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●左幸子、田中絹代、寺島しのぶ、黒木華の共通点は?~ある米国人が感じる日本の異常報道とは?~日本は「人間の心」軽視か? [「言葉」による革命]

●左幸子、田中絹代、寺島しのぶ、黒木華の共通点は?~ある米国人が感じる日本の異常報道とは?~日本は「人間の心」軽視か?

末尾ルコ「映画と社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

左幸子、田中絹代、寺島しのぶ、黒木華の共通点は?
は~~~い!皆、人間です♪
そりゃまあそうだが、他にもあるでしょ!
は~~~~~~い!皆、女の人です、日本人です、地球人です、女優ですううううう!!!!!
ずべて正解でえす~~。
いやしかし、わたしの望む解答ではない。
かように人間のアイデンティティというのは多様にして重層的であり、単細胞的に捉えようとしてはいけないのであるが、わたしが今ここで左幸子、田中絹代、寺島しのぶ、黒木華の3人の共通点として挙げていただきたかったのはもちろんそう、

「4人ともベルリン国際映画祭女優賞受賞者」

なのである。
で、同賞受賞がどれだけ凄いかを知るための方法の一つとして、過去にどんな女優が受賞しているかを見よう。
国際的ビッグネームのみを挙げてみても、

1958 アンナ・マニャーニ 『野性の息吹き』
1959 シャーリー・マクレーン『恋の売り込み作戦』
1961 アンナ・カリーナ『女は女である』
1971 シモーヌ・シニョレ『Le Chat』
シャーリー・マクレーン『Desperate Characters 』
1972 エリザベス・テイラー『旗 Hammersmith Is Out』
1978 ジーナ・ローランズ『オープニング・ナイト』
1979 ハンナ・シグラ『マリア・ブラウンの結婚』
1988 ホリー・ハンター『ブロードキャスト・ニュース』
1989 イザベル・アジャーニ『カミーユ・クローデル』
1991 ビクトリア・アブリル『アマンテス/愛人』
1992 マギー・チャン『ロアン・リンユィ 阮玲玉』
1993 ミシェル・ファイファー『ラブ・フィールド』
1997 ジュリエット・ビノシュ『イングリッシュ・ペイシェント』
2002 ハル・ベリー『チョコレート』
2003 メリル・ストリープ
ニコール・キッドマン
ジュリアン・ムーア
『めぐりあう時間たち』の共演で、3人同時受賞。
2004 シャーリーズ・セロン 『モンスター』
2015 シャーロット・ランプリング 『さざなみ』

まあちょっと、(なぜこの映画で??)という受賞もあるけれど、
とにかくこれら女優は世界映画史に名を刻む超大物ばかり。
このリストの中に、左幸子、田中絹代、寺島しのぶ、黒木華も入るわけですよ。
話少し逸れますが、友人の友人の米国人が言っていた、「このところの日本の報道で目に余るもの」というのがですね、
・オリンピック関連報道
・ノーベル賞報道
・大谷に関する報道
の3通りでして、この点はわたしも同じ気持ちです。
別に「米国人の意見だから拝聴する」のではないですよ。
拝聴に値する意見であれば、何人であろうと関係ありません。
アホな米国人、カナダ人、オーストラリア人などもいっぱい知ってます。
しかし考えてみたら、とここでまたお話が逸れるのですが、わたしが話をしたことのある国の人、つまり「今までどれだけの国の人と話したことがあるか」ですが、かなり限られています。
フランス人、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、ニュージーランド人、ネパール人、ロシア人、インド人などなど、やや偏ってますね。
まああまり広く浅く話をしても仕方ないのですが。
要するにここで声を大にしたいのは、大谷が嫌いなわけではありませんが、2018年のようにNHKニュースで1打席ごとに報道するとか、馬鹿なことは止めていただきたい。
スポーツニュースが多過ぎ。
そして寺島しのぶや黒木華がこんな凄い賞を獲っているてこと、知らない人が多いでしょう。
良質の映画、小説、テレビドラマなどは、「人間の心」、もっと言えば、「人間存在そのものの探求」なわけでして、それらを軽視する日本社会とは何なのか、というお話です。

