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「真昼の決闘」 [高貴な感覚 エロティシズム]

「真昼の決闘」フレッド・ジンネマン監督

冒頭テーマソングが流れる中、リー・ヴァン・クリーフがニヤリと笑う。そこですでに痺れ、あとはひたすら作品世界に引き込まれる。この傑作がなんと85分だ。「大衆」のおそまつさも浮き彫りになる。

9点
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「言葉の意味」によるエロティシズム 配偶者のいる女性・人妻 [高貴な感覚 エロティシズム]

言葉を聞く、あるいは読むことによって喚起されるエロティシズムは、少なくとも地球上では人間のみのものだと思われる。
思われる・・けれど100%確信があるわけではない。
高等な知能を持っているとされる動物は、ひょっとして言葉によって快感を得たりしているのだろうか。
まあ、鳴き声でメスを惹きつけようとするのはよくありますよね。
あれは・・。
あるいはイルカなんかが実は、
「ねえ、君ってセクシーだねえ」
「あら、お上手ばっかり・・」
「どう、今夜はご主人いないんでしょ」
「もう、いやな人・・」
などという大人の会話(激爆笑)を交していたりするのだろうか。
そんなことわたしは知らない。
ちなみにわたしは動物の優劣を「知能の高低」で決める考えは嫌いである。

話が横道に敢えて逸れたが、とりあえず「言葉の意味」によるエロティシズムは人間独特のものだとしておこう。
同じもの(意味)を表すときでも、喚起されるエロティシズムが大きく変わるのがおもしろい。
だから言葉は注意深く使わねばならない。

「配偶者のいる女性」を表す言葉は多様に存在する。
「奥さん」「嫁」という古風な言葉から、
「妻」「女房」「主婦」「パートナー」「マイ・ハニー」「マ・シェリー」「ダーリン」・・。
まあ、一部ほとんど使われない言葉も敢えて挙げてみましたが・・。(ウフッ)
多くの男性に非常に人気の高い表現が「人妻」である。
「妻」の前に「人」を付けるだけで、いきなり淫靡な雰囲気になる。
と言うよりも、ほぼ淫靡な文脈でしか使用されないのがこの言葉だ。
例えば母親が参観日に行き、他の保護者に「わたしは人妻をやっています」とは普通言わない。

                                     つづく(かも・・)

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マリオン・コティヤール「クロエ」の「快感を伴う凌辱」について 2 [高貴な感覚 エロティシズム]

「クロエ」の「快感を伴う凌辱」とはこのようなシーンだ。

男に拾われたクロエ。まだ男が「人間のクズ」かどうかは分からない。
ある酒場。男は仲間とカードをしている。そして負ける。
金の無くなった男だが、カードを止めようとはしない。
そして「今度負ければあの女を脱がせることにする」と言いだす。
そして負け、クロエに脱げと命じる。タチの悪い仲間たちの前で。

クロエは戸惑い、怒るのだが、結局は徐々に脱いでいき、全裸でゆったりと体を揺らす。

ここには非常に複雑なエロティシズムが関わっているし、ある意味非常に文明的な快感に満たされている。
つまり今のところ人間以外ではあり得ない快感だ。
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マリオン・コティヤール「クロエ」の「快感を伴う凌辱」について 1 [高貴な感覚 エロティシズム]

「良識派」がどう否定しようが、凌辱される側に快感を覚える場合があることは事実だ。
これは「凌辱される側」が男女どちらでも同じことである。

マリオン・コティヤール主演「クロエ」では、
映画の後半は主人公に対して「苦痛」「屈辱」「その恐怖」でしかない凌辱が繰り返される。
こうなるともはや「犯罪」でしかない。

けれどコティヤール演じる主人公が「悪い男」と出会って間ないとき、
まだ彼が自分を愛しているかもしれないという希望があったとき、
凌辱と快感の狭間をたゆとう感覚を上手に表現したシーンがあった。

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マリオン・コティヤールの全裸・暴力・凌辱「クロエ」について [高貴な感覚 エロティシズム]

なんだかんだ言って、いまだに日本は女性が肌を晒すことに関してナイーブな社会だ。
それを悪いと言っているわけではない。
肌を晒すことに関してデリケートだからこそ、
いざ晒すべき時に得られる特別な快感があることは、多少の感性さえ働かせれば誰しも理解できるだろう。
その意味で日本人は肌を晒すことに対する「恥じらい」を無くすべきではないと思うのだが・・。
要するにビーチで日本女性がトップレスでいることが普通になったら、日本文化から大きなものが喪失すると思うのだ。
反面、いつまでたって「脱ぐ」「脱がない」を話題にする日本のメディアにも辟易させられるものがある。
あれは「幼稚」そのものだ。

最近マリオン・コティヤールの「クロエ」というDVDを観た。
1996年の作品で、監督はDennis Berryである。
マリオン・コティヤールは言うまでもなくエディット・ピアフを演じて昨年オスカー主演女優賞を獲得した。
その女優が1996年作品でJean-Claude Adelin演じる「悪い男」に暴力を含めた凌辱を受ける。
その描写はかなり激しいもので、もちろん随所に全裸(およびそれに近い)シーンが出てくる。
日本で言うところの「ヘアヌード」など当たり前のように出てくるわけだ。

