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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~妖刀を振るわぬデ・ニーロを愉しむ大人に~オスカー、『ムーンライト』なのに『ラ・ラ・ランド』と発表された時。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。



若き日より世界最高の妖刀を振るい続けてきたロバート・デ・ニーロ。
しかし出演映画のすべてで妖刀を振るってきたわけではない。
ある時期デ・ニーロ、(安っぽい映画ばかり出てるじゃないか)的批判もあったが、『アイリッシュマン』で分かる通り、不世出の映画俳優デ・ニーロはいまだいつでも妖刀を振るえるのだ。
さりとて「妖刀を振るわぬデ・ニーロ」も愉しむのが映画ファンの礼節と心得ねばならない。
たとえば『ラストベガス』。
デ・ニーロ、マイケル・ダグラス、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クラインが余裕綽々の演技を見せてくれるだけで満足できる人間でありたい。

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2018年米アカデミー賞で最も驚いたのが、

作品賞発表のプレゼンターが、

ウォーレン・ベイティと
フェイ・ダナウエィだったことだ。

映画ファンならばすぐお分かりだろうが、この二人は前年の作品賞プレゼンターとしても登場し、「歴史的誤発表」をしてしまったコンビである。
そう。作品賞は結局『ムーンライト』だったのだが、『ラ・ラ・ランド』と発表してしまったわけだ。
結局これはウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィのミスではなく、「間違った封筒を渡されてしまった」ことが原因だったのだけれど、生中継を観ていたわたしは、(何やってんだ、ウォーレン・ベイティは!)とまず感じた。
ふざけたのか、あるいは少しおボケになってしまったのかと・・・特にわたしは『ラ・ラ・ランド』を応援していただけに、(こんなことがあっていいのか!)と、それこそSF映画でも観ているような不条理感を味わったものである。

そのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィを翌年また作品賞プレゼンターとして登壇させるとは、「アカデミー賞、やはり凄い!」とあらためて感じた。


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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『ドライビング・バニー』と『ロスト・ガールズ』のトーマシン・マッケンジー~フランスス・マクドーマンドからメリル・ストリープへの言葉。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『ドライビング・バニー』と『ロスト・ガールズ』の共通点と言えば、もちろんトーマシン・マッケンジーが出演していること、そして二つともに「母親が戦う」映画であるということ。
『ドライビング・バニー』でトーマシン・マッケンジーはその「母親」の姪であり、『ロスト・ガールズ』では「娘」である。

どちらも一筋縄ではいかないシニカルな映画である。
特に『ドライビング・バニー』のクライマックスでわたしは大きく心を動かされた。
力のある映画だ。
そのような作品の中に美貌のトーマシン・マッケンジーがそんざいしていること、それ自体が凄い。

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2018年アカデミー賞は第90回目だった。
ゲイリー・オールドマンは語った。
99歳の彼の母に、「変わらぬ愛とサポートを感謝している」と。

フランシス・マクドーマンドは会場にいる女性候補者に「立ちましょう」と促し、メリル・ストリープに対して、「メリル、あなたが立ったら他の人たちも立つわ」と呼びかけ、もちろんメリルは真っ先に立ち上がり、(ああ、こんな時にメリル・ストリープの存在は凄いなあ)と思っていたら、マクドーマンドのエモーショナルなスピーチを締めくくった言葉が、

「inclusion rider」だった。

まあポリティカル・コレクトネスを嫌悪する人たちにとっては頭痛ものの展開だったわけだが。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~うたちゃん最近の検査結果。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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うたちゃん(母)、この9月4日が誕生日、88歳となった。
たまたまその前後、8月の最終週と9月の1週目にA病院の内科、脳外科定期受診があった。
脳外科は半年に一度の頭部MRIと頸動脈エコーもあった。
で、内科も脳外科も検査結果は上々でした。
「上々」といってももちろん血液検査で基準値内に収まっていない項目はふくすうあるし、脳動脈、頸動脈ともにかなり狭窄はしている。
それは前々からのこと。
つまり88歳なりの不調はいろいろあるけれど、今現在緊急に何らかの治療するような不調はないということだと理解している。
そもそも検査結果だけでなく今のうたちゃん、まったく元気そのもので顔色肌艶もとてもいい。
内臓などの不調は肌の状態に反映されますからね。
脳外科の担当医もうたちゃんが88歳になったのを見て、「88歳?若いねえ」と言ってくれた。
ま、母自慢を図々しくいつもするわたしだが、どこへ行っても「若いですねえ」あるいは「色白ですねえ」などと褒められ、本人もウキウキ状態である。
なのでついでに「9月で8歳になりました」というホットなギャグを定番化し、皆様をもっと幸福にする所業。

