SSブログ

●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『11人のカウボーイ』の中の『リトル・ロマンス』の「リュート協奏曲 ニ長調 第2楽章」~『ローガン』の中の『シェーン』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

///
  
★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

///


毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

・・・

多くの優れた西部劇は美しい。
何よりもその「自然」の捉え方、再び同じ状態はあり得ない「自然」の一瞬一瞬を、理想的以上にフィルムへ定着させていく。
『11人のカウボーイ』ももちろんそう。
大量の牛を移送させるために雇った11人の少年たち。
大自然の中、圧巻の牛の大群。
あるシーンで少年の一人がギターを弾く。
西部劇には普通相応しからぬヴィヴァルディの楽曲。
それは、

「リュート協奏曲 ニ長調 第2楽章」

何とこれは、ダイアン・レインの『リトル・ロマンス』で見事なまでに効果的に使われていたヴィヴァルディの美しい音楽。

『11人のカウボーイ』のクライマックス、うたちゃん(母)はずっと感涙していた。

・・・

映画『ローガン』は米国映画伝統のロードムービーでありバディムービーであるとも言えるし、西部劇へのオマージュであるとも言える。
しかしそうした説明の範疇に収まりきらないパワーが『ローガン』にはある。
そのパワーは例えば見せかけの筋肉から感じられる表面的なものではなく、腹の底から、地の底からじりじりと湧き出てくるパワー。

見えざる地下でどろどろと燃えているマグマのような。

宿命的なミュータント少女ローラとともに旅するローガンだが、ある場所のテレビにある映画が映っている。
「ある映画」とは何か?
『シェーン』である。

そのシーンだけでも、体は心底から痺れる。

日本の時代劇と同じことで、かつてハリウッド映画のドル箱だった西部劇も、もうずっと前からほとんど制作されなくなっている。

しかし、
『許されざる者』
『トゥルー・グリッド』

の2本は必ず観てほしい。

nice!(19)  コメント(1) 
共通テーマ:アート