もちろんヨーロッパ映画では、暴力・ヌードなど当たり前なのだけど、
この「クロエ」はテレビ作品だというではないか。
テレビ作品でこれ・・。
「蛇にピアス」で吉高由里子「胸が映った」だの「腰が映った」だの騒いでいる人たちがより滑稽に見える。

で、わたしの考えだが、
社会的には日本人は肌を晒すことに対する「恥じらい」を無くすべきではないと思う。
肌を晒す人を否定はしないが、それは日本が「肌を晒さない社会」であることを前提とした上での試みだと位置付けるようにする。
それは日本文化の独自性を守る行為でもある。

しかし映画などの芸術表現においては、表現者である俳優(女優)たちは、もっと肌・精神ともに勇気を持って裸になるべきだ。

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映画「アンテナ」。加瀬亮とSM女王のマゾヒスティックなマスターベーション [高貴な感覚 エロティシズム]

SM!などと称して全然エロティックでない映画が多い昨今、
熊切和嘉監督の「アンテナ」はエロティシズムの観点から、かなり満足のいく作品となっている。
田口ランディ原作のこの作品は、もちろん「SM映画」というわけではない。
けれど「死」充満する家庭の中にいる加瀬亮による、
目を見張るようなマスターベーションシーンも含め、多くの場面でエロスとタナトスが色濃く交錯する作りとなっている。
一見穏やかに見える加瀬亮の過激な実像や「覚悟」を知りたければ、
この「アンテナ」は必ず観ておかねばならない。

SM女王役として小林明実が登場する。
黒いノースリーブのドレスに黒いヒール。
もちろん陳腐な「女王様スタイル」ではない。
しなやかな体、長い黒髪、そしてすらりと伸びた美しい指。
顔のアップは少ないが、その佇まいは扇情的だ。

SMのセッションを行う部屋は小さなキリスト教会のように見える。
その小さな部屋に、黒いドレスの彼女といるだけで、ほとんどの男はエレクトするだろう。

彼女はこのような意味のセリフを言う。
「あなた、わたしを想って、したでしょう」
このセリフは正確でないかもしれない。しかし、このような意味のセリフだ。

なんとエロティックな場面なのだろう。
人間の性欲が動物の性欲と大きく違うのは、エロティシズムにおける言葉の役割だ。
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ソフィスティケートされた発情期の野獣マルーシュカ・デートメルス(デトメール) [高貴な感覚 エロティシズム]

単なる発情期の野獣ならつまらない。
それらは人を疲れさせるだけで、少なくとも「エロティシズム」という言葉に当てはまることはほとんどない。
世の中には発情している動物にエロスを感じる人間もいるだろう。
けれどそれはわたしの考えるエロティシズムではない。

ゴダールの「カルメンという名の女」。
黒のタイトスカートとハイヒールのマルーシュカ・デートメルス(デトメール)は、
見事のソフィスティケートされた美しさを持ちながら、
その存在は発情した性器そのものだった。

Maruschka Detmers!

90年代以降、ほとんど活躍を聞かなくなったのが残念であるが。

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高級団地妻的エロスのモニカ・ビッティ。 [高貴な感覚 エロティシズム]

ミケランジェロ・アントニオーニ監督のミューズだったモニカ・ビッティは、
実存主義的時代の虚無を漂わしながら・・なんてことは今となってはあまり重要でない。
やや面長でやや能面じみた顔は、常に男の性的能力を見定めようとしているようだ。

日本では一時「団地妻」という言葉が男の情欲を焚きつける重要キーワードの一つだったが、
もちろんモニカ・ビッティに日本の「お座敷的」な団地妻のイメージはない。
けれど完璧にインドアの抑鬱をまとったモニカ・ビッティは、
あえて言うなら、ヨーロッパのブルジョワ高級団地妻的エロスの体現者だった。
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佐々木希の飛び抜けた色気に関して [高貴な感覚 エロティシズム]

現在の段階で佐々木希が素晴らしい女優になるかどうかという可能性を語るのは早すぎるし、それは他の女優たちにも失礼にあたるけれど、
素材としては抜群に素晴らしい。
例えば団鬼六・・とは言わないまでも、谷崎潤一郎作品などに出たら今までにない映像が撮れると思うのだが。
もちろん芝居の訓練は必要だけれど、映画の世界のスターはまず大画面に登場して客を酔わせる天性が必要だ。
そしてそれは「天性」なだけに、舞台俳優やテレビ俳優がどう努力しても見に付かないものなのである。

わたしは佐々木希に飛び抜けた色気、艶めかしさを感じるのだが、
それはややアンバランスにデフォルメされたような顔立ち、そして過不足のない完璧なプロポーションと内側に籠る白さを持つ肌質から来ている。

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「週刊プレイボーイ」グラビア、十分にエロティックな佐々木希 [高貴な感覚 エロティシズム]

「週刊プレイボーイ」7/20号NO.29に佐々木希のグラビアが載っていた。
表紙は佐々木希のどアップだ。
これがなかなかいい。

佐々木希はまだ「女優」とは言えないが、
既成の多くの女優たちよりも遥かに高い可能性を持っている。
まず「美しい」し、その「美しさ」が鋭く切れている。
鈍い「きれいさ」ではないのだ。

その「美しさ」の切れ味には
多分に「艶めかしさ」が含まれている。
「艶めかしい」なんて表現できる女優が今どのくらいいる?

佐々木希は美しい、そしてエロティックだ。
この素材を映画界は生かすべきだろうし、
佐々木希自身も勇気を持って女優の世界に入ってほしい。


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