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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~妖刀を振るわぬデ・ニーロを愉しむ大人に~オスカー、『ムーンライト』なのに『ラ・ラ・ランド』と発表された時。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。



若き日より世界最高の妖刀を振るい続けてきたロバート・デ・ニーロ。
しかし出演映画のすべてで妖刀を振るってきたわけではない。
ある時期デ・ニーロ、(安っぽい映画ばかり出てるじゃないか)的批判もあったが、『アイリッシュマン』で分かる通り、不世出の映画俳優デ・ニーロはいまだいつでも妖刀を振るえるのだ。
さりとて「妖刀を振るわぬデ・ニーロ」も愉しむのが映画ファンの礼節と心得ねばならない。
たとえば『ラストベガス』。
デ・ニーロ、マイケル・ダグラス、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クラインが余裕綽々の演技を見せてくれるだけで満足できる人間でありたい。

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2018年米アカデミー賞で最も驚いたのが、

作品賞発表のプレゼンターが、

ウォーレン・ベイティと
フェイ・ダナウエィだったことだ。

映画ファンならばすぐお分かりだろうが、この二人は前年の作品賞プレゼンターとしても登場し、「歴史的誤発表」をしてしまったコンビである。
そう。作品賞は結局『ムーンライト』だったのだが、『ラ・ラ・ランド』と発表してしまったわけだ。
結局これはウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィのミスではなく、「間違った封筒を渡されてしまった」ことが原因だったのだけれど、生中継を観ていたわたしは、(何やってんだ、ウォーレン・ベイティは!)とまず感じた。
ふざけたのか、あるいは少しおボケになってしまったのかと・・・特にわたしは『ラ・ラ・ランド』を応援していただけに、(こんなことがあっていいのか!)と、それこそSF映画でも観ているような不条理感を味わったものである。

そのウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウエィを翌年また作品賞プレゼンターとして登壇させるとは、「アカデミー賞、やはり凄い!」とあらためて感じた。


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