とは言え、88歳です。
ぶっちゃけ、いつどうなるか分からない年齢であることも重々承知。
コロナもぜんぜん「明けて」ないしねえ。
無数のリスクを見据えつつ、これからも元気で長生きを目指していただきながら、慎重に、しかし愉しく日々を送っていく所存です。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『11人のカウボーイ』の中の『リトル・ロマンス』の「リュート協奏曲 ニ長調 第2楽章」~『ローガン』の中の『シェーン』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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多くの優れた西部劇は美しい。
何よりもその「自然」の捉え方、再び同じ状態はあり得ない「自然」の一瞬一瞬を、理想的以上にフィルムへ定着させていく。
『11人のカウボーイ』ももちろんそう。
大量の牛を移送させるために雇った11人の少年たち。
大自然の中、圧巻の牛の大群。
あるシーンで少年の一人がギターを弾く。
西部劇には普通相応しからぬヴィヴァルディの楽曲。
それは、

「リュート協奏曲 ニ長調 第2楽章」

何とこれは、ダイアン・レインの『リトル・ロマンス』で見事なまでに効果的に使われていたヴィヴァルディの美しい音楽。

『11人のカウボーイ』のクライマックス、うたちゃん(母)はずっと感涙していた。

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映画『ローガン』は米国映画伝統のロードムービーでありバディムービーであるとも言えるし、西部劇へのオマージュであるとも言える。
しかしそうした説明の範疇に収まりきらないパワーが『ローガン』にはある。
そのパワーは例えば見せかけの筋肉から感じられる表面的なものではなく、腹の底から、地の底からじりじりと湧き出てくるパワー。

見えざる地下でどろどろと燃えているマグマのような。

宿命的なミュータント少女ローラとともに旅するローガンだが、ある場所のテレビにある映画が映っている。
「ある映画」とは何か?
『シェーン』である。

そのシーンだけでも、体は心底から痺れる。

日本の時代劇と同じことで、かつてハリウッド映画のドル箱だった西部劇も、もうずっと前からほとんど制作されなくなっている。

しかし、
『許されざる者』
『トゥルー・グリッド』

の2本は必ず観てほしい。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~映画の美『11人のカウボーイ』の恐るべきシーンの若きブルース・ダーン~魂を掻き毟られる『ローガン』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ゴールドラッシュに目が眩んだ人間が大量に輩出された時代の米国、牛追いを手伝う大人が見つからず、11人の少年たちにそれを依頼するジョン・ウェイン。
しかし西部劇だ、悪党どもはやってくる、たとえ子供たちがほとんどの集団相手であっても。
悪党のトップは若き日のブルース・ダーン。
既にこの時代から、大大大スターのジョン・ウェイン相手に、『ザ・ドライバー』で見せたような、『ブラック・サンデー』で見せたような、マッドな偏執狂的パフォーマンスを見せつけてくれる。
ジョン・ウェインとブルース・ダーンのクライマックスシーン。
これは映画史的にも恐るべきシーンと言えるけれど、しかし恐ろしく美しいのである。
二人を捉えるカメラ、構図が、その緊迫感を含め、ひたすら美しい。

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映画『ローガン』については各国のメディアが絶賛しており、絶賛を受けて鑑賞しても大きな興奮と感銘を与えられる見事な作品だ。
わたしはかつてヒュー・ジャックマンも彼が演じる「ウルヴァリン」も好きではなかった。
どうにも大味な印象のみで、『Xメン』のシリーズであれば、「マグニートー」が一番好きかなというところだった。
ヒュー・ジャックマンの印象が好意的なものに変わったのは、『レ・ミゼラブル』あたりからだった。
キャスティングを見た時は、(ジャン・バルジャンはラッセル・クロウの方だろう!)と思ったのだが、作品の出来に大満足し、映画館で二回観た。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~映画の美『11人のカウボーイ』~人類の宝石『ルートヴィヒ』と『アデルの恋の物語』。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』の公開が1976年。
『11人のカウボーイ』は1972年。
だから『11人のカウボーイ』はジョン・ウェインの晩年に当たる作品になるわけだが・・・。

