〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「出鱈目な情報を流してものを売ってはならない。RIZINやRENAの問題点」。2017年11月27日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「出鱈目な情報を流してものを売ってはならない。RIZINやRENAの問題点」。
末尾ルコ「格闘技で知性と感性を鍛えるレッスン」
まあ日本では一時、総合格闘技、そして立ち技格闘技を含めても、世間からまったく忘れ去られていたのだから、「地上波で放送されるだけでも大きな進歩だ」と喜びたい格闘技ファンが少なくないのは理解できるにしても、「格闘競技」としての構造をしっかりさせていかなければいずれすぐまた忘れ去られる。
例えば現在日本の女子格闘家としては最も人気のあるRENAにしても、シュートボクサーとしての実績は十分だけれど、MMAファイターとしてはまだまだ初心者である。
稀に立ち技系のファイターがすぐにMMAに対応できる場合もあるけれど、総合格闘技の技術が日進月歩の現在、普通は容易に対応できないものだ。
それはRIZINの中でも立ち技の世界で圧倒的な強さを見せつけてきたアンディ・サワーが何もできずに2連敗したことだけでも容易に理解できるだろう。
MMAルールでのRENAは2016年までは「勝てるだろう相手」を用意されていただけだというのが一つと、もちろん男子も女子も最上のファイターはUFCのオクタゴンで戦っているから「強い対戦相手がいない」というのもある。
だからこそ山本美憂がリングへ上がったりしているわけだが、それまでMMAの実績があればまだしも、「40歳を超えてMMA初挑戦」という人の試合を高い入場料を取って見せていいのかという話にもなる。
RIZINの入場料、かなり高いですから。
「そのくらいのものを、そのくらいとして宣伝し、そのくらいの価格の入場料を設定する』というのであればいいけれど、わたしが最も納得できないのは、
「まったく最高でないものを、最高のように見せかけて売る」態度だ。
「UFCとの差なんて、格闘ファンは分かっているよ」という意見もあるが、一般の人は分かりませんから。
RIZINを観て、「ミルコ、やっぱり強いなあ」なんて信じてしまう人は多くいるでしょう。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
●忘れた頃に、ソネブロメンテナンスが!&ある意味有効な「タイガーマスク」の信念、
末尾ルコ「格闘技で知性と感性を鍛えるレッスン」
まあ日本では一時、総合格闘技、そして立ち技格闘技を含めても、世間からまったく忘れ去られていたのだから、「地上波で放送されるだけでも大きな進歩だ」と喜びたい格闘技ファンが少なくないのは理解できるにしても、「格闘競技」としての構造をしっかりさせていかなければいずれすぐまた忘れ去られる。
例えば現在日本の女子格闘家としては最も人気のあるRENAにしても、シュートボクサーとしての実績は十分だけれど、MMAファイターとしてはまだまだ初心者である。
稀に立ち技系のファイターがすぐにMMAに対応できる場合もあるけれど、総合格闘技の技術が日進月歩の現在、普通は容易に対応できないものだ。
それはRIZINの中でも立ち技の世界で圧倒的な強さを見せつけてきたアンディ・サワーが何もできずに2連敗したことだけでも容易に理解できるだろう。
MMAルールでのRENAは2016年までは「勝てるだろう相手」を用意されていただけだというのが一つと、もちろん男子も女子も最上のファイターはUFCのオクタゴンで戦っているから「強い対戦相手がいない」というのもある。
だからこそ山本美憂がリングへ上がったりしているわけだが、それまでMMAの実績があればまだしも、「40歳を超えてMMA初挑戦」という人の試合を高い入場料を取って見せていいのかという話にもなる。
RIZINの入場料、かなり高いですから。
「そのくらいのものを、そのくらいとして宣伝し、そのくらいの価格の入場料を設定する』というのであればいいけれど、わたしが最も納得できないのは、
「まったく最高でないものを、最高のように見せかけて売る」態度だ。
「UFCとの差なんて、格闘ファンは分かっているよ」という意見もあるが、一般の人は分かりませんから。
RIZINを観て、「ミルコ、やっぱり強いなあ」なんて信じてしまう人は多くいるでしょう。
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●忘れた頃に、ソネブロメンテナンスが!&ある意味有効な「タイガーマスク」の信念、
●牧村三枝子「みちづれ」を羽山みづきが歌うとどうなる? [「言葉」による革命]
●牧村三枝子「みちづれ」を羽山みづきが歌うとどうなる?
