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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~「世界観」とか「伏線の回収」とかとは程遠い、蓮實重彦の映画への視点。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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ずいぶん前からよく耳にし、目にするのが「世界観」という言葉。
実に曖昧な使い方をされているけれど、「世界観」という言葉を使えば自分が(何か重要なことを論じている)ような幻想に浸れるのだろう。
同じくよく使われるのが、「伏線の回収」。
映画にしても小説にしても、伏線の回収を第一義とする鑑賞姿勢は豊かとは言い難い。
そもそも人間の人生に伏線などないし、なので回収されることもない。
ある種の神秘主義的思考で少し似た感覚を味わうことがあるけれど、それはまた別のお話。


次の蓮實重彦の言葉を見ていただきたい。

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「パッとロングショットの画面になり、向こうに電車が見えるかと思うと、手前にも電車が走る。プロデューサーならそれはやめろと言うのではないかと思うような複雑極まりないショットを撮られている。あそこに感動してまして、やった!やった!と誰がやったんだか知りませんけれども(笑)、私はそう叫んでいた、自分でも知らないうちに…」

(『ユリイカ』12月号)より

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これは『ユリイカ』2022年12月号で『ケイコ目を澄まして』を絶賛する蓮實重彦の言葉の一例だが、もちろん一般の鑑賞者が大批評家と同様の鑑賞眼を持てはしないけれど、しかしこのような映画表現に感動する感覚を身につけるべく映画と向き合う姿勢は持つべきである。

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