この映画を観ながらぼくがつくづく想っていたのはそう、

(映画とは何て美しいのだ・・・)

と、あらためてあらためての感覚。
それは確かに『11人のカウボーイ』にそのような感情をもらえるとは考えていなかったからでもあるけれど。

・・・


それにしてもルキノ・ヴィスコンティ、よくぞロミー・シュナイダーとヘルムート・バーガーで『ルートヴィヒ』を撮ってくれたものである。
ルートヴィヒ2世以外何者でもないヘルムート・バーガー。
エリザベート本来の姿とはさほど似てないが、若き日から「シシー」を演じてきた不世出の大女優である。

『ルートヴィヒ』の中でこの二人が一緒に画面に映るシーンはさほど多くないだけに、すべてが人類の宝石だと言える。

『ルートヴィヒ』の中、数少ないエリザベートとルートヴィヒ2世の逢瀬

雪世界
ぼたぼたと「トロイメライ」

ほとんどの映画の中に「恋愛の要素」は入っている。
だから作品のどこにフォーカスを当てるかによって、「アクション映画」とカテゴライズされている映画でも、「恋愛映画」と見做すことは可能だ。
「自分」がその映画の中で描かれている「恋愛」に心を動かされたのなら、それは「恋愛映画」である。

まずわたしは次の映画を挙げよう。

『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー監督)

『アデルの恋の物語』は恐らくわたしが生涯、「完璧な映画」の一本として愛し続ける作品だ。
90分程度の短い時間に映画の醍醐味の「総て」が詰まっていると言っても過言ではない

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ティモシー・シャラメを知っていたスタバH~パク・チャヌク『お譲さん』における「ぼかし」の問題。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

///


毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ティモシー・シャラメの名を出したのは別店舗のHだった。
彼女、「最近何観てる」と尋ねたら、
「『らんま』ばかり観てますよ」なんて言うから、正直、(こりゃあ話を続けるのが難しいな)と思ったんだが。
ぼくは現在、アニメまったく観ないからね。
しかしそれでも話を繋いでいたら、H,
「あ、ティモシー・シャラメですかね」と言い出した。
へえ~、知ってるんじゃん。

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パク・チャヌク監督の『お嬢さん』は難も多いが魅力も極めて多い頽廃美が描かれていたけれど、内容の話はさて置いて、日本でいまだ続く映画における「ぼかし」の問題である。
『お嬢さん』の大きな見ものは、二人の女性のラブシーンだ。
レズビアンのシーンなのだけれど、これが実にエロティック。
『アデル、ブルーは熱い色』よりもずっとエロティックである。
もちろん『アデル、ブルーは熱い色』は、ラブシーンのエロスを眼目とした作品ではないから、比較してもさほど意味はないが。
『お嬢さん』のラブシーンは直接的に女優たちの肉体を映す以上に、鑑賞者の想像力を刺激する方法を採っている。
特に一方の女性が相手の性器を初めて見つめるシーンを、「性器の側から相手の顔を映す」という演出をしており、ただ裸体をカメラの前に晒すよりもずっと扇情的だ。
ところがせっかくの見事にエロティックなシーンにかなりの「ぼかし」が入ってくる。
わたしが鑑賞したのはWOWOWで放送されたヴァージョンであって、残念ながら映画館でどうだったかは確認していない。
しかし『お嬢さん』の「ぼかし」は二人の女優が絡んでいるシーンを側面からロング気味のカメラで捉えているシーンでも入っているが、その場面の何を「見せてはいけない」というのか?
女性の性器などはまったく映るアングルではなく、ただ二人の臀部のあたりにかなり大きな「ぼかし」が入ってくる。
「ぼかし」の問題は以前からあるが、いまだ日本の映画界は不可解な「ぼかし」方で作品のクオリティを損ねている。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~カナダ帰りのスタバスタッフさんの好きなミュージシャンと俳優は?~『未来を花束にして』、メリル・ストリープの巨大なカリスマ。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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カナダ帰りのスタバスタッフさん、K(女性)。
弾けるような笑顔が気持ちいい。
「好きなミュージシャンは?と問われて、すぐ頭に浮かぶのは?」と問うと即座に
「マルーン5」と。
別店舗の店長もマルーン5が好きだと言っていたな。
「じゃあ。好きな俳優は?」と問うと、少し考えて、
「中村倫也」
う~ん、なるほど。
ティモシー・シャラメあたりを予想していたけれど、中村倫也なのね。