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
牧村三枝子、あるいは渡哲也も歌っている「みちづれ」は傑作だと思う。
『矢切の渡し』と同様のロマンティシズムが漲ったメロディと構成、そして歌詞である。
演歌の歌詞については今後間違いなく改革していくべきだと思うが、まあ伝統の一つとして残す部分も必要だろう。
11月に放送された『新BSにっぽんの歌』で新人演歌歌手の羽山みづきが「みちづれ」を歌った。
「雪んこ風唄」という妙にツボなデビュー曲で異な雰囲気を漂わせる、出羽三山巫女を6年間務めた経歴を持つ羽山みづきだが、「みちづれ」を歌うにはいささか時期尚早だったようだ。
「人生の哀感」をしっかり踏まえつつ歌わねば、「みちづれ」は優れて聴こえてこない。
しかしデビューしたばかりの羽山みづき、また頑張っておくれ、という話である。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
牧村三枝子、あるいは渡哲也も歌っている「みちづれ」は傑作だと思う。
『矢切の渡し』と同様のロマンティシズムが漲ったメロディと構成、そして歌詞である。
演歌の歌詞については今後間違いなく改革していくべきだと思うが、まあ伝統の一つとして残す部分も必要だろう。
11月に放送された『新BSにっぽんの歌』で新人演歌歌手の羽山みづきが「みちづれ」を歌った。
「雪んこ風唄」という妙にツボなデビュー曲で異な雰囲気を漂わせる、出羽三山巫女を6年間務めた経歴を持つ羽山みづきだが、「みちづれ」を歌うにはいささか時期尚早だったようだ。
「人生の哀感」をしっかり踏まえつつ歌わねば、「みちづれ」は優れて聴こえてこない。
しかしデビューしたばかりの羽山みづき、また頑張っておくれ、という話である。
●弟も馬鹿にされたという「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」を経てつかんだ丘みどり「本格演歌歌手」への道。 [「言葉」による革命]
●弟も馬鹿にされたという「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」を経てつかんだ丘みどり「本格演歌歌手」への道。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
春先に丘みどりが出演した番組と最近のものを比較すると、顔のラインや腕など、少々細くなっているように見える。
それは丘みどりのオフィシャルブログで随時伝えられているキャンペーンなどの過酷さを、決して丘みどりは「過酷そう」には書かないけれど、考えればある程度痩せてきても当然のようにも思える。
丘みどりのファンとしては、少しでもキャンペーンなどを減らしながらでも十分な活躍が望める状態になってもらえるように応援していく他はないだろう。
『紅白歌合戦』出場で状況は変わっていくとは思うけれど。
丘みどりがデビュー間もない頃、「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」で歌っていたことはファンの間ではよく知られているが、最近『日刊スポーツ』の記事で読んだのだけれど、そんな衣装で歌うことに対して批判や揶揄を受け、しかも弟が、
「お前の姉ちゃん、へそ出して 演歌歌ってるやん」
と馬鹿にされていた旨、語っている。
その衣装の一つは次の動画で見ることができるが、
〈ミニスカブーツ演歌アイドル~丘みどり「風鈴恋唄」~〉
https://www.youtube.com/watch?v=TtKZc9BEbVg
まあ一体当該事務所は何を考えていたのかと言うしかない。
こんなことまでしながら、10年ほどはまったく売れず、その間どのような感情だったのか、「同じ気持ち」にはなれないにしても、「同じ人間」として推し量ることはできるというものだ。
こうした苦難、苦悩の日々を超え、ようやく手にした『紅白歌合戦』初出場の切符は、バブル的な人気で当然のような顔で出場してくる歌手たちとはまったく異なる意味を持つ。
2017年『紅白歌合戦』の丘みどり、じっくり鑑賞したい。
それにしても先に挙げた「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」の、ほとんど「キワモノ」だった時代を経て、よくぞ現在のような本格派の歌い手の地位を築いたものだと思う。
