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●ネットに繋がらなかったからってビビるなんて俺らしくないぜ、とか反省しつつ、『逆説のプロレス11 前田日明 完全読本スペシャル』でなぜか心が温まる? [「言葉」による革命]

●ネットに繋がらなかったからってビビるなんて俺らしくないぜ、とか反省しつつ、『逆説のプロレス11 前田日明 完全読本スペシャル』でなぜか心が温まる?


6月終盤の某日朝、9時くらいから突如ネットに繋がらなくなった時のわたしの童謡、いや動揺ぶりは我ながら呆れるほどで、いや、別にネット依存ではないのだけれど、仕事の多くをネット環境でやっているので、(え?今日、繋がらなかったらどうなるの?)といろいろ想像してしまうわけだ。
そうなると、仮眠をとろうとしてもなかなか眠れない。
仮眠って、大切ですからね~。
まあその日は午前11時ごろに復旧していたから助かったけれど、原因が分からないし、もちろんそれはわたしがメカ(笑)音痴だからいけないのだけれど、さらに言えば、モバイル環境をいまだ持ってないところが大きな問題である。
うん、改善していこう。

と前向きな姿勢を示したところで、わたしはTSUTAYAで双葉社の『逆説のプロレス11 前田日明 完全読本スペシャル』なるムック本を手に取ったわけなのだ。

しかし前田日明関連本、多いですな。
わたしにしても、もちろん前田信者とか前田ファンとかではないけれど、関連本があったら手に取ってしまう。
高田延彦とか船木誠勝だと、見かけても(ま、いいか)と素通りすることが多そう。
やはり前田だと、何かおもしろいこととか変わったことを言ってそうな期待はあるのですな。
いい意味でも悪い意味でもだけれど。

『前田日明完全読本スペシャル』の内容の方を見てみると、

・スペシャル対談
前田日明×水道橋博士
「オフィス北野騒動はUWF分裂と同じ」

とかあるが、「オフィス北野騒動なんて、まったく興味ねえんだよ!」と、こういうところでそんなショボい話題を持ち出すな!

とは当然思うわけですな。

しかし全体的には前田の談話、特に新日入門初期については非常に肯定的に捉えていて、その点は好感が持てる。
さらにアントニオ猪木について、

「なんか、やっぱり猪木さんに甘えてたんだろうね。甘えたかったのと、純粋に抗議したかったのと」

といったことを言っているのを読むに至っては、どこか心が温かくなるわたしは何?

そう、猪木についてもこのところ批判的なことも多く書いているわたしだけれど、その根っ子には、(猪木には特別であってほしい)という思いがあるのだろうなとしみじみ・・・するほどのことでもないが。

もちろん前田の発言も大いにポジショントークなのだけれど、そして、(あの頃と言っていることが違うじゃないか!)と思う部分も少なからずあれど、考えてみればわたしにしても、10代、20代と現在ではかなり異なる人間になっている。
30代ではまだ見えず、40を超えてから見えてくるものもある。

と、いつになく前田日明に対して寛容な気分のわたしです(←山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。


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いっぷく

以前から書かせていただいている通り、ここのところマシンの調子が悪いため、昔使っていたマシンを引っ張り出してきて、再インストールして今のマシンとどっちがいいかいろいろ試しているのですが、ネットに繋ぐデバイスドライバがうまくインストールできず、ネット接続で苦労することがあります。そういうときは、つながった、つながらいと1日中グズグズしていることもあります。システムリカバリのディスクのデバイスドライバと、現在公開されているデバイスドライバのバージョンが違うことが原因であることが多いのですが、リカバリディスク自体を定期的に更新してユーザーにDVDで責任もって届けてくれる、なんていうサポートがあるとありがたいとおもいます

>やはり前田だと、何かおもしろいこととか変わったことを言ってそうな期待はあるのですな。
>いい意味でも悪い意味でもだけれど。

プロレス以外では、ホリエモンについても、同じことを思っている人が結構いるようですね。
私はプロレスでは、ひと頃の北斗晶のマイクがそうでした。
余談ですがラッシャー木村は、考えてみると国際プロレスの頃から、「こんばんは」のようなことを言って客の失笑を引き出す名人でしたね。馬場に場外4の字で負けたときも、「ぼくはついてないですよ」とかあまりに普通過ぎることを言ってたし、吉原社長を投げ飛ばす「乱心」パフォーマンスのときも、すぐに「社長すみませんでした」とか謝っちゃうし、日本的なマイクパフォーマンスなのかもしれませんね。

>考えてみればわたしにしても、10代、20代と現在ではかなり異なる人間になっている。
>30代ではまだ見えず、40を超えてから見えてくるものもある。

部分的真実といいますか、前田に限らず誰でも、以前と違うことを言っているようでも、以前の話と論理的に両立し得る内容である限り、それは「視点や表現が違う」だけのことですし、両立しなかったとしても、しないことに理由があって、その理由を含めた「全体」としては合理性はあるんですよね。
文系と理系の違いがまさにそこで、理系は客観的真偽を明らかにしていくので「真実は一つ」ですが、哲学者は価値観の幅から普遍的なものを見出すので「真実は全体」という言い方を良くしますね。
そういう意味では、私は文系思考かもしれませんが、その時々の発言はきっと「部分的真実」なんだろうなあと思い、つじつまの合わないことが出てきたら、きっとつじつまを合わせる隠された事実があるのだろうと考え、さらに調べたいと思うようになりました。まあそうすると、いつまでもいつまでもどこまでひろがるかわからない「全体」を求め続けることになるんですけどね(笑)
by いっぷく (2018-07-12 04:02) 

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