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●浅野ゆう子のセクシー捕虜姿が最大のみどころか?『惑星大戦争』の監督福田純についてもプチ研究。 [「言葉」による革命]

●浅野ゆう子のセクシー捕虜姿が最大のみどころか?『惑星大戦争』の監督福田純についてもプチ研究。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

時に酔狂心が横溢するわたくしめ、新年早々映画『惑星大戦争』を鑑賞したのでございますことよ。
ほほほほほほほほほお!
と、有閑マダムな笑みを浮かべざるを得ないこの『惑星大戦争』という映画が、1977年公開で、「『スターウォーズ』に便乗して制作された」と日本映画に大書されている作品である事実を知る映画ファンは多い。

それにしても、『惑星大戦争』とは大きく出たものだが、監督は福田純。
福田純は何となかなかのフィルモグラフィを誇る映画監督で、

『日本一の若大将』(1962年)
『にっぽん実話時代』(1963年)
『ハワイの若大将』(1963年)
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)
『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)
『100発100中 黄金の眼』(1968年)
『フレッシュマン若大将』(1969年)
『ニュージーランドの若大将』(1969年)
『コント55号 人類の大弱点』(1969年)
『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)
『ゴジラ対メガロ』(1973年)
『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)
『エスパイ』(1974年)
『惑星大戦争』(1977年)

まあ、ほとんどわたしは未鑑賞なのだが、ただ『ゴジラ対メカゴジラ』は家族で映画館鑑賞したのですわ。
あの時の劇場の雰囲気もよく覚えている。
冒頭でアンギラスがメカゴジラに口を裂かれた衝撃シーンも。
未鑑賞ながらいまだファンタスティックなイメージのある『エスパイ』も福田純の監督なわけですね。

で、『惑星大戦争』は1977年公開で、その前年にモハメッド・アリVSアントニオ猪木が行われている。

福田純はテレビドラマの監督もやっていて、『流星人間ゾーン』はわたしも観ていたぞ!
テーマ曲もいまだ歌えるという。

『惑星大戦争』の出演者は、森田健作、浅野ゆう子、宮内洋、新克利、沖雅也、池部良、さらに大滝秀治と、名優二人を含めた不可思議な顔ぶれだが、一番熱演してるのは浅野ゆう子です。
さらに「宇宙獣人」なる、『スターウォーズ』の「チューバッカ」のような着ぐるみを着用した獣人(笑)はプロレスラーのマンモス・鈴木だそうだが、着ぐるみなので顔はまったく映らない。
地球人と「惑星大戦争」を繰り広げる宇宙人のトップが、「銀河帝国司令官ヘル」なる存在で、この造形の愉快さについてここでは詳細に触れまい。
『惑星大戦争』の中で一番印象に残ったのは、浅野ゆう子が「銀河帝国司令官ヘル」の捕虜(笑)になったシーンであって、ずっと宇宙服だった浅野ゆう子が捕虜になった途端に黒レザー(に見える)のショートパンツで脚線美を見せつけるのである。
これはストーリーの文脈上、「宇宙人たちに無理矢理着替えさせられた」ことになるはずだが、どうせならそのシーンも挿入してほしかった・・・などとは決して想像しませんです田。
てへぺろ♪
ちなみに浅野ゆう子、前年の1976年に、あの『セクシー・バス・ストップ』をリリースしている。


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いっぷく

私は怪獣モノを見ないので、福田純監督の仕事は半分は未見ですが、もちろん若大将やコント55号は見ています。あとエスパイと西遊記も。
若大将シリーズでは、本来「最終回」だったはずの「日本一の若大将」が良かったですね。マネージャーが若大将の妹の中真千子と結婚して婿入したので、若大将はすき焼き屋の跡継ぎをゆずって、自分は就職試験を受けて、試験管が実父の上原謙で、採用されるところで終わっていました。
それが加山雄三人気で、若大将シリーズをもう少し続けようということになって、また次の話は大学3年ぐらいからやり直して(笑)加山雄三が30歳になるまで学生役でした。やはりあれは学生時代の失敗や純粋さを描いているので、そんなに長く引っ張るものではないと思いましたが、17作続いたということは、加山雄三も人気があったし、若大将もワンパターンなのにお客が入ったんでしょうね。
エスパイは東宝らしいソフトな仕上がりでした。原作では、由美かおるの役が催眠術にかけられて黒人に挿入されるように描かれているのですが、映画では胸を丸出しにされるだけで、キスしそうになったところで、藤岡弘の超能力で黒人の舌がちぎれて飛んでいってました。
西遊記は東宝ではなく、新東宝の残党が集まった国際放映でしたが、1話完結で、悪者にも五分の理があるような作り方でしたね。高橋長英が黄袍怪の役で、吸血鬼のように人の命を奪って生きながらえる設定で、三蔵の夏目雅子に、「そんなことまでして長生きしてどうする。そんなに生きても友達もみんないなくなっているのに」というような説得を受けて人食いをやめるのですが、私は父が亡くなってそう時間がたっておらず、母だけは長生きしてもらいたいとおもっていたときだったので、「長生きはいいことなのか」という哲学的疑問を見るものに投げかける話は考えさせられました。
マンモス・鈴木は糖尿病でやせ細ってレフェリーに転向した頃ですから、着ぐるみでよかったのかもしれません。デビューの頃は、毛むくじゃらで、身体能力とプロレス頭があれば、もう少しなんとかなったと思うのですが、気も小さかったみたいですね。
そういえば今日のFacebookのプロレスグループで、三沢らの大量離脱も、武藤の移籍も全部元子夫人が悪い、馬場さんが可愛そうだという逆立ちした話で盛り上がっていたので、「馬場が優柔不断だったことが『女帝介入』の根本原因じゃないの。プロレス以外はステーキ食って葉巻吸うしかできない馬場のために、全日本の事務所借りて電話引いて資金出したの誰だとおもってんの」と書いたら、無視されてしまいました(笑)
先日の「菅田将暉のファン」のお話の関連ですが、欠点弱点も含めて向き合うことができず、いいところだけをみて礼賛するのはプロレスファンも同じなのでちょっとがっかりしました。

by いっぷく (2019-01-21 05:58) 

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