丘みどりをまだあまり知らない方はぜひ次の動画も視聴して、その信じ難い成長ぶりを確認していただきたい。
〈丘みどり~佐渡の夕笛・ 恋は女の命の華よ~〉
https://www.youtube.com/watch?v=rdG9muP7LRg
2017年『紅白歌合戦』について、「安室も桑田佳祐も出てないような紅白がどうたらこうたら」的な記事や意見も見かけたが、「そんなこと、いいじゃない!」と言いたくなる。
安室奈美恵に対して深い思い入れを持つファンは多く、何の思い入れも持たないわたしがどうこう言うのも何だけれど、「紅白出場で引退を飾る~~」とか、そんなタイプではないだろう。
しかし一部報道によれば、NHKはまだ、「桑田、安室と交渉中」などと言っているそうだ。
「もう、たいがいにせえよ!」である。
末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
春先に丘みどりが出演した番組と最近のものを比較すると、顔のラインや腕など、少々細くなっているように見える。
それは丘みどりのオフィシャルブログで随時伝えられているキャンペーンなどの過酷さを、決して丘みどりは「過酷そう」には書かないけれど、考えればある程度痩せてきても当然のようにも思える。
丘みどりのファンとしては、少しでもキャンペーンなどを減らしながらでも十分な活躍が望める状態になってもらえるように応援していく他はないだろう。
『紅白歌合戦』出場で状況は変わっていくとは思うけれど。
丘みどりがデビュー間もない頃、「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」で歌っていたことはファンの間ではよく知られているが、最近『日刊スポーツ』の記事で読んだのだけれど、そんな衣装で歌うことに対して批判や揶揄を受け、しかも弟が、
「お前の姉ちゃん、へそ出して 演歌歌ってるやん」
と馬鹿にされていた旨、語っている。
その衣装の一つは次の動画で見ることができるが、
〈ミニスカブーツ演歌アイドル~丘みどり「風鈴恋唄」~〉
https://www.youtube.com/watch?v=TtKZc9BEbVg
まあ一体当該事務所は何を考えていたのかと言うしかない。
こんなことまでしながら、10年ほどはまったく売れず、その間どのような感情だったのか、「同じ気持ち」にはなれないにしても、「同じ人間」として推し量ることはできるというものだ。
こうした苦難、苦悩の日々を超え、ようやく手にした『紅白歌合戦』初出場の切符は、バブル的な人気で当然のような顔で出場してくる歌手たちとはまったく異なる意味を持つ。
2017年『紅白歌合戦』の丘みどり、じっくり鑑賞したい。
それにしても先に挙げた「へそ出し、ギラギラミニスカ衣装」の、ほとんど「キワモノ」だった時代を経て、よくぞ現在のような本格派の歌い手の地位を築いたものだと思う。
丘みどりをまだあまり知らない方はぜひ次の動画も視聴して、その信じ難い成長ぶりを確認していただきたい。
〈丘みどり~佐渡の夕笛・ 恋は女の命の華よ~〉
https://www.youtube.com/watch?v=rdG9muP7LRg
2017年『紅白歌合戦』について、「安室も桑田佳祐も出てないような紅白がどうたらこうたら」的な記事や意見も見かけたが、「そんなこと、いいじゃない!」と言いたくなる。
安室奈美恵に対して深い思い入れを持つファンは多く、何の思い入れも持たないわたしがどうこう言うのも何だけれど、「紅白出場で引退を飾る~~」とか、そんなタイプではないだろう。
しかし一部報道によれば、NHKはまだ、「桑田、安室と交渉中」などと言っているそうだ。
「もう、たいがいにせえよ!」である。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、痛み」篇。2017年11月27日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、痛み」篇。
「猫、痛み」
「痛み」を
特別なことだと思うな
「痛み」を
普通だと思え
・・・・・・
そして心に浮かべるだけでも
「痛み」を和らげてくれる
ぼくの素敵なネコ!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、痛み」
「痛み」を
特別なことだと思うな
「痛み」を
普通だと思え
・・・・・・
