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極限の愛、日常の愛、その言葉 2019年1月19日 [愛の景色]

マスク越しのあなたの目が
とても綺麗だ
いつもに増して綺麗だ

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●「教育」とは何か?「教育」自体の改変を志すわたしが「江戸川乱歩の教育効果」を語るぞなもし。 [「言葉」による革命]

●「教育」とは何か?「教育」自体の改変を志すわたしが「江戸川乱歩の教育効果」を語るぞなもし。

末尾ルコ「教育と文学の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

子どもの頃に江戸川乱歩を濫読していたことを思い出していて、もちろん乱歩作品はいわゆる教育的な内容ではなく、それどころか半教育的と言うか、まあいわゆるエロ黒ナンセンス連発の小説ばかりではありんす。
もちろん子供向けに書かれた作品には「エログロ」の要素は極めて希薄になってはいるけれど、「ナンセンス」は十二分に含まれている。
なにせ、「少年探偵団」ですから。
この馬鹿馬鹿しさが堪えられません。

わたしの場合は、乱歩の子供向きを読んでいたのは、そうですね、小学校低学年くらいまでで、その後は小学生のうちに即座に「大人向け乱歩」の読破に没頭したのですね。
そうなると内容はありとあらゆる変態的犯罪、異常性欲、異常者、さらに見た目が普通ではない人間とかのオンパレードなのですね。(今回は、「何が正常で何か異常か」という議論はしません)。

で、普通はこのような内容の小説は、「教育上」という観点からすれば、「褒められたものではない」となりますよね。
学校の教科書に江戸川乱歩『孤島の鬼』や『芋虫』は載りません。
「だからこそ、おもしろい!」と言えるのだけれど、では乱歩作品が教育的ではまったくないかと問われれば、わたしに関しては、

けっこう教育的

だったのですね。

もちろんここでお話する「教育」の概念は、従来の学校教育とは大きく異なるものです。
「教育」という言葉と概念をもう一度洗い直し、新たなものにしたいというのがわたしの野望なのですが、まあ例えば小学校時代に(大人向け)乱歩作品を読むことでわたしが得た「教育的効果」も大いにヒントになる、そんな気がします。

では、乱歩作品はどのように教育的だったか?

例えばですね、世の中で残虐な犯罪が起こるとしますね。
多くの人たちが、怖れ、驚愕するわけです。
「こんな事件が起こるなんて、信じられない!」
「こんな犯罪を起こす人間がいるなんて、理解できない!!」

といった声が、日本中に渦巻きますよね。

しかし、いい悪いではなくて、わたし自身はどのようなことが起こっても、滅多に驚きません。
もちろん起こった事件、起こした犯罪者に対する憤りなどはありますが、(何でこんな犯罪が起こるの?)といった、ある種精神的パニックなどは生じないですね。
なぜかと言えば、その答えは一つではなく、特に20代に過酷な精神状態を経験したことが一番大きいですが、「答え」の一つとして、子どもの頃の乱歩作品を濫読した経験も当然挙げられるのです。
なにせその中には、多種多様な異常犯罪、異常心理、異常犯罪者が蠢いているわけで、それらは必ずしもリアリティはないけれど、それでも十分な人間研究、犯罪研究にはなっているんです。
つまりわたしは人生の早い段階で、

「世の中、どんな異常犯罪が起こっても不思議でないし、どんな異常者がいても不思議でない」

という感覚を身につけていたと言えるのですね。
ま、もちろん乱歩作品を読んで、(自分もこんな犯罪をやってみたい)とか、そちらの方向へ行ってはいけないわけですが。

ま、いずれにしても、

「教育は学校に任せていてはならない」

という観点のお話、今後もしていきます。
学校の先生にとっても、とても有益だと自負しておりますよ。

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