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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『パリでいっしょに日々~『パリで一緒に』の胸毛濃いウィリアム・ホールデン~今のヒット映画より遥かに凄い、問答無用のモノクロ傑作5選。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『パリで一緒に』はウィリアム・ホールデンとオードリー・ヘプバーン共演のロマンティックコメディだが、どうにもわたしはのれなかった。
映画中のホールデンの行動は今だと完璧セクハラ的満載だったが。
まあ時代の制約があるから過去の作品を今の尺度のみで解釈してはいけないが。
それはさて置き、ウィリアム・ホールデン、胸毛が濃い、ふさふさである。
そういえば最近は米国の俳優でも胸毛ふさふさはほとんど見なくなったよね。

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『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督)

「ネオ・レアレスモの傑作」という芸術至上の大きな文脈を知ろうが知るまいが、路上でナチの巡視兵の射撃を受け、転倒し、死んでいくアンナ・マニヤーニの姿こそ「映画」である。

『街の灯』(チャールズ・チャップリン監督)

人生の残酷さを描いてしかも心が熱くなり涙が零れる・・・映画の中では誰も号泣しないし喚きもしない。

『西鶴一代女』(溝口健二監督)

その完璧なストーリー展開、そして伝説的な田中絹代の演技ももちろんだけれど、隅から隅まで美的に動く人間たちに心地よく総毛立つ。

『悪魔のような女』(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督)

モノクロ映画の恐怖は、「公開時は恐怖だった」作品が時に陳腐化していることもあるけれど、『悪魔のような女』の怖さ、ショックが薄らぐことはないだろう。

『散り行く花』(DWグリフィス)

サイレント時代のミューズ リリアン・ギッシュはこの映画の中で何度となく「笑顔を作る」・・・その「笑顔」の中にどれだけの恐怖と「人間存在の哀しみ」が籠められているか。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『花芯』の美しい安藤政信~史上最高の美を湛える『離愁』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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若き日のミッキー・ロークの顔は好きです。
好きな顔と言えば日本人では安藤政信もいいな。
安藤政信はもちろんおもしろい映画へいっぱい出てるんだけど、
『花芯』という映画があって、
瀬戸内寂聴が原作。
この映画には林遣都も出ていて、林遣都もどんどんいい俳優になっていっている。
やはり「映画俳優」だからねえ。
ただ「貌の美しさ」という観点から言えば、安藤政信です。
あ、ボニーピンクと斉藤和義が「真夏の果実」をデュエットしてて、これまたなかなかいいんだわ。
「真夏の果実」は楽曲そのものが素晴らしいからね。

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この映画について、「映画史上最高の」などと言っているのは世界で「わたしだけ」という可能性もある。
いやしかし、「映画の美」あるいは「美そのもの」に関して研磨する人生を送っており、そして実際に『離愁』を鑑賞した方であれば、わたしの思い入れが決して大袈裟ではないと頷いてくれるのではないか。
映画史上、幾多の恋愛映画、幾多の美しい主演男女優がいたか数えきれないのは当然だけれど、わたしには『離愁』のロミー・シュナイダーとジャン・ルイ・トランティニャンに匹敵する「美」を心に浮かべることはできない。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~「涙そうそう」もうたちゃんの課題曲~殺し屋と恋愛『ニキータ』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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うたちゃん(母)の課題曲の一つに「涙そうそう」があるが、これは作曲がBEGINで作詞が森山良子。
特にこの詞は23歳で死去した兄を想って森山良子が作ったものであり、その切実さは稀に見る純度となっている。
YouTubeには夏川りみ、森山良子、BEGINwith
桑田佳祐の歌唱する童画が挙がっていて、甲乙つけがたいと言うよりも、この場合は甲乙つけるのは失礼というものだろう。
ただ、夏川りみと森山良子の歌唱は以前からしょっちゅう聴いていたが、BEGINのは最近初めてだったから、これはもう心に沁みた。