そして心に浮かべるだけでも
「痛み」を和らげてくれる
ぼくの素敵なネコ!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「コミュニケーション能力不全」にならないため、かつての同僚「沢加奈氏(仮名)」を例に取りながら。2017年11月26日 [「言葉」による革命]
※2017年12月1日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「コミュニケーション能力不全」にならないため、かつての同僚「沢加奈氏(仮名)」を例に取りながら。
「コミュニケーション能力不全」の人が一人いると、その場の雰囲気はもちろん、実質的な時間・空間に大きな滞りが生じてしまいます。
「コミュニケーション能力不全」の人の中には性格的に「いい人」も多くいます。
それだけに、その状態のままなのはとても残念なのですね。
「沢加奈氏(仮名)」という人は、わたしが進学塾に勤めていた時期の同僚なのですが、極めて濃厚に「コミュニケーション能力不全」の言動をしていました。
今回も「沢加奈氏」の具体例を挙げながら、「コミュニケーション能力不全」について、そしてその改善の方法について、お話を深めていきましょう。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「コミュニケーション能力不全」にならないため、かつての同僚「沢加奈氏(仮名)」を例に取りながら。
「コミュニケーション能力不全」の人が一人いると、その場の雰囲気はもちろん、実質的な時間・空間に大きな滞りが生じてしまいます。
「コミュニケーション能力不全」の人の中には性格的に「いい人」も多くいます。
それだけに、その状態のままなのはとても残念なのですね。
「沢加奈氏(仮名)」という人は、わたしが進学塾に勤めていた時期の同僚なのですが、極めて濃厚に「コミュニケーション能力不全」の言動をしていました。
今回も「沢加奈氏」の具体例を挙げながら、「コミュニケーション能力不全」について、そしてその改善の方法について、お話を深めていきましょう。
(続きは、有料メルマガでお願いします)
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「こんにゃくの料理、栄養、カロリーとその可能性に関する小さな考察」その3。2017年11月26日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ「こんにゃくの料理、栄養、カロリーとその可能性に関する小さな考察」その3
末尾ルコ「食で知性と感性を鍛えるレッスン」
「こんにゃくの美味しさ」
あるいは
「おでんの美味しさ」
まずこんにゃく自体の味はとても淡泊である。
こんにゃくの美味しさはその「食感」にあるという意見がとても多い。
ではどんな食感か?
「こんにゃくの食感」を、あなたはどう表現するか?
いくつか例を挙げてみよう。
ぷるぷるした食感
ぷにゅぷにゅした感じ
しこしこした歯応え
噛み応えがある
独特の歯触り
どうでしょうか?
例えば今だと多くの人が、「こんにゃくの美味しさ」を、
「ヤバい!」のひと言で済ますだろう。
この「ヤバい」という言葉の用法は非常に困ったもので、これだけ褒め言葉として広範囲に使える表現は今までなかったのではないか。
食べ物に対しても、人間に対しても、映画や音楽に対しても、すべて
「ヤバい!」で済ます人、実際に多く存在する。
日本人だけでなく、どんな国の国民でもその土台となっているのは国語である。
経済指標だけが国の豊かさを表しているわけではない。
国語が貧しくなれば、その国自体が貧しくなっているのと同じことなのだ。
その意味で、「新語・流行語」に寛容過ぎる「識者」たちの感覚を、わたしは一切信用しない。
●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!
末尾ルコ「食で知性と感性を鍛えるレッスン」
「こんにゃくの美味しさ」
あるいは
「おでんの美味しさ」
まずこんにゃく自体の味はとても淡泊である。
こんにゃくの美味しさはその「食感」にあるという意見がとても多い。
ではどんな食感か?
「こんにゃくの食感」を、あなたはどう表現するか?
いくつか例を挙げてみよう。
ぷるぷるした食感
ぷにゅぷにゅした感じ
しこしこした歯応え
噛み応えがある
独特の歯触り
どうでしょうか?