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いっぷく

賞というのは、その人自身の力はもちろんありますが、作品に恵まれ、スタッフに恵まれ、時代に恵まれ、批評家に恵まれ、審査者に恵まれ、何よりその役者がそのポジションにあるという前提だからこそなしえたもので、たとえばいくら秘めた力をもっていても、通行人やラーメン屋の客の役しか与えられなければ賞はもらえませんから、起用してくれた人があってはじめてその役者は光るチャンスを得られるので、賞をとったことについてその役者個人を絶賛するのは気が引けるのですが、星の数ほどいる日本の女優たちの中で4人は特筆スべきことでしょうね。
田中絹代と言えば……、何かの偶然がひとつふたつ重なったら、もしかしたら飯田蝶子と田中絹代の序列がひっくり返っていたのかもしれず、さすれば田中絹代のその後の隆盛はなかったかもしれないという妄想を今日はしてしまいました。
飯田蝶子の女優までの経歴を見ると、デパートの店員から雑誌の投稿を始めて業界紙の記者になり、ルボを書いて一般紙に売り込み、さらに旅回りの一座に応募して、蒲田撮影所に採用。
そこから栗島すみ子・田中絹代に次ぐ序列まで来たのに、戦後はあっさりフリーになって各社で活躍しているわけですが、これは私の理想です。
ひとつは、バックの力ではなく自分自身の力で道を切り開いていることです。ツテなどなくても希望に向かって自分を前に進めていったというのは、生き方としてお手本になります。
映画に出るのだったら、映画会社と契約しなければ、と普通は思うでしょうし、フリーなスタンスで仕事がしたかったら、制作会社の所属になったり、劇団に入ったりするものですが、所属先に頼るのではなく、一本独鈷で仕事をしているのです。そして、大幹部にまで上り詰めたのに、ひとっところに安住せず、新しいステージに向かおうとしているのもすばらしいです。
私が知る飯田蝶子はすでに老婆でしたが、享年75歳ですから、びっくりするほどの高齢者ではなかったんですね。この当時ではもちろん高齢者ですが。若大将の祖母役は60代で演じていたことになりますから、当時でも少し早いおばあさんだったのかもしれません。

>伴淳三郎

寺内貫太郎一家の時、伴淳三郎は樹木希林に「下手くそな演技だ」といわれていったん降板したところ、樹木希林がご飯を炊きに来て手打ちをした話がありますが、樹木希林は向田邦子の脚本も下手くそだと言っていますし、ちょっと直截な言い方で、失言癖があったのかもしれません。演技を評価するのは監督の仕事ですから、劇団の研究生ならまだしも、ベテランの役者同士でやはり下手くそ呼ばわりはどうなのかなとおもいました。
by いっぷく (2018-12-26 06:02) 

hana2018

こうして歴代の受賞者の顔ぶれを見ますと、アンナ・マニャーニ 、 シャーリー・マクレーン、 アンナ・カリーナ、 シモーヌ・シニョレ…とその時代に即した、世界的に見ても第一線で活躍。代表作にも恵まれた女優たちであることは歴然とした事実に感じられます。
寺島しのぶ、黒木華は今後もしばらくは出演作品に恵まれるでしょうし、彼女たちの演技を見る状況は続くものと思います。
寺島しのぶの「キャタピラー」、黒木華の「小さいお家」は偶々ながら鑑賞済みでした。
左幸子の演技は観ていないものの、今村昌平監督の意図に沿ったものであったかと想像しています。
田中絹代は芸歴の長さ、出演作品の多さから、もっと高齢での受賞。それは演じた役柄に近かったものと思い続けておりましたら…今の私に近い年齢での死去。もう少し長命であれば本もののおばあさんとして、実年齢に近い役柄を演じるのも可能であった。そうしたところも見たかった気がします。


by hana2018 (2018-12-29 16:45) 

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