●末尾ルコ フラグメント「ユリアンナ・アヴデーエワとスヴェトラーナ・ザハロワのストレッチ」。 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ フラグメント「ユリアンナ・アヴデーエワとスヴェトラーナ・ザハロワのストレッチ」。
ユリアンナ・アヴデーエワ モーツァルト
「ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調」
そして第2楽章へと もちろんわたしは「小さな死」と しかもマニュエル・ルグリオレリー^デュポンの。そして「みじかくも美しく燃え」を さらにスヴェトラーナ・ザハロワのストレッチまで観てしまい
ユリアンナ・アヴデーエワ モーツァルト
「ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調」
そして第2楽章へと もちろんわたしは「小さな死」と しかもマニュエル・ルグリオレリー^デュポンの。そして「みじかくも美しく燃え」を さらにスヴェトラーナ・ザハロワのストレッチまで観てしまい
●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌182日目~病院の「面会禁止」という過酷な状況。~「濃厚接触」の概念を復習。~消えた?「正しく怖れましょう」。 [「言葉」による革命]
末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題」
4月2日(木)手術後378日目
退院後181日目
3月30日付の『高知新聞』朝刊『新型コロナ 声・・・高知から』というコラムで、新型コロナウイルス対策による病院の面会制限のために苦しめられた(苦しめられている)患者家族の状況が取り上げられていた。
例えば93歳の父親を3月15日に亡くした61歳の息子さんのお話。
この記事によれば、彼の父親は心不全で昨年12月から入院していたが、いたって元気でリハビリにも励んでいたという。
ところが2月中旬から病院では「危急の場合以外は面会禁止」となり、その約3週間後に「危篤状態となった」という連絡が入る。
容体が急変したのであるが、駆け付けたけれど父親は既に亡くなっていたのだという。
またこの男性の母親は認知症で介護施設に入居しているというのだが、この施設も面会禁止。
同コラム取材時点では、父親の死を母親にもまだ伝えられてないという。
何という過酷な、残酷な状況なのだろうか。
しかしこうした状況は誰でもすぐにでも直面する可能性がある。
・・・
新型コロナウイルス禍が世界を席巻し始めてから毎日「避けるべき」と言われ続けているのが「濃厚接触」だが、ここではその概念についておさらいしておこう。
厚生労働省のサイトによると、次のような説明が掲載されている。
「➀距離の近さと➁時間の長さです。必要な感染予防策をせずに手で触れること、または対面で互いに手を伸ばしたら届く距離(目安として2メートル)で一定時間以上接触があった場合に濃厚接触者と考えられます。」
もちろんここで説明されている濃厚接触を慎重に避け続けたとしても「100%の予防」はあり得ないのだろう。
ただ感染のリスクを大きく下げるという方法であるのは間違いないだろうから、できる限り誰もが努力するのは当然であり、昨今「濃厚接触の概念を知らない」では社会の中で共に生きる人間としては大問題だと言わざるを得ない。
ところで最近テレビでほとんど耳にしなくなった言葉の一つが、
「正しく怖れましょう」だ。
新型コロナウイルスが日本でもメディアで取りざたされて来た時期に(もちろん同ウイルスの件以外の時も言われることがあるが)テレビキャスターたちがよくこのフレーズで締めたりしていた。
この言葉の意味する内容自体はもっともなことで特に異論はないが、「正しく怖がりましょう」といういわば「誰でも言えるありきたりの言葉」をテレビキャスターが言って何か「とてもいいことをした」という雰囲気を漂わせる・・・そんな「テレビの日常」が気に入らなかった。
けれど最早そんなフレーズを言えば誰もが鼻白むほどの事態になってしまい、「言えていた頃は平和だった」と懐かしむ人も多いのだろうか。
そもそもこのフレーズがしょっちゅう使われていた時期、誰が「正しく」と言えるほど新型コロナウイルスについて正確に把握していたと言うのか。
4月2日(木)手術後378日目
退院後181日目
3月30日付の『高知新聞』朝刊『新型コロナ 声・・・高知から』というコラムで、新型コロナウイルス対策による病院の面会制限のために苦しめられた(苦しめられている)患者家族の状況が取り上げられていた。
例えば93歳の父親を3月15日に亡くした61歳の息子さんのお話。
この記事によれば、彼の父親は心不全で昨年12月から入院していたが、いたって元気でリハビリにも励んでいたという。
ところが2月中旬から病院では「危急の場合以外は面会禁止」となり、その約3週間後に「危篤状態となった」という連絡が入る。
容体が急変したのであるが、駆け付けたけれど父親は既に亡くなっていたのだという。
またこの男性の母親は認知症で介護施設に入居しているというのだが、この施設も面会禁止。
同コラム取材時点では、父親の死を母親にもまだ伝えられてないという。
何という過酷な、残酷な状況なのだろうか。
しかしこうした状況は誰でもすぐにでも直面する可能性がある。
・・・
新型コロナウイルス禍が世界を席巻し始めてから毎日「避けるべき」と言われ続けているのが「濃厚接触」だが、ここではその概念についておさらいしておこう。
厚生労働省のサイトによると、次のような説明が掲載されている。
「➀距離の近さと➁時間の長さです。必要な感染予防策をせずに手で触れること、または対面で互いに手を伸ばしたら届く距離(目安として2メートル)で一定時間以上接触があった場合に濃厚接触者と考えられます。」
もちろんここで説明されている濃厚接触を慎重に避け続けたとしても「100%の予防」はあり得ないのだろう。
ただ感染のリスクを大きく下げるという方法であるのは間違いないだろうから、できる限り誰もが努力するのは当然であり、昨今「濃厚接触の概念を知らない」では社会の中で共に生きる人間としては大問題だと言わざるを得ない。
ところで最近テレビでほとんど耳にしなくなった言葉の一つが、
「正しく怖れましょう」だ。
新型コロナウイルスが日本でもメディアで取りざたされて来た時期に(もちろん同ウイルスの件以外の時も言われることがあるが)テレビキャスターたちがよくこのフレーズで締めたりしていた。
この言葉の意味する内容自体はもっともなことで特に異論はないが、「正しく怖がりましょう」といういわば「誰でも言えるありきたりの言葉」をテレビキャスターが言って何か「とてもいいことをした」という雰囲気を漂わせる・・・そんな「テレビの日常」が気に入らなかった。
けれど最早そんなフレーズを言えば誰もが鼻白むほどの事態になってしまい、「言えていた頃は平和だった」と懐かしむ人も多いのだろうか。
そもそもこのフレーズがしょっちゅう使われていた時期、誰が「正しく」と言えるほど新型コロナウイルスについて正確に把握していたと言うのか。