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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年10月26日 [愛の景色]

まるであなたと関わりないようなことからでも
わたしはあなたのことを
知ろうとしている

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「イザベル・ユペール『バルスーズ』は睾丸というフランス語である。「クレイジー」、フランス語で「フゥ(fou)」という感覚」。2017年10月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「イザベル・ユペール『バルスーズ』は睾丸というフランス語である。「クレイジー」、フランス語で「フゥ(fou)」という感覚」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

1974年の『バルスーズ』という映画がある。
フランス映画ファンにはお馴染みの作品で、「バルスーズ」というフランス語が

「睾丸」という意味を持つこともお馴染みだ。

『バルスーズ』はゲテモノ的な要素もあるが、本物のゲテモノ映画ではなく、しかもフランスでは記録的大ヒットを成し遂げている。
もちろん内容はとてもクレイジーな映画だが、英語で「クレイジー」、フランス語で「フゥ(fou)」という言葉はよき意味で使う場合もある。
「イカレてる」
ジェラール・ドパルデュー

ミュウ・ミュウ
ジャンヌ・モロー
ブリジット・フォッセー

そして
イザベル・ユペール

「クレイジー」、あるいは「フゥ(fou)」の感覚が日本のメジャーな映画や音楽に感じられないのだ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●『禁じられた遊び』と『汚れなき悪戯』の鑑賞が、「当然」だった時代。 [「言葉」による革命]

●『禁じられた遊び』と『汚れなき悪戯』の鑑賞が、「当然」だった時代。

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『禁じられた遊び』
『汚れなき悪戯』

この2本の、子どもを主人公とした映画は、かつて多くの日本人にとってもほとんど「必見」作として受け止められていたし、もちろん映画館で鑑賞した人はそれほど多くなかろうが、テレビでもしばしば放送されていたし、わたしは中学時代、学校の講堂で『禁じられた遊び』を総見としても鑑賞した。
『禁じられた遊び』はフランス映画で、『汚れなき悪戯』はスペイン映画。
子どもが主人公ではあっても、決して「高知の中学生たち」に理解しやすい内容ではない。
しかしそれでも生徒たちは、ルネ・クレマン監督の『禁じられた遊び』を特に文句も言うことなく最初から終わりまで鑑賞したのだ。

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●「女性のスカートを切る」という不届きな番組『スターびっくり箱』と長沢純、あるいは日本人のエロティシズム。 [「言葉」による革命]

●「女性のスカートを切る」という不届きな番組『スターびっくり箱』と長沢純、あるいは日本人のエロティシズム。

末尾ルコ「昭和文化史とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしがずいぶんと幼少のみぎり、極めて不届きな番組が放送されていたことを記憶している。
その番組の見せ場が何と、

「女性のスカートを切る」

という行為なのである。

「スカートを切る」、つまり時には切られた女性の下着が視聴者の目に曝されるわけである。
このような行為が許されていいはずがない。
しかもそれをテレビで全国放送するなどあり得ない。
と今では思うところだけれど、いかに幼いわたしであってもどうやらその光景のインパクトは強烈だったようで、そのような番組を何度か目にしたことに疑いはないのだった。
かつてであれば、(こんな番組、あったよなあ・・・)と心で思うのみだっただろうが、現在はネット検索で多くのものが判明する。
「スカートを切る 番組」で検索すれば、出てきた、出てきた、その番組の名は、

『スターびっくり箱』。

日本テレビ系列で放送されていたという。
しかも提供が、「エースコック」。
へえ~、エースコックって、こんな番組を提供してたんだ。

しかし『スターびっくり箱』でなにゆえに「女性のスカートを切る」などという言語道断な所業が行われていたのか?
話は単純である。

スタジオの正面には箱が置かれている。
女性タレントは箱に何が入っているか知らずに手を入れて、触感で中身を当てねばならない。
中身が当たれば賞金が出るが、上手く触れなかったりすると、罰として「スカート切り」となる。
この不埒な番組の司会を務めていたのが長沢純。
そう言えばそんな司会者、いたよなあ。

などと思いながら、ここでもちょっと調べてみると、長沢純はまだまだいろいろ活躍していて、何とブログもやっていて、かなり頻繁に更新している。

さて、「テレビで女性のスカートを切り、時のその下着を曝す」ことを売り物にした番組だが、PTAなどの抗議を受けて、すぐにその企画は打ち切られ、番組自体も半年で打ち切られたという。

さてこの「昭和テレビの一コマ」から何を感じることができるか?
現在の感覚から見て、「テレビで女性のスカート切り」が完全アウトなのは明らかだ。
現在でなくとも、当時であっても、「女性のスカート切り」をゴールデンタイムの売り物にするとは「まともな感覚」とは言い難いだろう。
しかし反面、当時は深夜帯はもちろん、ゴールデンタイムでもけっこう「お色気」を売り物にした番組があり、それらは「かなりの顰蹙」と「多くの支持」を集めていたのも事実なのだ。
もちろん「多くの支持」が男性に偏っていたことは明らかだけれど、こうした現象を単に「昭和の遅れた日本人のやっていたこと」と履いて捨てるのではなく、「日本的エロティシズム」の観点も持ちながら思考してみたい。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、革命」編。2017年10月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、革命」編。

「猫、革命」

諦めないと決めたら
世界はこれまた
変わる
世界を変えることが
革命ならば
あなたも
諦めないと
今、誓ってみることだ

・・・・・・

革命は、
ぼくの素敵なネコのため
それが一番の理由

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)


