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●我が母、心臓バイパス手術後6日目、酸素マスクは外れたが、「深部体温」はどうなのだろうか~ある音楽バーのある女性が言っていた、「とてつもない困難の中の~」。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後6日目、酸素マスクは外れたが、「深部体温」はどうなのだろうか~ある音楽バーのある女性が言っていた、「とてつもない困難の中の~」。

末尾ルコ「母の話、ある女の話」


3月23日(土)

午後2時30分の面会。

酸素マスクが外れている。
つまり酸素を送っているものは鼻へのチューブのみとなっていた。
もちろん酸素マスク越しよりも話がしやすい。
表情もよく見えるし、マスクがない分表情もいろいろと変わる。
ドレーンがまだ外されてないのが不思議ではあるが、少なくとも徐々に「管」や「機器」は少なくなっている。

午後7時30分

ほぼ眠っている。寝言のような言葉を繰り返す。
母が使用させてもらっているベッドの頭の側に血圧や脈拍などを刻々と示すモニターが設置されているが、この夜に気になったのが体温だ。
体温と言っても普段わたしたちが測ることの多い脇の下ではなくて、「膀胱内の体温」を常にモニタリングしているのだという。
このいわゆる「膀胱温」などを「深部温度」と呼ぶことも今回初めて知ったが、この夜の母は38度に達することが多くなっていた。
とは言え前日まではこの数値をさほど気にしてなかったのでしっかりした比較はできないが、確かだいたい37.5度強だったのではなかろうか。
看護士に尋ねると、「38度くらいなら、術後はどうしてもこのくらい出ることもあり」と言うのであるが、当然ながらとても気になる。
(これ以上体温が上がったらどうしよう・・・)と不安は尽きない。
しかし前日まではなかったラジオがつけられていて、何やら「いきものがかり」の番組を放送していた。
夜の時間は睡眠薬が効いていることが多く、二日続けて母は夢うつつである。

・・・

そう言えばかつて、そう、もう15年以上前になるだろうか。
わたしがまだ進学塾教師だった頃、仕事が終わるのが夜11時半くらいなのだったけれど、その後すぐに高知市の某音楽バーへほとんど連日直行していた時期があった。(なんと、一切酒を飲まずに 笑)。
よくもまあそんな生活をしていたと今となっては呆れるが、まだ塾教師になりたてで周囲との折り合いがまったくつかずに、わたしは職場以外に「場所」を求めていたのだ。
まあそこへ集まるのは音楽関係、音楽好きが多かったのだが、同時に映画や小説、プロレスや格闘技も好きな人たちは当時もまだまだ多かった。
店には「ある女」がいて、当時は30を少し出たくらい。
その界隈へ出入りする人たちの一部から女教主のように崇められている女だった。
わたしも彼女を知った頃は(こんな凄い人がいるのか)とカルチャーショックを受けたものだが、頻繁に会話を交わしていくにつれて、その考えの中に受け入れ難い要素がかなりあることが分かり、結局のところ短い付き合いだった(男女の関係ではありません)。

ただその人が言っていたことの一つでこのところ思い出すエピソードがある。
彼女は両親に深い愛情を持っていたのだけれど、父上が脳の病気で倒れた。
生命の危機に見舞われ、救急措置を待っている最中、彼女は生まれて初めて心の底から祈り続けたという。
麻痺は残ったけれど、父上の命は助かった。
こうしたとてつもない困難の過程で、彼女は(こんな時に笑えるだろうか)と思い、試みていたのだという。
わたしは今、どうなのだろうか。

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コメント 8

kuwachan

お母様の症状、まだまだ不安が尽きないご様子ですが
「管」や「機器」は少なくなっているとのことですから
良い方向に向かわれていると信じたいですね。
by kuwachan (2019-03-25 00:30) 

(。・_・。)2k

心配ですがメス入れてますから
時間もかかるのではないでしょうか
まだ 6日目です 僕もカテーテルだけでも
1週間ちょっとまともに動けなかったですから

by (。・_・。)2k (2019-03-25 00:58) 

