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『新潮45』休刊問題だけでなく、大坂なおみについても、そして一般人をも人間性を毀損する「言葉」が氾濫している世の中にどう対抗していくか? [「言葉」による革命]

『新潮45』休刊問題だけでなく、人間性を毀損する「言葉」が氾濫している世の中にどう対抗していくか?

末尾ルコ「社会批判で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『新潮45』休刊の余波が続いているが、新潮が出した謝罪が次の言葉だ。

「部数低迷に直面し、試行錯誤の過程で編集上の無理が生じた。その結果、このような事態を招いたことをおわびいたします」

ずいぶんとぶっちゃけた内容だが、実は今回の「杉田水脈問題」よりも、そもそも「部数低迷」で休刊(廃刊)寸前だったという見方もある。
まあ多くの雑誌が苦境に陥っていることは明らかだけれど、ここで問題にしたいのは、今回の『新潮45』の件に限らず、

「金のために人を敢えて貶める」こと

が許されていいのか否かという点だ。

『新潮45』の場合は、「部数低迷に直面」しての「試行錯誤」が「ほぼネトウヨ」路線だったわけで、その一環として、杉田水脈論文掲載とその「擁護特集」を組んだわけである。
特に「擁護特集」の中にはあまりと言えばあまりな表現があり、平野啓一郎ら少なからず作家たちもすぐさま反撥の声を上げたわけだ。
つまり新潮社は今回問題となった一連の記事を、「金のための暴走」と認めたことになる。

ただ、「金のために敢えて人を貶める」内容の見出しや文章は『新潮45』に限らずネットを中心に毎日無数に生み出されており、それは従来から存在する出版社などのメディアによるものもあれば、アフィリエイト収入などを見込んで、PV稼ぎに躍起のブロガーなどにも普通に見出せる。

その手の見出しでここ数日見かけた中では最も不愉快だったのが『FRIDAY』の、

「全米オープン制覇 大坂なおみが日本を棄てて米国籍を選ぶ可能性」

記事内容にはまったく新しいものも独自取材もなく、要するにただ単に「大坂なおみが日本を棄てて」という部分で目を引くだけの見出しであり、記事なのである。
しかもわざわざ「捨てる」ではなくて、「棄てる」という文字を使っている。
この文字は仮に大坂なおみが米国籍を選んだ場合、「日本をゴミ箱へ棄てる」という極めてネガティヴなイメージを含んでおり、よくもまあこの日本スポーツ史上飛びぬけた世界的スーパースターに対してこんな薄汚い見出しをつけられたものである。
この記事を作った記者に子どもがいたらぜひ、「パパはこんな見出しを作ってるんだぞお!」と自慢していただきたいものだ。
さぞかし立派な子どもが育つことだろう。

『文春オンライン』には次のような見出しの記事が掲載されていた。

「大坂なおみはアメリカ代表で東京五輪に!? 二重国籍選手の日米争奪戦」

こちらも新しい情報は一切なし。
現状では客観的に見て大坂なおみがアメリカ代表で東京五輪に出場する可能性は「無い」と考えてもよく、そもそもテニスの世界は五輪よりもグランドスラムの方が遥かに価値が高い点、サッカーの世界で五輪とワールドカップが比較にならないという事実と同様である。

要するにこれら2つの記事は、「記事内容」はどうでもよく、「全米オープン制覇 大坂なおみが日本を棄てて米国籍を選ぶ可能性」「大坂なおみはアメリカ代表で東京五輪に!? 二重国籍選手の日米争奪戦」というタイトルでPV稼ぎをしたかったのみというお粗末なものなのだ。

そのような「事情」の下に「事実」が捻じ曲げられ、大スターから一般の人たちまで、人間性が毀損されている現状なのですね。

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lequiche

杉田某という議員はあまり知的に見えませんので、
そういうことを言わせている誰かがいる
というふうにも思えます。
その非・知的な人の文章を載せてしまう新潮社って、
そんな出版社だったっけ? という印象があります。
本を売るための炎上商法なのかもしれません。
by lequiche (2018-09-27 03:53) 

いっぷく

『新潮45』の「擁護特集」を読む前に休刊になってしまったのですが、まあ杉田発言だの擁護だのは論外としても、安倍総理がいうところの「人を傷つけない発言」というのは、私も気をつけるべきところがあるんだろうなとは思っています。
記事がなければ休めばいい個人ブログと違い、商業マスコミはつねにセンセーショナルなネタを探さねばならず、たぶん『新潮45』は、部数減というのは結果であって、そもそも情報提供が減っているのではないかと思います。ネタがなければ、どうでもいい事実をもとに憶測を膨らませて記事にする展開になったのでしょう。その点で「逆張り」というのは、問題のたてかたとして、既存の説を否定したり、両立しない仮説を出したりすればいいので、楽ですよね。でもそれを「新たな価値の創出」にするためには、既存の説を超える論理構成や裏付けが必要となります。やっぱり「楽」はしてはいけませんね。
大坂なおみの国籍に関する報道については私は全く詳しくありませんが、私はここのところの大坂なおみ問題については、むしろ、それまで「日本人として認めるのに抵抗がある」と言っていた人たちが、この数日間のフィーバーで心変わりすることについて懐疑的です。
もちろん偏見や差別の心を持ち続けろという意味ではありません。従来の見方考え方が変わったのならそれでいいのです。ただ、マスコミ報道の方向性で右でも左でも向いてしまうだけで、もしこの先、大坂なおみがスランプになって否定的な記事が主流になったら、また「やっぱり日本人として認めたくなくなった」ということになるんじゃないか、という懸念です。
記事の質については、今に始まったことではなく、ただ質が低いものは一切禁じるべし、とまでは私は思いません。残念ながらそれもまた人間心理の発露だと思うからです。自分の好き嫌いや事の良し悪しとは別に、華やかな成績をおさめてメディアで派手に扱われると、一方では天の邪鬼のような記事や、陰口や心ない噂話のような記事を密かに喜ぶ読者・視聴者もいるのだろうと思います。
1970年代ぐらいまで、ハーフは「あいのこ」などといわれていた島国日本で、その世代がまだ健在の現在、文化や価値観が成長し切るのは時間がかかるとおもいます。そうでなければ、家制度などとっくに克服しているはずですから。
大坂なおみも大変だと思いますが、国籍とはなんだろうということを考える契機として前向きで有益な報道をマスコミにはお願いしたいですね。

by いっぷく (2018-09-27 03:54) 

hana2018

自分自身が体験したと言っても、特定の人、明らかな国の人々に対し非難めいた悪口、今夜の自分のブログにも書いてしまったばかりでした。
「新潮45」の内容は存じませんけれど、ここ数年の「文春」にも酷い内容が多いとが感じられてなりません。何時の間にか手にとる事もなくなりました。
タイトルのあざとさで購買意欲を煽るのは、スポーツ新聞だけではない。週刊誌しかり。また朝日新聞にしてもひたすら安倍たたきに徹して、なりふり構わぬ状況です。
あれ程連日報じた森友学園と加計学園を巡る記事が何時の間にか消滅をしている有様。
報道の世界そのものが文章を書く、表現する仕事ながら、自らのプライドもなく、手段を選ばない手法だらけに成り果てた。そう思えてなりません。
by hana2018 (2018-09-27 22:04) 

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