「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●豊かでかつ意義ある「想像力」を養う方法とは?2017年6月25日 [「言葉」による革命]
※2017年8月14日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~豊かでかつ意義ある「想像力」を養う方法とは?
「自分の考えだけが正しい」とか、「社会に役立たない人はさっさと死んだ方がいい」とか、そうした考えを持ち、しかもその考えをネットなどで垂れ流して平気な人たちがとても多くなっていますね。
そうした人たちは、「垂れ流して平気」どころか、「自分の考えが本音で気が利いていて、それを堂々と表明する自分はカッコいい」くらいに思っているものです。
こうした風潮は戦後日本で、「きれい事を言う人たちが、あまりにきれいごとばかり言い過ぎてきた」ことへの反動であるという要素がとても大きいのだと思いますが、当然ながら「暴言」が力を持つような社会であってはならない。
そもそも「本音で気が利いていて、それを堂々と表明する自分はカッコいい」なんて信じている人たちは、「本音とは何か」ということさえ深く考えた経験はない人が大方でしょう。
世の中の誰もが、「自分が本音と思っていること」を遠慮なく言い出したら、社会生活は成り立ちません。
(続きは有料メルマガでお願いします)
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末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。
末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な
▲「新たなる教育機関」です。
毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。
▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。
有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。
注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~豊かでかつ意義ある「想像力」を養う方法とは?
「自分の考えだけが正しい」とか、「社会に役立たない人はさっさと死んだ方がいい」とか、そうした考えを持ち、しかもその考えをネットなどで垂れ流して平気な人たちがとても多くなっていますね。
そうした人たちは、「垂れ流して平気」どころか、「自分の考えが本音で気が利いていて、それを堂々と表明する自分はカッコいい」くらいに思っているものです。
こうした風潮は戦後日本で、「きれい事を言う人たちが、あまりにきれいごとばかり言い過ぎてきた」ことへの反動であるという要素がとても大きいのだと思いますが、当然ながら「暴言」が力を持つような社会であってはならない。
そもそも「本音で気が利いていて、それを堂々と表明する自分はカッコいい」なんて信じている人たちは、「本音とは何か」ということさえ深く考えた経験はない人が大方でしょう。
世の中の誰もが、「自分が本音と思っていること」を遠慮なく言い出したら、社会生活は成り立ちません。
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注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。
注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。
注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。
●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。
〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。
まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ 映画『クレオパトラ』最高画質版の観どころはもちろんアクティウムの海戦!2017年6月25日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ 映画『クレオパトラ』最高画質版の観どころはもちろんアクティウムの海戦!
「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
スターチャンネルでジョゼフ・マンキーウィッツ監督の『クレオパトラ』最高画質版の放送があったので(今観ると新鮮味があるかも)と鑑賞してみたら、確かに新鮮味はあった。
250分足らずの時間。
いささか単調な演出。
辟易させられたのは、随所で、とりわけクライマックスで演劇じみた大芝居が炸裂したこと。
ちなみに、
クレオパトラがエリザベス・テイラー
アントニーがリチャード・バートン
カエサル(シーザー)がレックス・ハリソン
オクタビアヌス(オクタビアン)がロディ・マクドウォールだ。
クライマックスで大芝居を炸裂させるのが、リチャード・バートンとロディ・マクドウォール。
ロディ・マクドウォールは映画『猿の惑星』オリジナルシリーズの「コーネリアス」役、つまり「猿の中の主役」として映画史上に残っているが、キャリアは長かったけれど「映画スター」とは言い難く、偉大なるオクタビアヌスを演じるにはまったく不足だ。
リチャード・バートンは少々情けない雰囲気がアントニーっぽいと言えなくもないが、そもそも観ていてワクワクするような俳優でもない。
さらに痛かったのは、絶世の美女のはずのエリザベス・テイラーがいくつかのシーン以外では美しく見えないのである。
