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●高橋惠子、かつては関根恵子出演のBS朝日『ザ・インタビュー』を観ながら、「事実と真実」に関して思いを馳せ、さらに「レモンセックス路線」に関心する秋の日。

●高橋惠子、かつては関根恵子出演のBS朝日『ザ・インタビュー』を観ながら、「事実と真実」に関して思いを馳せ、さらに「レモンセックス路線」に関心する秋の日。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

高橋惠子出演のBS朝日『ザ・インタビュー』は予想通りとても興味深い内容であって、高橋惠子が答えた内容はこれまで各メディアで伝えられてきたものとだいたい同じ部分もあれば、微妙に異なるニュアンスを感じさせる部分もあった。
インタヴューを観ながら今更ながらに感じたのは、「事実とは何か・真実とは何か」という根本的命題であり、「事実」という言葉と「真実」という言葉のニュアンスの違いはここでは突っ込まないけれど、

「起こった事実は一つ」であるが、

その「一つの事実」を正確に再現することは誰にもできないのである。

例えば、高橋惠子自身が高橋惠子について語っていることは、もちろん他の誰が語るよりも高橋惠子についてより正確に語っている可能性は高いけれど、それをそのまま「正確な事実」と信じるのは危険であるということ。
もちろんこれは高橋惠子についてだけでなく、「人間皆、同じ」である。
「自分で自分が行った事実、あるいは自分に起こった出来事を語る」ことは「正確さ」を保証するものではないし、まして「自分で自分の人間性や性格などに関して語る」よりも、「観察眼の鋭い第3者が語る」方がずっと「正確に近い」可能性もある。

と、少々込み入った語り方になってしまったが、『ザ・インタビュー』の高橋惠子が「間違ったことを言ってた」ということではなく、番組を観ながらわたしの心中にこのような思考があらためて生まれたという話である。

『ザ・インタビュー』の中の話にはとても興味を惹かれるところが多々あったが、何よりもデビュー作の『高校生ブルース』の時に15歳であって、その中でのヌードシーンなどが社会的に大きな反響を呼んだというのにはやはり驚かされる。
15歳の女優のデビュー作である。
まさに「今」とは時代が違う感が強いが、さらに驚いたのは、わたしが子ども時代、すっかり松田優作のファンになった『太陽にほえろ!』でジーパン刑事と惹かれ合う「シンコ」役を演じていた時が、「17~18歳」の時期だったというではないか。
わたそが、いやわたしが子どもだったからでもあるけれど、「関根恵子=シンコ」、完璧に「大人の女」に見えていた。
そうですなあ、だいたい「30歳前後の思慮深い大人」に見えておりました。

『太陽にほえろ!』の関根恵子は、ゴールデンタイムのテレビドラマであるから当然なのだが、「セクシー路線」的雰囲気は、わたしの記憶ではまったくなかった。
だからその後世間を大騒ぎさせたスキャンダラスな関根恵子と「シンコ」はまったく結びついてなかったのである。

ところで『高校生ブルース』を第一作として、

「レモンセックス路線」

というシリーズで一連の映画が製作されたそうである。

「レモンセックス路線」・・・いいじゃない、このネーミング♪

うふふ。

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いっぷく

>「自分で自分が行った事実、あるいは自分に起こった出来事を語る」ことは「正確さ」を保証するものではないし、まして「自分で自分の人間性や性格などに関して語る」よりも、「観察眼の鋭い第3者が語る」方がずっと「正確に近い」可能性もある。

高橋恵子も、せっかくヌードまで披露してこれからという時に大映はつぶれるし、女優生命をかけて逃避行までしたのに相手とは破局するしで、苦労をしているので、結婚を機に名字も関根から高橋に変えましたし、自分をどういうスタンスで何を語るかは、彼女自身いまだにきちんと整理できていないのかもしれませんね。
いずれにしても、取材がなくてもいけないが、取材だけに頼らずに論考を、といつも私が思っていることに通じますね。

プロレス雑誌で、レスラーの独白だけで記事を仕上げて、それはそれで読み物として面白いのですが、真実という保証はないですからね。嘘というよりレスラーとしてのイメージから意図的に創作しているところや、悪意・作為はなくても本当に勘違いしているところもありますし、自分のことはなかなか客観的には語れないですね。

