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●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「この世界は地獄」なのか、それとも「輝きに満ちた場所なのか」。 [「言葉」による革命]

※2019年5月21日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・・「戦いの最前線」は、「家庭」・「カフェ」、そして「あなた」~「この世界は地獄」なのか、それとも「輝きに満ちた場所なのか」。

このところお話ししいてる多く、「人間性、人生の本質」に関わることです。

わたしが声を大にして訴えたいことの一つが、

「日本人はもう何10年も、人間性、人生の本質について語ってない、語ろうとしない」

ということ。

もちろんいつの時代もそうしたことを語る人は存在するのですけれど、ごくごく少数派であり、語れば変人と見られかねない状況です。

日本人がこのような精神状態に陥ってしまった理由は複雑ですが、最も大きな理由の一つが、

「経済効率最優先メンタリティの浸透」です。

経済が大事なことは言うまでもないですが、しかし「経済効率最優先思考」には無数の嘘が混じり込んでいます。
そこはもう見抜かねばなりません。
いつまでも愚劣なダンスもどきを踊らされてはいけません。

で、次の問いかけを見てください。

「この世界は地獄」なのか、それとも「輝きに満ちた場所なのか」。

どうお感じになりますか?

(続きは、有料メルマガでお願いします)


●「言葉を語れ 美のように 戦士のように」

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革命・芸術 末尾ルコ

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年5月17日 [愛の景色]

わたしの世界もあの時間から
ほんの20日ほどで大きく変わっている
苦しいが
苦しいからこそ見えてくる世界
命が削られるほどの痛みを
毎日感じているからこそ見えてくる

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●我が母、心臓バイパス手術後闘病記53日目~「家へ帰る!」と叫んだ母との2時間以上にわたる対話~欠落した手術前後の記憶。 [「言葉」による革命]

●我が母、心臓バイパス手術後闘病記53日目~「家へ帰る!」と叫んだ母との2時間以上にわたる対話~欠落した手術前後の記憶。

末尾ルコ「母の話、健康医療の話題」

5月11日(土)手術後53日目
転院18日目

この日午後4時くらい。
3度目の面会へ行くが、病室へ着く前にナースステーションの中に母の姿が見える。
傍らにいる看護師が「息子さんは来てくれたよ」と言っている。
何かあったのだろうか。
近づくと、母の表情がいつになく硬い。
「もう帰ると言い出したんですよ。それでちょっとここに来てもらってます」と看護師。
滅多に見ることのない母の強張った表情に(どれだけのストレスが溜まっていたんだ。精神の崩壊もあり得るのではないか)と、わたしも動揺する。
ナースステーションの前で少し話をした後、広いスペースへ車椅子をついていき、母との対話を試みる。
先ほどの看護師や普段リハビリを担当してくれている若い理学療法士も来てくれて一緒に説得を試みるが、母は彼女たちには耳を貸そうとしない。
わたしの言うことにはもちろん耳を貸してくれるが、それでもすぐに「その理屈はよう分らん」という。
どうすればいいのか、何を言えばいいのか。
わたしの心は、(このまま無理に入院させていたら、錯乱状態にさえなってしまう可能性があるのではない)という危機感でいっぱいだった。

わたしがまず母に語った内容はいつものように、「まだずぐには退院できないけれど、近い将来しっかりした体で家に帰れるように今は辛いけれど頑張ってもらいたい」というものだった。
この話を母は、「その理屈がよう分らん」と言うのだ。
わたしはかなり途方に暮れながらも、

「大変な手術を乗り越えてやっとここまで来たがやき、無駄にしてほしゅうないがよ」

と何度か必死で訴えた。
すると母の表情がやや変わり、「そんなに大変やったが?」と問い返してくる。
ここからの対話であらためてわたしが深く気づいたのは、

「母には手術時、手術直後の記憶がなく、どれだけ危険な状態を乗り越えているのかも理解しておらず、だから既に2か月以上も入院生活を送り、不自由を強いられていることが理不尽に感じていた」ということだ。

高知赤十字病院にいた時期はまだ術後の状態も安定せず、いわば「急性期」が続いていたこともあり、訳も分からず入院生活を送っていることに疑問を感じる暇もなかったのだろう。
転院後、頭の働きもクリアになり、身体的にも腰の痛みが残っている以外は特に不調はなく、足腰の弱体化はまだ大きな壁として存在するが、上半身の力や動きはもう普通に近くなってきている。
こんな状態でリハビリと食事の時間以外は「ベッドの上でじっとしていろ」と言われるのはまるで、「自分が無理矢理閉じ込められ、苛められている」ような感覚があったのだと言う。

わたしは2時間くらいかけて、手術直前の状態がどれだけ危険だったか、手術自体も高齢者にとってどれだけ危険だったか、そうしたことをすべて見守ってきているわたしの気持ちがどうだったか、そしてそれらを乗り越えてようやくここまできていることなどを必死で説明した。
母は時折涙を流しながら、「そうやったがかえ、そんなに大変やったがかえ」と徐々に納得してくれてきたようだった。

この日のことは一回分の記事では語り尽くすことはできない。
そして今後も母の精神的動揺が出現する可能性はいくらでもある。
しかしこの日の対話はとても重要な時間であり、わたしもあらためて、(どんなことがあっても、母にとことん付き合ってやる)と腹をくくったのだった。

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