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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ティモシー・シャラメを知っていたスタバH~パク・チャヌク『お譲さん』における「ぼかし」の問題。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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ティモシー・シャラメの名を出したのは別店舗のHだった。
彼女、「最近何観てる」と尋ねたら、
「『らんま』ばかり観てますよ」なんて言うから、正直、(こりゃあ話を続けるのが難しいな)と思ったんだが。
ぼくは現在、アニメまったく観ないからね。
しかしそれでも話を繋いでいたら、H,
「あ、ティモシー・シャラメですかね」と言い出した。
へえ~、知ってるんじゃん。

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パク・チャヌク監督の『お嬢さん』は難も多いが魅力も極めて多い頽廃美が描かれていたけれど、内容の話はさて置いて、日本でいまだ続く映画における「ぼかし」の問題である。
『お嬢さん』の大きな見ものは、二人の女性のラブシーンだ。
レズビアンのシーンなのだけれど、これが実にエロティック。
『アデル、ブルーは熱い色』よりもずっとエロティックである。
もちろん『アデル、ブルーは熱い色』は、ラブシーンのエロスを眼目とした作品ではないから、比較してもさほど意味はないが。
『お嬢さん』のラブシーンは直接的に女優たちの肉体を映す以上に、鑑賞者の想像力を刺激する方法を採っている。
特に一方の女性が相手の性器を初めて見つめるシーンを、「性器の側から相手の顔を映す」という演出をしており、ただ裸体をカメラの前に晒すよりもずっと扇情的だ。
ところがせっかくの見事にエロティックなシーンにかなりの「ぼかし」が入ってくる。
わたしが鑑賞したのはWOWOWで放送されたヴァージョンであって、残念ながら映画館でどうだったかは確認していない。
しかし『お嬢さん』の「ぼかし」は二人の女優が絡んでいるシーンを側面からロング気味のカメラで捉えているシーンでも入っているが、その場面の何を「見せてはいけない」というのか?
女性の性器などはまったく映るアングルではなく、ただ二人の臀部のあたりにかなり大きな「ぼかし」が入ってくる。
「ぼかし」の問題は以前からあるが、いまだ日本の映画界は不可解な「ぼかし」方で作品のクオリティを損ねている。

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