●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~映画の美『11人のカウボーイ』~人類の宝石『ルートヴィヒ』と『アデルの恋の物語』。 [「言葉」による革命]
わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。
・・・
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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。
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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。
・・・
ジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』の公開が1976年。
『11人のカウボーイ』は1972年。
だから『11人のカウボーイ』はジョン・ウェインの晩年に当たる作品になるわけだが・・・。
この映画を観ながらぼくがつくづく想っていたのはそう、
(映画とは何て美しいのだ・・・)
と、あらためてあらためての感覚。
それは確かに『11人のカウボーイ』にそのような感情をもらえるとは考えていなかったからでもあるけれど。
・・・
それにしてもルキノ・ヴィスコンティ、よくぞロミー・シュナイダーとヘルムート・バーガーで『ルートヴィヒ』を撮ってくれたものである。
ルートヴィヒ2世以外何者でもないヘルムート・バーガー。
エリザベート本来の姿とはさほど似てないが、若き日から「シシー」を演じてきた不世出の大女優である。
『ルートヴィヒ』の中でこの二人が一緒に画面に映るシーンはさほど多くないだけに、すべてが人類の宝石だと言える。
『ルートヴィヒ』の中、数少ないエリザベートとルートヴィヒ2世の逢瀬
雪世界
ぼたぼたと「トロイメライ」
ほとんどの映画の中に「恋愛の要素」は入っている。
だから作品のどこにフォーカスを当てるかによって、「アクション映画」とカテゴライズされている映画でも、「恋愛映画」と見做すことは可能だ。
「自分」がその映画の中で描かれている「恋愛」に心を動かされたのなら、それは「恋愛映画」である。
まずわたしは次の映画を挙げよう。
『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー監督)
『アデルの恋の物語』は恐らくわたしが生涯、「完璧な映画」の一本として愛し続ける作品だ。
90分程度の短い時間に映画の醍醐味の「総て」が詰まっていると言っても過言ではない
そう、最高の介護を超えるべく。
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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。
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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。
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ジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』の公開が1976年。
『11人のカウボーイ』は1972年。
だから『11人のカウボーイ』はジョン・ウェインの晩年に当たる作品になるわけだが・・・。
この映画を観ながらぼくがつくづく想っていたのはそう、
(映画とは何て美しいのだ・・・)
と、あらためてあらためての感覚。
それは確かに『11人のカウボーイ』にそのような感情をもらえるとは考えていなかったからでもあるけれど。
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それにしてもルキノ・ヴィスコンティ、よくぞロミー・シュナイダーとヘルムート・バーガーで『ルートヴィヒ』を撮ってくれたものである。
ルートヴィヒ2世以外何者でもないヘルムート・バーガー。
エリザベート本来の姿とはさほど似てないが、若き日から「シシー」を演じてきた不世出の大女優である。
『ルートヴィヒ』の中でこの二人が一緒に画面に映るシーンはさほど多くないだけに、すべてが人類の宝石だと言える。
『ルートヴィヒ』の中、数少ないエリザベートとルートヴィヒ2世の逢瀬
雪世界
ぼたぼたと「トロイメライ」
ほとんどの映画の中に「恋愛の要素」は入っている。
だから作品のどこにフォーカスを当てるかによって、「アクション映画」とカテゴライズされている映画でも、「恋愛映画」と見做すことは可能だ。
「自分」がその映画の中で描かれている「恋愛」に心を動かされたのなら、それは「恋愛映画」である。
まずわたしは次の映画を挙げよう。
『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー監督)
『アデルの恋の物語』は恐らくわたしが生涯、「完璧な映画」の一本として愛し続ける作品だ。
90分程度の短い時間に映画の醍醐味の「総て」が詰まっていると言っても過言ではない