なのに全体としては「おもしろかった」と言えるのは、「二十数万」とされる驚異のエキストラ人海戦術であり、「本物の人間」が大勢いると言うのは、それだけでスペクタクルと再認識させられた。
そして「歴史的イベント」をCGではなく、大規模なセットなどで再現しているシーン。
クレオパトラのローマ入城
アクティウムの海戦
ローマ軍のアントニー追跡など、
とてつもないシーンが連打される。
ローマ史が大好物のわたしが退屈するわけがなかったのである。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」
スターチャンネルでジョゼフ・マンキーウィッツ監督の『クレオパトラ』最高画質版の放送があったので(今観ると新鮮味があるかも)と鑑賞してみたら、確かに新鮮味はあった。
250分足らずの時間。
いささか単調な演出。
辟易させられたのは、随所で、とりわけクライマックスで演劇じみた大芝居が炸裂したこと。
ちなみに、
クレオパトラがエリザベス・テイラー
アントニーがリチャード・バートン
カエサル(シーザー)がレックス・ハリソン
オクタビアヌス(オクタビアン)がロディ・マクドウォールだ。
クライマックスで大芝居を炸裂させるのが、リチャード・バートンとロディ・マクドウォール。
ロディ・マクドウォールは映画『猿の惑星』オリジナルシリーズの「コーネリアス」役、つまり「猿の中の主役」として映画史上に残っているが、キャリアは長かったけれど「映画スター」とは言い難く、偉大なるオクタビアヌスを演じるにはまったく不足だ。
リチャード・バートンは少々情けない雰囲気がアントニーっぽいと言えなくもないが、そもそも観ていてワクワクするような俳優でもない。
さらに痛かったのは、絶世の美女のはずのエリザベス・テイラーがいくつかのシーン以外では美しく見えないのである。
なのに全体としては「おもしろかった」と言えるのは、「二十数万」とされる驚異のエキストラ人海戦術であり、「本物の人間」が大勢いると言うのは、それだけでスペクタクルと再認識させられた。
そして「歴史的イベント」をCGではなく、大規模なセットなどで再現しているシーン。
クレオパトラのローマ入城
アクティウムの海戦
ローマ軍のアントニー追跡など、
とてつもないシーンが連打される。
ローマ史が大好物のわたしが退屈するわけがなかったのである。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●天上的歌声・・・山田姉妹の「見上げてごらん夜の星を」。 [「言葉」による革命]
●天上的歌声・・・山田姉妹の「見上げてごらん夜の星を」。
末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」
もちろん山田姉妹以外に優れた声楽家はごまんといるわけであり、しかも山田姉妹は音大を卒業して間もない人たちだから、わたしはクラシック音楽の専門知識には明るくないのでつぶさには分からないけれど、きっと専門家からすれば、未熟な点は多々あるのだろうとは想像できる。
いや、もちろん、「山田姉妹はあの若さで未熟なところなど何もないよ」という専門家の意見があれば素晴らしいけれどね。
それにしても、わたしも専門的ではないけれど、今まで数多くの声楽家の歌は聴いてきたはずだ。
なのに山田姉妹の歌う、例えば、「見上げてごらん夜の星を」をとりわけ「天上的」に感じるのはなぜなのだろうか。
山田姉妹の麗しい容姿がそう感じさせているというのは少なからずあるだろう。
しかしそれだけではないはずだ、決して。
末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」
もちろん山田姉妹以外に優れた声楽家はごまんといるわけであり、しかも山田姉妹は音大を卒業して間もない人たちだから、わたしはクラシック音楽の専門知識には明るくないのでつぶさには分からないけれど、きっと専門家からすれば、未熟な点は多々あるのだろうとは想像できる。
いや、もちろん、「山田姉妹はあの若さで未熟なところなど何もないよ」という専門家の意見があれば素晴らしいけれどね。
それにしても、わたしも専門的ではないけれど、今まで数多くの声楽家の歌は聴いてきたはずだ。
なのに山田姉妹の歌う、例えば、「見上げてごらん夜の星を」をとりわけ「天上的」に感じるのはなぜなのだろうか。
山田姉妹の麗しい容姿がそう感じさせているというのは少なからずあるだろう。
しかしそれだけではないはずだ、決して。
●末尾ルコ、ついに発見!「口の中を噛んで苦しまない」方法を!山田姉妹の「みずいろの手紙」を聴きながら。 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ、ついに発見!「口の中を噛んで苦しまない」方法を!山田姉妹の「みずいろの手紙」を聴きながら。
末尾ルコ「生活の工夫の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
重要なことを発見したのである。
その前に、わたしがちょいちょい「口の中を噛んでしまう」ことを再確認しておこう。
6月も17日に噛んで、19日の夕食時にはさらに激しく噛んでしまったのである。
せっかくつばすの刺身を食べていたのに、噛んでから3分間は、痛みと悔しさと腹立たしさで食事を味わう気分が失せたのである。
テレビ画面には朝に予約録画していた『おはよう日本』が映っていたが、和久田麻由子の英顔でさえ噛んで数分間のわたしを慰めることはできなかったのである。
(いったい俺は何をしているんだ!噛む度に、あれほど「もう絶対噛まないぞ!」と誓っているはずじゃないか!俺という人間はその程度の学習能力もないのか・・・)
自分に対する怒り。
口の中を噛んだ事実に対して、誰をも責めることはできない。
しかし確かに、「噛んだ瞬間の得も言われぬ屈辱感」を、翌日にはしっかり忘れているのも事実だ。
(いったいこの堂々巡りをどうすればいいのだ)
テレビ画面は前川清と川中美幸のコラボショーに変わっており、これが案外おもしろかったのである。
(川中美幸、なかなか使えるじゃねえか!)