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●いまだ「愛の歌」の最高峰の一つ、「 聞かせてよ愛の言葉(Pares moi d'amour)」・・・。 [「言葉」による革命]

●いまだ「愛の歌」の最高峰の一つ、「 聞かせてよ愛の言葉(Pares moi d'amour)」・・・。

末尾ルコ「音楽と愛の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

そうなんです。

いまだ「愛の歌」の最高峰の一つ、「 聞かせてよ愛の言葉(Pares moi d'amour)」・・・。

それだけがここでは言いたいのです。

聴いたことない方は、ぜひ一度ご試聴を。
YouTubeでもいろんなヴァージョンが出てきます。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年10月25日 [愛の景色]

わたしは
四方八方からの暴風の前に立つ
あなたの楯でなくてはならない

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「イザベル・ユペール『Elle』を拒絶したハリウッド女優たち」。2017年10月25日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「イザベル・ユペール『Elle』を拒絶したハリウッド女優たち」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

しかしそもそも2016年、世界を席巻している映画『Elle』だけれど、ポール・バーホーベン監督はA級ハリウッド女優の多くにオファーを出したにも関わらず、全員の断られたと伝えられている。
ハリウッド女優たちはいつも、「男優に比べて女優は差別されている!」「女優はある年齢を超えると役が少なくなる!」と不満を言っており、もちろんそれは事実に違いないが、それにしても「『Elle』のオファーを皆断った」というのは酷い話だ。
みすみす「映画史に残る衝撃的な役」をふいにしてしまったハリウッド女優たちの間抜けぶりは、逆に歴史に残るだろう。
もちろん誰かが演じていて、イザベル・ユペールのようにできたとも思えはしないが。
なにせイザベル・ユペール、アブノーマルな世界ならどれだけ演じてきたことか。

ところで『Manchester by the Sea』も好評のミシェル・ウィリアムズが『Elle』を演じていたらどうなっていたか。
日本であれば、きっと真木よう子なら演じたがるだろう。

しかし誰であれ、イザベル・ユペールほどに演じられはしないだろう。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!


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●「不人気」デメトリアス・ジョンソンが驚くべき技を決めて新記録を作ったUFC216の話から、階級制問題、そしてプロレスのヘヴィー、ジュニアへヴィーへと話は発展する。 [「言葉」による革命]

●「不人気」デメトリアス・ジョンソンが驚くべき技を決めて新記録を作ったUFC216の話から、階級制問題、そしてプロレスのヘヴィー、ジュニアへヴィーへと話は発展する。

末尾ルコ「格闘技とプロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

UFC216でフライ級王者のデメトリアス・ジョンソンがレイ・ボーグを相手に驚くべき技で防衛を果たした。
その技は、相手を背後からジャーマンスープレックス気味に投げながら、その途中で腕を腰から離し、後ろ向けに倒れる過程の相手の右腕にアームバーを仕掛けるという驚異的なもので、長年格闘技を観続けているわたしも目を瞠らざるを得なかった。
これでジョンソンは、11回連続防衛であり、UFCのチャンピオンとしては連続防衛新記録である。
ジョー・ローガンが試合後のインタヴューでしきりにジョンソンを「パウンド・フォー・パウンド」と持ち上げていたが、これはデメトリアス・ジョンソンとデイナ・ホワイトないしUFC自体との軋轢を受けたものだったのだろう。
デメトリアス・ジョンソンはデイナ・ホワイトと防衛戦などの内容についてもめていただけでなく、もうずいぶん以前から、「不人気」が指摘され勝ちっ放しでいるのにそんなことを指摘され続けたらそりゃあ機嫌も悪くなるというものである。
しかし「不人気に理由なし」かと言えば、わたしの見方ではそうでもなく、それはジョンソンのファイトスタイルに因を成すと言うよりも、基本は「階級の人気」の問題ではないかと思う。
UFCの階級は重い順に、

ヘヴィー
ライトへヴィー
ミドル
ウエルター
ライト
フェザー
バンタム
フライ

となっており、つまりフライ級は一番軽い、さらに言えば、一番小さいのである。
わたしの個人的嗜好を言えば、格闘技で最も興味があるのは「一番重い階級」であり、軽くなるほど興味は薄らぐ。
そもそもボクシングも、プロではないが柔道なども、階級が多過ぎなのである。

しかしこの問題は、「競技の発展・競技人口の獲得」や「興業価値」などに絡んでいるのでここでは一旦置いておこう。

プロレスはこれら競技格闘技のようには今のところ階級を細分化していないし、どう見ても計量などを厳格にやっているとは思えないが、取り敢えず以前からヘヴィーとジュニアへヴィーは存在している。
しかし佐山タイガーマスクの時代にジュニア人気が爆発した時くらいまでだろうか、ジュニアへヴィーに「戦い雰囲気」が漂っていたのは。
佐山タイガーはそのアクロバティックな天才的試合運びで子どもから大人までの大ブームを呼んだのだけれど、試合中髄所で「鋭い格闘技的要素」を垣間見せていた。
しかし山田獣神サンダーライガーへ至っては、山田はいいレスラーなのだけれど、そもそもあのコスチュームでは「100%の動き」は不可能で、おのずと「楽しさ追求」の方向へ進まざるを得ない。
さらに現在は、ヘヴィーの試合もジュニアの試合も大きな違いはない状況になっている。
かつてヘヴィーのでかいレスラーがコーナーポストからバック転などをやるようになった時に、(ちょっと違うんじゃないのか・・・)と感じた懸念が現状に発展してきた感はある。

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