例えば今だと多くの人が、「こんにゃくの美味しさ」を、
「ヤバい!」のひと言で済ますだろう。
この「ヤバい」という言葉の用法は非常に困ったもので、これだけ褒め言葉として広範囲に使える表現は今までなかったのではないか。
食べ物に対しても、人間に対しても、映画や音楽に対しても、すべて
「ヤバい!」で済ます人、実際に多く存在する。
日本人だけでなく、どんな国の国民でもその土台となっているのは国語である。
経済指標だけが国の豊かさを表しているわけではない。
国語が貧しくなれば、その国自体が貧しくなっているのと同じことなのだ。
その意味で、「新語・流行語」に寛容過ぎる「識者」たちの感覚を、わたしは一切信用しない。
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●クリスマスに向けてというわけじゃないが、セシル・B・デミルの『十戒』を鑑賞。 [「言葉」による革命]
●クリスマスに向けてというわけじゃないが、セシル・B・デミルの『十戒』を鑑賞。
末尾ルコ「映画で、知性と感性を鍛えるレッスン」
映画演出や撮影技術が大きく変化してきたこともあり、「かつての大作」を大味で平板に感じることも間々あるのだが、そうしたことを考慮に入れても、CGなしで本物の人間とセット、そしてロケでの撮影というだけでも現代に鑑賞する価値ありなのである。
セシル・B・デミルの『十戒』を観たのは、比較的最近同じテーマを扱ったリドリー・スコット監督の『エクソダス』を鑑賞していたこともあり、(『十戒』ではどうだったかな)というのもあった。
そして確かに出だしからしばらくは平板な展開に、(4時間持つかな、こらあ・・・)と感じるのだが、モーゼがその出自を知る前後からグッとおもしろくなってくる。
末尾ルコ「映画で、知性と感性を鍛えるレッスン」
映画演出や撮影技術が大きく変化してきたこともあり、「かつての大作」を大味で平板に感じることも間々あるのだが、そうしたことを考慮に入れても、CGなしで本物の人間とセット、そしてロケでの撮影というだけでも現代に鑑賞する価値ありなのである。
セシル・B・デミルの『十戒』を観たのは、比較的最近同じテーマを扱ったリドリー・スコット監督の『エクソダス』を鑑賞していたこともあり、(『十戒』ではどうだったかな)というのもあった。
そして確かに出だしからしばらくは平板な展開に、(4時間持つかな、こらあ・・・)と感じるのだが、モーゼがその出自を知る前後からグッとおもしろくなってくる。
●「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」男が見ていたものは?プロレスラーに対する「憧れ」とは? [「言葉」による革命]
●「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」男が見ていたものは?プロレスラーに対する「憧れ」とは?
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
行きつけのカフェでちょいちょい見かける男性。
体形的にはヘイスタック・カルホーン、あるいはマクガイア兄弟的なのであり、少々、いやかなりウエートダウンした方がいいとは思うけれど、まあわたし、知り合いじゃないし、「ねえ君、もうちょっと体重減らした方がいいよ」などと差し出がましいことは言わない。
ウエートオーバーな人材は世の中に数多くいるわけで、それだけでは特段の注意を払うことはないのであるが、その男性にはわたしの心に(おっ!)と思わせる何かがあった。
黒縁の眼鏡をかけ、やや天然パーマ的な黒髪、唇は太いその男は、
「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」を着用していたのだ。
いや、それだけではない。
あまつさえその男は、
「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンバッグ」まで提げているではないか!
ここでわたしは持ち前の、シャーロック・ホームズ&明智小五郎&フィリップ・マーロウ&リュウ・アーチャーもかくやとばかりに鋭敏な推理力を発揮した。
(この男は、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのファンに相違ない!)
・・・・どうです。見事な推理でしょう
ちなみに、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとは新日本プロレスの内藤哲也を首領としたグループで、配下にはEVIL、BUSHIなどがいる。
ある日その、ファンキーにしてウエートオーバーな男が明らかに夢見心地でテーブルに雑誌を広げて細かく読み込んでいた。
ちらっと見るともなしに見てみると、1ページに何人もの人物写真が掲載されている。
そう、間違いなく、
「プロレスラー名鑑」だ!
その憧れに満ちた眼差し、彼の身体全体から発散する満ち足りた幸福感・・・「プロレスこそ至上」と信じている時の人間の持つ雰囲気そのものではないか。
そう、わたしもかつて、『プロレス入門』を夢見心地で何度も何度も眺めていた時代があったのだ。
しかしそれはかなりの幼少時であり、目の前にいる男はどうだろう、30歳くらいだろうか。
その「プロレスラー名鑑」は現在のものだから、間違いなく日本人レスラーてんこ盛りであり、もしわたしがその名鑑を見たところで、彼とは「異なる人間」が見えるに違いない。
しかしこうしたシンプルにプロレスに憧れているファンが、プロレス界のとってはとても大切なのだ。
が、反面こうも思う。
「憧れ」とは何なのだ?