などと少し得した気分になりながら、ふと閃いたのである。
(そうか、そうだったのか!!)
正に「ユリイカ!」である。
(そう言えば、アラン・ポウの「ユリイカ」をまた読んじゃえ!)などと可愛く別のことを思い浮かべつつ、ついに
「口の中を噛むことで苦しまない」方法
を見つけたのだ!
「勢いよく噛まないこと」!
これだ!これなのだ!!
わたしは硬いものに限らず、柔らかいものでも勢いよく噛み過ぎてしまう傾向があった。
別に勢いよく噛む必要がないのに、そうしていた。
そうすると、口の中を噛む確率も高まるし、噛んだ時には大きな痛みと、時に裂傷に見舞われていたわけだ。
ゆったりじっくりものを噛む習慣をつければ・・・そう、万一口の中を噛んだ時にも、ほとんど痛くないし、裂傷を負う可能性も大きく低まる。
(これからは、やるそ、俺)なとど、山田姉妹の「みずいろの手紙」を鑑賞しながら誓った夜だった。
末尾ルコ「生活の工夫の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
重要なことを発見したのである。
その前に、わたしがちょいちょい「口の中を噛んでしまう」ことを再確認しておこう。
6月も17日に噛んで、19日の夕食時にはさらに激しく噛んでしまったのである。
せっかくつばすの刺身を食べていたのに、噛んでから3分間は、痛みと悔しさと腹立たしさで食事を味わう気分が失せたのである。
テレビ画面には朝に予約録画していた『おはよう日本』が映っていたが、和久田麻由子の英顔でさえ噛んで数分間のわたしを慰めることはできなかったのである。
(いったい俺は何をしているんだ!噛む度に、あれほど「もう絶対噛まないぞ!」と誓っているはずじゃないか!俺という人間はその程度の学習能力もないのか・・・)
自分に対する怒り。
口の中を噛んだ事実に対して、誰をも責めることはできない。
しかし確かに、「噛んだ瞬間の得も言われぬ屈辱感」を、翌日にはしっかり忘れているのも事実だ。
(いったいこの堂々巡りをどうすればいいのだ)
テレビ画面は前川清と川中美幸のコラボショーに変わっており、これが案外おもしろかったのである。
(川中美幸、なかなか使えるじゃねえか!)
などと少し得した気分になりながら、ふと閃いたのである。
(そうか、そうだったのか!!)
正に「ユリイカ!」である。
(そう言えば、アラン・ポウの「ユリイカ」をまた読んじゃえ!)などと可愛く別のことを思い浮かべつつ、ついに
「口の中を噛むことで苦しまない」方法
を見つけたのだ!
「勢いよく噛まないこと」!
これだ!これなのだ!!
わたしは硬いものに限らず、柔らかいものでも勢いよく噛み過ぎてしまう傾向があった。
別に勢いよく噛む必要がないのに、そうしていた。
そうすると、口の中を噛む確率も高まるし、噛んだ時には大きな痛みと、時に裂傷に見舞われていたわけだ。
ゆったりじっくりものを噛む習慣をつければ・・・そう、万一口の中を噛んだ時にも、ほとんど痛くないし、裂傷を負う可能性も大きく低まる。
(これからは、やるそ、俺)なとど、山田姉妹の「みずいろの手紙」を鑑賞しながら誓った夜だった。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、守る」篇。2017年6月25日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、守る」篇。
「猫、守る」
高知市薊野にある
塔
不埒な侵入者よ
ぬらぬらと光る焦げ茶の
タキシードよ
お主、
順法精神は微塵も見られぬ
太古からの不届きな生物よ
・・・・・・
ぼくの素敵なネコのために、
ゴキブリどもを退治してあげる!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、守る」
高知市薊野にある
塔
不埒な侵入者よ
ぬらぬらと光る焦げ茶の
タキシードよ
お主、
順法精神は微塵も見られぬ
太古からの不届きな生物よ
・・・・・・
ぼくの素敵なネコのために、
ゴキブリどもを退治してあげる!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)