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『ニキータ』の主役はアンヌ・パリローとジャン・リュック・アングラード。
パリローは彼女のキャリア全体を概観しても、「『ニキータ』のために女優になった」と評していいだろう。
「殺し屋」のイメージとしてまったく相応しい風貌、肉体、そして雰囲気を造形して撮影に挑んだ。
ジャン・ユーグ・アングラードはまだ若く綺麗で、ワルっぽいけれど繊細である。

そんな二人の「別れのシーン」は、わたしが知る映画の中の「別れのシーン」の中でもまさしく指折りのものだ。
哀しく、美しく、そして強い。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~ボブ・ディランとザ・バンドと『ひまわり』と~リュック・ベッソンNo1は常に『ニキータ』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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盆の時期からやや秋の気配が感じられるようになった。
ボブ・ディランを聴かなくちゃと思った。
ザ・バンドもね。
ザ・バンドはほとんど聴いてないんだ。
ヒュー・ジャックマンの『ローガン』を無性に観たくなった。
秋の気配。
『ひまわり』を忘れちゃいけない。
圧倒的力を持つ映画音楽の一つ。

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リュック・ベッソンも、どうしようもなくつまらないなと思うこともあるけれど、例えば、スカーレット・ヨハンソン主演の『ルーシー』のような映画でたまにワクワクさせてくれれば、(やっぱりなかなかいい監督だな)と考えを新たにしてしまうのである。

そんなリュック・ベッソンのキャリアを概観すれば、人気・評価ともに高いのが、『グラン・ブルー』と『レオン』なのは分かっているけれど、常にわたしの「ベッソン映画No1」なのが、『ニキータ』である。


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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~「無念」という言葉が喚起する情念~『テス』、その音楽とストーンヘンジ。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

渡辺邦男『忠臣蔵』で浅野内匠頭演じる市川雷蔵は切腹の直前に部下に、
「ただ無念であると」、大石内蔵助に伝えてほしいと託した。
その後大石内蔵助演じる長谷川一夫は部下たちに対して浅野内匠頭の「ご無念を想うと」という趣旨の言葉を、はらわたが捻じれんばかりの想いを籠めて発する。
わたしはそれを見て胸を熱くしたのだが、「無念」という言葉、日本語には、日本人の心を根底から動揺させる力があると感じた。


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『テス』のナスターシャ・キンスキーは、圧倒的美貌だけれど、「立派」ではない女だ。
顔立ちは似ているけれど、常に「立派」なイメージのイングリッド・バーグマンとはそこがまったく違う。
「時代」がそうさせてしまったとはいえ、「流される女」テスの役は、だからナスターシャ・キンスキーに合っていたのだし、イングリッド・バーグマンではできなかっただろう。
そしてもちろん、バーグマンが主演した生田の傑作映画の役は、ナスターシャ・キンスキーには無理である。

そして『テス』はドラマティックな音楽も心を揺さぶり、ラストに登場するストーン・ヘンジと、それに絡みつく太陽が美しい。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~「芸術でぶっ飛ぶ」とはどういうことか~「足りない魅惑」ナスターシャ・キンスキー『テス』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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オープニングでぶっ飛んだ映画4本。

『時計じかけのオレンジ』
『セブン』
『トータル・リコール』(ポール・バーホーベン)
『ドラゴン・タトゥーの女』(デヴィッド・フィンチャー)

わたしにとって「ぶっ飛ぶ」というのは、まあこれは「芸術によるショック」を与えられた状態で、「ぶっ飛んでいる」状態の時間は「いわゆる常識」などはすべてふっ飛び、魂はひたすら高揚する、そんな状態になっているわけだ。

