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●末尾ルコ 芸術に関するフラグメント。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ 芸術に関するフラグメント。

芸術がスノビズムではなく、芸術そのものである限り、「人間そのもの」と常に直結しているはずです。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年4月5日 [「言葉」による革命]

どんなことであれ
何も保証するものでは
ないことを知っていても

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌180日目~この時期にカフェで大声で盛り上がる若者。~映画『探偵物語』、キスシーンの前の、薬師丸ひろ子、松田優作の「愛の対話・愛の演技」。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画の話題」

3月31日(火)手術後377日目
退院後180日目

3月28日、東京などは「不要不急の外出自粛」の夜だったが、高知のスターバックスのある店舗、午後10時を過ぎにかなり多くの若いお客さんがいたけれど・・・そのほとんどが実にたのしそうにでかい声で会話をしていた。
春休み中、帰省している人と久しぶりに会っているのかもしれないし、この季節気持ちがウキウキするのも当然だけれど、新型コロナ禍の中、そこまで大きな声で盛り上がらなくてもと思わないでもなかった。
いや、わたしとて現在の状況で「外出の是非」について確信があるわけではないし、いまだ「エビデンス」とやらを示しながら「新型コロナは恐れずに足らず」なんて主張する論者もいるわけで、現在の世界情勢を見ると(何を言ってんだ・・・)という感じにはなるけれど。

・・・

ひっさしぶりに薬師丸ひろ子、松田優作の『探偵物語』を観たけれど、赤川次郎原作、その緩さにけっこう躍り出た・・・じゃなくて驚いた。
そもそも赤川次郎原作、女子大生が探偵と一緒に殺人事件の捜査を始めるという現実離れしたお話で、こんなキャラクター、当時の大映画スター薬師丸ひろ子でなければ成り立たないと言うか、観てられない作品になってしまうだろう。
この『探偵物語』も、薬師丸ひろ子であってさえも、(どうなの、これ?)という感覚は否めなかった。
まあ当時(1983年公開)の特に女性の服装が今見てどうかというのはご愛嬌としても、全体的に平板な演出、抑揚のないせりふ回しと、どうにも気怠い時間が続く。
(この気怠さが80年だいなのか・・・)などと思いつつ観ていたのであるが、
ところが
ところがクライマックス!
映画の様相は激変する。
薬師丸ひろ子が松田優作の部屋へ入って来る。
二人はちゃぶ台(?)を囲み、対話を始め、それは徐々に痴話喧嘩となっていく。
二人は既に惹かれ合っていることを鑑賞者は知っている。
薬師丸ひろ子はここへ自分に気持ちを伝えに来た。
しかし松田優作はそれを(受け入れるべきではない)と思い込んでいる。
対話は口論となっていき、しかし松田優作は「大人として」薬師丸ひろ子と正面切って語り合おうとしない。
あくまで彼女の気持ちを避(よ)けようとし続ける。
そして遂に薬師丸ひろ子は彼に「好きです」と言い、部屋を出ていく。
切迫感溢れる薬師丸ひろ子の表情が素晴らしく、ほとんど表情を変えずに揺れ動く恋心を表現する松田優作も凄い。
そして部屋に一人取り残された松田優作の複雑極まりない表情・・・。
このクライマックスへ来て、平板なエンターテインメントとして進行していた『探偵物語』がものの見事な「愛の物語」として昇華する。
その後語り草となっている空港でのキスシーンへと繋がるわけだ。


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