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●末尾ルコ かつて語ったポランスキー『毛皮のヴィーナス』2 [「言葉」による革命]

で、ロマン・ポランスキー。
(どうかなあ)という映画も一部あるが、若い頃から非常に高い確率で「エキサイティング」な作品を創り続けている。

わたしが特に好きなポランスキー作品は、

「反撥」
「ローズマリーの赤ちゃん」
「チャイナタウン」
「テナント 恐怖を借りた男」
「テス」
「フランティック」
「戦場のピアニスト」
「おとなのけんか」

そして、

「毛皮のヴィーナス」

です。


タグ:アート 映画
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2021年1月6日 [愛の景色]

君へ描いて贈った画は
ふざけていても
真面目なのです

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●我が母(お母ちゃん)、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌454日目~『Aスタジオ』の森山未來が語った「俳優」、「ダンサー」、あるいは「アーティスト」について。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

1月1日(水)手術後643日目 退院後453日目

笑福亭鶴瓶の『Aスタジオ』のゲストが森山未來だったのは12月だけれど、印象的だったエピソードがありましたですね。
森山未來はわたしも好きで、この人俳優としてだけでなく、ダンサーとしても活躍してます。
ダンサーとしても付け焼刃ではなく、俳優としてのキャリアよりも前から訓練しているそうなんですね。
けれどご当人、(自分は俳優とダンサー、両方やってていいのだろうか)と悩むこともあったそうです。
それがイスラエルへ行った時、これはダンス関連のプロジェクトで行ったということですが、感じたという。
イスラエルでは「俳優だから、ダンサーだから」という括りではなく、「アーティスト」という意識でどんなことにでも挑戦する自由な雰囲気がある、と。
さから彼もこれから「俳優とダンサー」の両立に悩むのではなく、自由な意識でやってく気持ちになった、と。
まあだいたいこんなお話しでした。

いろいろ考えさせられるエピソードです。

わたしはイスラエルのアートシーン、エンターテイメントシーンに明るくないので、そこでどのような文化状況が展開しているかは何とも言えません。
しかし「俳優だから、ダンサーだから」という括りではなく、「アーティスト」という意識で自由に・・・という話、納得できる部分と疑問に感じる部分があります。
森山未來であればいいでしょう。
彼が俳優としてダンサーとして、どれだけ真摯に情熱を傾けて生きているかは少しでも森山未來が関わった作品を観ればすぐに分かります。
要するに何をやるにしても中途半端ではない。
彼の行う表現活動のどれをとっても「アーティストの行い」と称して差し支えない水準なのです。
ところが日本の文化状況を俯瞰してみると、芸能界へ入ったら誰も彼もが何もかもをやってしまう傾向がある。
一人の人間が俳優も歌も司会もお笑いもやっている・・・そんなことって普通にありますよね。
あるいはニュースキャスターまでも。
そんな状態でメディアは彼らについて軽々に「アーティスト」だと呼ぶし、本人らの口からも自らを「アーティスト」と平気で口にしている場合が多い。
ちょっと違う、と思いますね、わたしは。
誰もが森山未來クラスのレベルを保っているわけではないし、森山未來クラスの表現はそうそう身につけられるものではない。

単純な話ではありません。
映画に素人ばかりキャスティングして歴史的傑作となった、ぴエル・パオロ・パゾリーニ監督の『奇跡の丘』のような例もある。
しかし本来は、「俳優は俳優」、「歌い手は歌い手」、「お笑いはお笑い」・・・といった専門性を持ち、芸術家として表現者として磨いていくべきだと思ってます。

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