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『テス』

ロマン・ポランスキー監督の『テス』で一躍世界にその名と美貌を轟かせたナスターシャ・キンスキーは、高名な「異常俳優」の父クラウス・キンスキーから性的虐待を受けていたという報道はさほど映画ファンを驚かさなかっただろう。
なにせ、「クラウス・キンスキー」である。
しかし、「死者は最早罰を与えられない」虚しさ無力感はどうしても感じざるを得ない。

けれど、『テス』のナスターシャ・キンスキーはいつまでも美しい。
「イングリッド・バーグマンの再来」と言われたその美貌だが、確かに顔立ちなどに共通点はあるけれど、キンスキーの持ち味は、「足りない」ところだ。
その点は、イングリッド・バーグマンとはまったく違う。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『ハンナ』のケイト・ブランシェットを鑑賞する快楽~『アデルの恋の物語』のアデルのあの台詞。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『ハンナ』。
シアーシャ・ローナンとエリック・バナ、そしてなにせ現代の超絶大女優ケイト・ブランシェットがたっぷり鑑賞できる。
まあ、エリック・バナをたっぷり鑑賞したいという人はそんなにはいないか。
好きな俳優なんだけど、あらためて観るとインパクトには乏しい。
『ハンナ』はシアーシャ・ローナンはもちろんだけど、ケイト・ブランシェット。
この人を観るだけで、映画ファンとしての存分の快楽を得られる。


『ハンナ』でのブランシェットは、シアーシャ・ローナン、エリック・バナと敵対する、二人の抹殺の任務を指揮する立場である。
こういう役がまたブランシェットにはぴったり嵌る。

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『アデルの恋の物語』。
「アデル」とは、世紀の文豪ヴィクトル・ユゴーの娘の一人だ。
「美しき、ストーカー女の語」という意味は、もちろんストーカー行為が美しいのではなく、異常な女のストーカー行為を克明に描いてさえ、『アデルの恋の物語』はあまりに美しい映画であるということ。
アデル・ユゴーはピンソン中尉に捨てられ、しかし妄念の虜となり、カナダまで追いかけて行き、異常繰り返し、遂には精神の崩壊へと至る。
イザベル・アジャニーの衝撃。
そしてわたしはアデルによってあたかも宣言のように語られる次の言葉にどれだけ心を燃やしたことか。

「若い娘が旧世界から新世界へ行く冒険。わたしはそれをする」

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~やはり本当に強そうに見える『ハンナ』~究極の恋愛ストーカー映画『アデルの恋の物語』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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『ハンナ』を観たのは4回目かな。
いやもうとにかくおもしろい。
ジョー・ライト監督のセンスが素晴らしい。
現在若き大女優と化しているシアーシャ・ローナンの、まだほっそりしている時代の映画。
おそらく彼女に特別な肉体、格闘訓練を施してはいないだろう。
その点『ニキータ』などとは大きな違いがあるが、とにかくほっそりした少女であるシアーシャ・ローナンが本当に強そうに見える。
これが映像の魔術であり、監督の手腕だ。

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ほとんどの映画の中に「恋愛の要素」は入っている。
だから作品のどこにフォーカスを当てるかによって、「アクション映画」とカテゴライズされている映画でも、「恋愛映画」と見做すことは可能だ。
「自分」がその映画の中で描かれている「恋愛」に心を動かされたのなら、それは「恋愛映画」である。

まずわたしは次の映画を挙げよう。

『アデルの恋の物語』(フランソワ・トリュフォー監督)

『アデルの恋の物語』は恐らくわたしが生涯、「完璧な映画」の一本として愛し続ける作品だ。
90分程度の短い時間に映画の醍醐味の「総て」が詰まっていると言っても過言ではない。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『忠臣蔵』、長谷川一夫の大時代性と市川雷蔵の現代性~韓国映画『アシュラ』の動的ヴァイオレンス。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