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映画『未来を花束にして』の中でエメリン・パンクハーストの登場シーンは少ない。
しかしそれだけに効果的で、当時のパンクハーストのカリスマ性がヴィヴィッドに伝わってくる。
パンクハーストを演じるのはメリル・ストリープである。
ほんの僅かの出演シーン。
しかし数ある彼女の名演の中でも十分に記憶に値する、鑑賞者をドキドキさせる存在感だ。

暴力的闘争をも辞さなかったエメリン・パンクハースト、そして「サフラジェット」への歴史的評価は様々だが、『未来を花束にして』に出演しているキャリー・マリガンもヘレナ・ボナム・カーターも、文句なしに素晴らしい。


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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ぶっ飛んだオープニングの映画4選~フランス文化の「狂気」。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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オープニングでぶっ飛んだ映画4本。

『時計じかけのオレンジ』
『セブン』
『トータル・リコール』(ポール・バーホーベン)
『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)

でもやはり、映画館でじゃないとぶっ飛ばない。
これら作品についても適宜語っていく。


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「フランス」と言えば、「ロマンティック」とか「お洒落」とか「グルメ」とか「芸術」とか、日本では自動的にそのようなイメージを持つ人が多く、そのイメージに対して勝手に崇拝したり、勝手に憎しみを抱いたりと、まあだいたいそのような思考パターンなのですな。
しかし、わたしはフランス文化の極めて重要な要素は「狂気」だと思うのだけれど、それはフランス文化をある程度理解している人なら誰しも知っているはずで、しかしほとんどの日本人はまともにフランス文化と向き合わないので、ぜんぜん知らないわけなのです。
「狂気」という要素はフランスだけでなく、いかなる文化、いかなる人間においても非常に大切な精神の働きなのだと思うが、なにせ「狂気」なので学校などではほとんど扱われない。

というわけで、フランス文化を一つの軸として、「狂気」を随時語っていこうと決意した春のある日なのである。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~プライムビデオにベティ・ディヴィス『黒蘭の女』が!~『女殺油地獄』と『HK変態仮面 アブノーマル・クライシス』における「男の股間」。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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プライムビデオとNetflixを始めたのだけど、ざあっと見た感じ、古い映画や欧州映画が少ないなという印象。
しかし探せば掘り出し物が見つかる場合もあることも分かってきた。
『黒蘭の女』はそんな一本。
ベティ・デイヴィスがアカデミー主演女優賞を獲った作品だ。
びっくりしたなあ、もう!
こういうのは早めに鑑賞しないとね。
配信終了になる前に。
どういう作品がどういうタイミングで配信終了になるかはまだよく分かってませんですけどね。

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そう、この件(男の股間)に関してはこれまでも語っているけれど。

『女殺油地獄』は堤真一の、『HK変態仮面 アブノーマル・クライシス』は鈴木亮平の、「股間」がやたらと強調される。
まあ『HK変態仮面 アブノーマル・クライシス』は鈴木亮平の「おいなりさん」と称する鈴木亮平の股間を敵にくっつけるのが必殺技である「そういう映画」なので当然だが、『女殺油地獄』でふんどし姿の堤真一の股間があそこまで映し出されるとは予想外だった。
とりわけクライマックス、堤真一の「油まみれの股間」があらゆる角度からスクリーンに炸裂していたはずだ。
「だからどうした」とツッコまれても困るが、わたしはまったく「男の股間」に興味はないけれど、興味ある方にとってはお宝のシーン続出の両作品ではある、と。

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