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●果たして樹木希林の代表作は、『はね駒』なのか?NHK(だけではないが)、「俳優死去報道」の酷さを放置していていいのか?~村上春樹、ノーベル文学賞に代わる(笑)賞辞退、「ハルキスト生中継」はなくなったが。 [「言葉」による革命]

●果たして樹木希林の代表作は、『はね駒』なのか?NHK(だけではないが)、「俳優死去報道」の酷さを放置していていいのか?~村上春樹、ノーベル文学賞に代わる(笑)賞辞退、「ハルキスト生中継」はなくなったが。

末尾ルコ「メディア批判と文学の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

9月16日、樹木希林の死去が発表された。
NHKはニュース速報を出したが、そのすぐ後のニュースで樹木希林の出演作として取り上げたのはまず『はね駒』、そして『万引き家族』だった。
『はね駒』は言うまでもなくNHKの朝ドラマなのだが、俳優が死去した時のNHKの報道姿勢は一事が万事こんな感じである。
つまり少しでも朝ドラないし大河に出ていたら、真っ先にその話をし、その映像を出す。
NHKが放送したすべての「俳優死去報道」をチェックしたわけではないから「100%」とは言えないが、特に近年は目に入るものほとんどがこんな有様だ。
わたしには臆面もなくこうしたことを繰り返す姿勢は、「俳優の死にかこつけて、朝ドラや大河の権威を高めようとしている」ように見える。
もちろん民放地上波はさらに酷く、死去した俳優が自分らの局のドラマに晩年出演した映像だの、トーク番組へ出演した際の映像だのを中心として流し、「死去した俳優の代表作を俯瞰的に紹介する」というマスメディアとして最低限度のこともしない。

「このような状態が当然」と、わたしたちは諦めていてはならないし、無頓着であってもならない。


村上春樹が、「ノーベル文学賞の代わりとなる文学賞のノミネートを辞退した」という報道があった。
わたしにはこのすべての流れが茶番劇に感じられる。
会員の夫による性的暴行疑惑で今年のノーベル文学賞発表は見送られたわけだが、来年には「今年の分も含めた」受賞者が発表される予定だという。
(何なの、それ?)である。
来年になれば、文学賞内部の不祥事が一掃され、クリーンな組織になると、誰が保証するというのか?
その点から不審なのに、「来年、2年分発表する」とか、実に尊大で押しつけがましい態度のように感じられる。
(今年は発表できなかったので、待ちかねた文学者のあなたに来年はちゃんと2人分用意するから、待ってるんですよ!)と言っているようである。
逆に言えば、ノーベル文学賞は今回のスキャンダルで大きく失墜した権威を立て直そうと必死なのでもあるだろう。

そして村上春樹がノミネート辞退した「ノーベル賞の代わりの文学賞」発表を目論む「ニューアカデミー」なる団体なのだけれど、これがまたスウェーデン。
こうなると、スウェーデンっていったい・・・というお話にもなる。

ノーベル文学賞受賞した作家自体はほとんどが素晴らしい創作者ばかりだけれど、しかしよく見ればほとんどが、「別にノーベル賞を取らなくても、皆素晴らしいと知ってるよ」という人たちでもある。
まあ今年は、発表前の「ハルキストの集い生中継!」がないわけで、「秋恒例のストレス」の一つが減った点は買えるのだが。

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いっぷく

まあ「代表作」については、正直申しますと、私も他人様を批判できないかな?という後ろめたさがあります。自分の記事にああは書きましたが、やはり昔のターニングポイントとなる作品というのはかなりマニアックな視点であって、幅広い世代に通用する話としては「大女優」になってからの名のあるドラマや映画を紹介するのが順当なのでしょう。
にもかかわらず、今更「寺内貫太郎一家」を樹木希林の出演作として優先的に取り上げるところもありましたが、だったら当時をどれだけ知っているのかなと。中身ではなく、西城秀樹などが出ていて視聴率をとって話題にもなっていたらから、そのイメージで紹介しているだけだと思うのです。
樹木希林自身も、向田邦子の脚本は矛盾が多くて下手くそだと述べていて、まあどこが矛盾かはわかりませんが、婆さんの格好という「奇策」で話題をさらっていた部分があり、かといって北林谷栄のように老婆になりきっていたわけではなく、半分ギャグですから、「ユニークな仕事」ではあっても、第一義的に評価の対象として語るものなのだろうかという疑問がありました。だったら、トラック野郎で三つ編みの娘姿で出ていたほううがまだ「ユニーク」だろうと思って紹介したんですけどね。

あとメディアは、とにかく手持ちの映像ですぐに使えるものがある作品を紹介しているのだとおもいます。
他局のものなどは借りる手間があるので、どんなにいい作品でも避けるのだと思います。
わたしは昔、レコードジャケットを100曲分集めてそれぞれに解説を書いて1冊の本にする経験があり、おニャン子クラブとか、花の中三トリオとかそれでやったんですが、もとのジャケットは、ある古物収集の好きな人が提供することになっていて、その人が提供するものから100曲選んで書いたのです。
ネットでは、熱心なファンが「この本は選曲がだめだ。この著者は本当のファンじゃない」とか私の責任ではないのに悪く評価されたことがあります。まあ私が独自にジャケットを見つけてきても良かったのですが、そういう仕事には締切がありますから、ヤフオクに出てくるのを気長に待ったり、古レコード屋を呑気に巡ったりはしていられなくて、少しでもはやく書くのに精一杯ですから、手持ちのものでしかできないのです。
メディアの作品選びも、そういうところだとおもいます。

>「今年の分も含めた」受賞者

意味不明ですね。
「今年はやめた」ということなら、今年の分はそれでおしまいのはずで、来年その分まで選んだら、今年見送った意味ないですね。
それに代わる賞とやらを「執筆に専念したい」と辞退したのは、やはりそれをもらっちゃうとノーベル賞をもらえないと思ったのでしょうか。
だとしたら、ノーベル賞も辞退しないとつじつまが合わないですね。というより今までだって執筆に専念したかったでしょうに。
でも来年もし受賞しちゃったら、「集い」も目標達成で解散せざるを得ないから、万年候補のままの方がいいんじゃないでしょうかね。いずれにしても、そのハルキストとか言う人とはなんか友達になれそうもない気がします。
by いっぷく (2018-09-18 02:27) 

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