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渡辺邦男監督の『忠臣蔵』。
今回の鑑賞でわたしは長谷川一夫のたっぷりとした至芸とも言える演技に魅了されたのだが、しかし彼の演技は大時代的ではある。
現代の映画でこの演技をするのは難しいだろう。
ところが浅野内匠頭を演じた市川雷蔵。
渡辺邦男『忠臣蔵』の作風に合わせての大時代性を湛えてはいるけれど、しかし現代の映画の中に雷蔵浅野内匠頭が存在していても何の違和感もない。
その恐るべき現代性、と言うよりも普遍性こそ市川雷蔵という不世出の映画スターの永遠性なのだと再認識できた。

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韓国の政治姿勢や国民性にはわたしも大きな不満、時に怒りも持っているけれど、もうかなり以前から、「優れた韓国映画」が多く制作されていることは、映画を知っている人であれば、誰でも認めざるを得ないだろう。
もっとも、「優れた韓国映画」の多くにかなり過酷な暴力シーンがあるのも事実で、「ヴァイオレンス」を描くことは「映画表現」の大きな魅力ではあるけれど、その時点で好き嫌いが分かれてしまう事実もある。

個人的には韓国映画は、「スタッフ・キャストの名前が覚えにくい」という思いはある。
韓国人の名前は、「キム」「チョン」「パク」などがやたらと多く、慣れている人は問題ないのだろうけれど、さほど慣れてないわたしにはけっこう問題だったりするのだ。

しかし、「キム」・ソンス監督の『アシュラ』は実におもしろかった。
「暴力シーン」がすべて動的で、しかも力感に溢れている。
観ていてワクワクしっぱなしで、約130分の時間がアッという間なのである。

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●「母連れ狼の」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『忠臣蔵』、長谷川一夫と市川雷蔵~『ギターを持った渡り鳥』の素晴らしい函館。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日ですね、誰かと、映画か音楽か本(読書)に関する会話を試みてください。
つまりわたしが言うところの「3種の神器」に関する会話ですね。
映画か音楽か本(読書)、そのうちのどれか、あるいはそれらすべてなら言うことない。
芸術は基本「独りで鑑賞」するものですが、それを「自分の中」に留めず、「外へ出す」ことで新たな、そして時に大きな展開が生まれます。

玉置浩二の「メロディー」もいいねえ。

渡辺邦男監督の『忠臣蔵』には、男優として長谷川一夫、市川雷蔵、勝新太郎、鶴田浩二などが出ている。
女優としては、京マチ子、若尾文子、山本富士子、小暮実千代など、もう反則状態であるほどのオールスターキャスト。
こういう映画、本当なら国民の義務として毎年一回は鑑賞させるべきだが。
あ、義務とかになるとヘンな方向へ行ってしまうかね。
それはさて置き、この『忠臣蔵』、久々に観て大石内蔵助役の長谷川一夫の演技に圧倒されたのだけど、それ以上に浅野内匠頭役の市川雷蔵の美と普遍性にあらためて度肝を抜かれた。

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ま、数年前のお話ですが、

ところで、『ギターを持った渡り鳥』を初めて鑑賞したのである。
「今頃初めてとは何だ!」の世界ではあるが、案外このようなエンターテイメントシリーズは、リアルタイムでなければ後回しにしてしまうものなのだ。
やはり「日本映画をしっかり観よう」という機運になれば、まず黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男ら、「歴史的巨匠から」ということになるもので。

『ギターを持った渡り鳥』、おもしろかったのである。
以前から石原裕次郎にはピンとこないわたしだけれど、小林旭なら何となくしっくりきそうな予感はしていたが、正解だった。
敵役の宍戸錠もよかったし、全盛期の浅丘ルリ子も人形のような美貌だった。
それ以上に魅力を感じたのは、ロケ地である函館の撮り方だ。
横長であるスクリーンの形態を見事に生かし、胸のすくようなショットが連発される。
それは登場人物たちの背景でありながら、「もう一人の主役」と言ってもいいほどの映像的魅惑を発散し続けていた。


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