすほうがまだわかりますね。
これで女の子に嫌われるくらいですみましたが、、その発想からおかしな犯罪に走らなくてよかったです。

亡父は、事業が上向いてからは毎週日曜日の夕食を外食にしていました。父なりの家族サービスなのだと思います。ただ行き先は決まっていて、銀座アスターでセロリ麺と春巻きを食べるか、焼肉屋でカルビとロースを食べるかどちらかでした。父はアルコールが駄目なのですが、飲めるようになろうと顔を真赤にして無理してビールを飲んでいました。
まれに、近所の寿司屋には行きましたが、父は刺し身も全く受付けず、やっとイカとタコを食べるぐらいでした。たぶん、母がマグロの刺し身が好きなので、気を使ったのだろうと思います。
ですから私も子供の頃は刺し身が全く食べられず、父の親類もみな刺し身は駄目なようです。
18歳のときに小学校時代のクラス会があり、鉄火巻が出たのですが、もったいないと思い食べたら食べることができたので、そこでやっと刺し身をいただけるようになりました。

1万円というのは、子供の頃も、そして今も「大金」と呼ぶ金額です。
家族の外食をするようになる前の毎週日曜は、父が私を連れて映画館で映画を見る日だったのですが、『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』(1968年、松竹)という映画を見たとき、坂上二郎が屋台のラーメン屋の親父の役で、内田良平演じるヤクザ一家に、「ツケ」だといわれて金ももらえずラーメンを食べられていたのです。
それで萩本欽一が、それを回収すると言って内田良平に談判して、「たまったツケはいくらだ」(内田)「7000円です」(坂上)というやりとりを萩本が遮って「9000円です」とふっかけたのです。すると内田良平は1万円を渡して「釣りはとっとけ」と言い、坂上二郎が1万円札を見て大金のあまり気絶したというシーンが有るのです。
以来、私はこんにちまで、1万円=大金、という認識がすりこまれたままで、自分の財布は今も1万円がはいることはほとんどありません。大金だと思うと持ち歩けないのです。50年の前の映画の呪縛に囚われている私はやはり精神が変かもしれませんね。

by いっぷく (2018-02-09 02:52) 

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