SSブログ

極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年1月4日 [愛の景色]

けれど、「地獄の中にいる」と
腹を括れば、
それはそれで強い力になるのではないか

nice!(17) 
共通テーマ:アート

●末尾ルコ昭和史~70年代、白人女性ソフトポルノの流行『エマニエル夫人』『O嬢の物語』『エーゲ海に捧ぐ』・・・。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ昭和史~70年代、白人女性ソフトポルノの流行『エマニエル夫人』『O嬢の物語』『エーゲ海に捧ぐ』・・・。

末尾ルコ「映画とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『エマニエル夫人』は1974年の作品で、シルヴィア・クリステルはおそらくアラン・ドロン以降、日本で最も知られた分ランス人だったかもしれない、あの当時。
カトリーヌ・ドヌーヴも名前は知られていたが、彼女の作品を実際に鑑賞した人はそう多くはなかっただろう。
多くの日本人に愛され続けるカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画が『シェルブールの雨傘』だけれど、しかしそうそう多くの一般日本人が観ているとは思えない。
しかも『シェルブールの雨傘』はフランス人にとっても特殊な内容を持つ作品である。

「シルヴィア・クリステル」という名前も日本で売れたが、それより遥かに広範に、「エマニエル夫人」という「名」とその裸体が日本の津々浦々に浸透したという現象は、振り返ってみれば、他に例はないだろう。
あからさまな「エロ」が日本の津々浦々にまで広まるというのは、小川ローザの「Oh! モーレツ」や由美かおるの「アース渦巻」看板以来だったのかもしれない。
現在「エロ」はネット空間の個人的体験に局限されつつあるが、かつて昭和の時代、「エロ」は往々にして社会的共有物だった。
しかも『エマニエル夫人』はフランス映画であり、
しかしいかにもフランス風という風情のあるシルヴィア・クリステルはオランダ出身である。

実は70年代にはかなり大規模な配給スケールで、「外国ソフトポルノ」的な映画が日本公開されている。
先日わたしが古本屋で手に入れたーリーヌ・レアージュ作、澁澤龍彦訳『O嬢の物語』も映画化されており、1975年に公開されている。
『エマニエル夫人』と同様、当時子どもだったわたしは『O嬢の物語』を観ることはできなかったが、『ロードショー』や『スクリーン』など映画誌に掲載された写真と、「コリンヌ・クレリー」という主演女優の名前はしっかり記憶した。
1977年には写真家のデヴィッド・ハミルトンが監督した 『ビリティス』という作品が公開され、これは成人指定ではなかったのだろうか、わたしは映画館で観たが、単に若い白人女性の裸体をソフトフォーカスでだらだら見せ続ける退屈な映画だった。

1979年には『エーゲ海に捧ぐ』が公開されている。
監督・脚本・原作が池田満寿夫 で、音楽はエンニオ・モリコーネだった。
これは小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を獲得した画家・版画家の池田満寿夫が自ら監督した作品のようだが、小説とはまったく異なる作品となっていた。
もちろん映画のトーンは、「白人女性の裸体」である。
池田満寿夫は、「映画が芸術なんて、認められない」と発言したこともあったが、当時のわたしは、(別に池田満寿夫に認められなくても・・・)と思ったものだった。

「白人女性のソフトポルノ映画」がこれほどまでに一般層まで膾炙していた事実も、いかにも70年代らしい。
「日本人女性のソフトポルノ」がこれだけメジャーに社会的に展開したことはなかっただろう。
そう、当時は「白人女性は別の世界の、遠い憧れの生き物」というイメージが、とりわけ日本人男性の中にあったからこその現象だったのである。

nice!(24)  コメント(3) 
共通テーマ:アート