後味の悪い「勘違い」としては、大変残念ですが上田馬之助の自伝『金狼の遺言 ー完全版ー』はひどかったですね。
自伝という体裁で、馬場との確執に半分以上紙数を費やしているのですが、「猪木クーデター事件で自分は密告者扱いになっているが、本当の密告者は馬場だった。だけれど当時は馬場がエースだから自分がそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」として、「証拠のメモもある」とまで書いているのですが、そのメモなるものは公表されていません。
そもそもそのメモがなければ問題にならないし、当時の関係者は誰も上田説には同調していないのですね。
上田の話をよく読むと、自分が密告した事実はない、と言っているのではなく、自分の密告より先に馬場が密告したと言っているだけで、自分もうたっていることにはかわりはないのです。
上田の言い分を聴いていると、要するに、猪木を売って自分は保身に走ったか、上田自身も猪木がクーデターだと思っていたかどちらかであることはかわらず、その主たる問題は何らクリアにならず、でもとにかく馬場を悪者にしたいという悪意だけの自称「新事実」で、なんとも後味の悪い「遺言」でした。

しかも、日本プロレスが崩壊して全日本プロレスに合流した時に冷遇されたことについては、同じ釜の飯を食った仲なのに冷遇するのは「常識以前の問題」だと憤慨しているくだりは、ホントにこの人はレスラー間で「人格者」といわれていたのか疑問符がつきました。、
馬場が独立した時、ついてきてくれた生え抜きを大切にするのは当たり前ですし、日本プロレスの残党は、そのときついてこなかったわけですから。馬場は日本陣営を揃えるのに、引退していたサンダー杉山に頭を下げたり、デストロイヤーに日本に来てもらったり、国際から肥後宗典をもらったり、ヒロ・マツダやマティ鈴木に助けてもらったりしてずいぶん苦労しているだけに、「何だいまさら来やがって」というのはあると思います。
ましてや、当時日本プロレスのグレート小鹿は、ダラスのフリッツ・フォン・エリックに「全日本プロレスにはいかないでくれ」とストップを掛け、ロスのミスター・モトにも協力しないよう手を回したのです。
そのご褒美で、フリッツ・フォン・エリックは「アイアンクローシリーズ」に招聘され、インタータッグまで大木があっさり2フォール取られて戴冠させたのです。
何より、合流当時の上田に商品価値があれば、馬場は上田を重用したのです。げんにその数年後、タイガー・ジェット・シンと殴り込んだ時は、インタータッグまでとらせているわけですから。
合流当時、冷遇されたのは、馬場を恨むことではなく、たんな自分がプロとして集客能力がないだけの話なのです。プロとして逆恨みと言うか、恥ずかしい話です。
上田も死が近くなって、自分の人生を正当化して振り返りたくなったのかもしれませんが、上田の晩節を汚してしまった一冊ですね。

「悪意・作為はなくても本当に勘違いしている」典型は大木金太郎ですね。密入国して力道山が身元引受人になったのは事実らしいですが、そのブロセスで、力道山に弟子入りしたくて密入国したところ大村収容所に入れられたというのは疑問視されています。
実際横浜の魚河岸で働いていた時期があり、そのときのノウハウや人脈で韓国に帰ってから海産物の事業を始めているのです。要するに出稼ぎか修行目的で密入国しただけで、でまかせというわけではないですが、力道山はもしかしたら二の次だったかもしれないのに、作られた(?)プロフィールを後に大木自身がそうだったと信じ込んでしまっているらしいのです(笑)
だから横浜の時間をなかったことにしているので、年齢も辻褄が合わなくなって本人もわからなくなっているところがあるのです。プロレス雑誌によって生年月日が違いますよね。
何度か書かせていただいたように、無原則な出たがりだし、技は受けずに、戸口にも「カタイ」といわれているし、名勝負は猪木戦ぐらいだし。華もないくせに不思議と名前が覚えられているのは、そうした面白困ったキャラクターが佇まいやファイト内容に出ているのかもしれませんね。
by いっぷく (2017-11-02 02:38) 

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