人はどのような人に憧れるのだ?
人はそう簡単に人に憧れていいのか?
そして、
「憧れられる人」、まして「人を憧れさせるように持って行っている人たち」の責任はどうなるのか?
特にプロレス界は、「憧れられなければならない」世界であるにも関わらず、かなりのお金と時間をプロレスに費やしているファンに対して無責任なことが多過ぎたのではないか。
などと思いを馳せながら、心の中でその男に、(もう30キロくらい痩せなきゃね)と囁いたわたしです(山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」
行きつけのカフェでちょいちょい見かける男性。
体形的にはヘイスタック・カルホーン、あるいはマクガイア兄弟的なのであり、少々、いやかなりウエートダウンした方がいいとは思うけれど、まあわたし、知り合いじゃないし、「ねえ君、もうちょっと体重減らした方がいいよ」などと差し出がましいことは言わない。
ウエートオーバーな人材は世の中に数多くいるわけで、それだけでは特段の注意を払うことはないのであるが、その男性にはわたしの心に(おっ!)と思わせる何かがあった。
黒縁の眼鏡をかけ、やや天然パーマ的な黒髪、唇は太いその男は、
「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ」を着用していたのだ。
いや、それだけではない。
あまつさえその男は、
「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンバッグ」まで提げているではないか!
ここでわたしは持ち前の、シャーロック・ホームズ&明智小五郎&フィリップ・マーロウ&リュウ・アーチャーもかくやとばかりに鋭敏な推理力を発揮した。
(この男は、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンのファンに相違ない!)
・・・・どうです。見事な推理でしょう
ちなみに、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとは新日本プロレスの内藤哲也を首領としたグループで、配下にはEVIL、BUSHIなどがいる。
ある日その、ファンキーにしてウエートオーバーな男が明らかに夢見心地でテーブルに雑誌を広げて細かく読み込んでいた。
ちらっと見るともなしに見てみると、1ページに何人もの人物写真が掲載されている。
そう、間違いなく、
「プロレスラー名鑑」だ!
その憧れに満ちた眼差し、彼の身体全体から発散する満ち足りた幸福感・・・「プロレスこそ至上」と信じている時の人間の持つ雰囲気そのものではないか。
そう、わたしもかつて、『プロレス入門』を夢見心地で何度も何度も眺めていた時代があったのだ。
しかしそれはかなりの幼少時であり、目の前にいる男はどうだろう、30歳くらいだろうか。
その「プロレスラー名鑑」は現在のものだから、間違いなく日本人レスラーてんこ盛りであり、もしわたしがその名鑑を見たところで、彼とは「異なる人間」が見えるに違いない。
しかしこうしたシンプルにプロレスに憧れているファンが、プロレス界のとってはとても大切なのだ。
が、反面こうも思う。
「憧れ」とは何なのだ?
人はどのような人に憧れるのだ?
人はそう簡単に人に憧れていいのか?
そして、
「憧れられる人」、まして「人を憧れさせるように持って行っている人たち」の責任はどうなるのか?
特にプロレス界は、「憧れられなければならない」世界であるにも関わらず、かなりのお金と時間をプロレスに費やしているファンに対して無責任なことが多過ぎたのではないか。
などと思いを馳せながら、心の中でその男に、(もう30キロくらい痩せなきゃね)と囁いたわたしです(山田姉妹「みずいろの手紙」風に)。
〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、進め!」篇。2017年11月26日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ詩D「猫、進め!」篇。
「猫、進め!」
進むとは
進軍のことだろうか
いや、そんなことは二の次だ
進め!どんなに痛みがあっても。
・・・・・・
もちろんぼくは、
ひたすら進む、
ぼくの素敵なネコのために!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)
「猫、進め!」
進むとは
進軍のことだろうか
いや、そんなことは二の次だ
進め!どんなに痛みがあっても。
・・・・・・
もちろんぼくは、
ひたすら進む、
ぼくの素敵なネコのために!
(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)