いっぷく

>38度くらいなら

深部温度は私の子供達もICUで測ってましたが、しばしば38度台になりました。
一度医師に尋ねたことありますが、「体温の高さは許容範囲です。体温が高いということは体内のバイキンを殺しているのでいいことです」と言っていました。健康食品や民間療法の推進者が言ってることで、初めて医学的に正しいことがあると知りました。
私が子供の頃は、すぐ解熱剤を出したり注射をしたりしていましたが、医療も変わったんですね。
なぜ尋ねたかというと、脳をヤラれていたので、脳は冷やして維持する療法があるため、熱で脳が温められるのはよくないのではないかと思ったからです。
しかし、ヒートショックプロテインは平熱より2度高いときが一番産生することを後から知ったので、その場合むしろ週に2日、中3日ぐらいで39度ぐらいになるのが理想ということになります。

>こうしたとてつもない困難の過程で、彼女は(こんな時に笑えるだろうか)と思い、試みていたのだという。

母は既往16年で19回入院する以前にも、胃が悪い、食道がんかもしれないなど、何度か深刻な話をしていたことがあり、その都度気はもめましたが、泣きはしなかったですね。泣くよりも情報収集して役に立つことはできる限りやっておこうという考えだったもので。
では笑えるかというと、まあそれもむずかしいかな。ただ私の場合、そもそも自分の人生自体、いろいろ不本意なことや心配事がいつも自分の心を覆っているので、少なくともおとなになってから、心から笑ったことはありません。ですから、母のコンディションを笑えない固有の原因としては検証するのもむずかしいですね。
by いっぷく (2019-03-25 04:56) 

wildboar

深部体温のこと、初めて知りました。
by wildboar (2019-03-25 07:02) 

hana2019

人間が生きていく上で体温は大きな基準となる数値であり、そこから見えてくる身体状況はあるかと思うものの、一般的な体温、そこに合わせて「深部温度」ですか。
疑問を感じる、問い合わせたい事柄が次々と出てきて、RUKOさん自身、お気持ちの休まる時間がないと想像されます。
それでも、少しずつ前に向かっているのは事実ではないでしょうか。

>溝口健二、小津安二郎、黒澤明監督の重大な作品に出演している偉大な女優香川京子は現在87歳なのだという。
87歳と言えば、我が母と同い年です。
先ごろ「この世界の片隅に」へ出演されていましたけれど。
「山椒大夫」「近松物語」「東京物語」という掛け値なし、超弩級の傑作達のどれも現代の若者たちは観ない、知ろうとしないでしょうから・・・香川京子に対してはただのお婆ちゃんとしてしかの認識しか持たない。
『ジャポニスム2018』の「日本映画の100年」という企画にゲストとして参加。
87歳で十数時間を旅してフランスへ、上映後に登壇、貴重なトークを展開したのは、その年齢からいって世界レベルでも快挙としか思えません。
by hana2019 (2019-03-25 09:33) 

JUNKO

睡眠薬でお休みになっている方が苦痛を感じなくてよいかと思います。術後の38度ぐらいは普通ではないでしょうか。管が日に日に減っていくのが一番うれしかったです。
by JUNKO (2019-03-25 12:44) 

ニッキー

深部体温を測るのは初めて知りました(゚ロ゚)
38度はちょっと高い気もしますが、
酸素マスクが外れたり、ラジオをつけてたり、
話が出来るようになったり・・・
まだまだ予断は許されないとは思いますが、
ちょっとずつ、着実によくなられてるご様子に
ほっと一安心しました(^_^)


by ニッキー (2019-03-25 12:52) 

ゆうみ

術後は 体の中で いつもの体に戻るように
オーバーヒートしてる状態だと思います。
お母さまの体 元に戻るように がんばってるんですね。
もうじき 下がってくると思います。
最後の段落読みながら 父が危篤になった時のこと
母が倒れた時に 撮影が入ってて すぐに駆け付けることができず
ファインダーを見つめながら 心の中で多くの葛藤があったこと思い出しました。
by ゆうみ (2019-03-25 22:32) 

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