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末尾ルコ フラグメント「パンダと猫」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ フラグメント「パンダと猫」

パンダよりその辺の猫の方がカワイイ

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月9日 [愛の景色]

白薔薇の大輪が
地球の一点に凝縮したような
あなたが掃除する姿

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●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」~「美しい」と「きれい」の使い分け。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「真の言葉のレッスン」~「美しい」と「きれい」の使い分け。

一つの言葉は使われる文脈、使う人、使われた対象などにより変わる。
極端に言えば、「一つの言葉の意味」は、「使う人間の数だけある」ということだ。
わたしたちはその真実に対して、畏れと愉悦をいつも感じながら「言語運用」をしていかねばならないのです。

例えば、
「美しい」という言葉と
「きれい」という言葉、

しっかり使い分けたいですね。
しかも
「きれい」と「綺麗(奇麗)」ではニュアンスがかなり違うのです。

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●末尾ルコ「昭和史」~わたしはなぜあの頃、「伊藤つかさのアルバム購入」などという暴挙をしてしまったか、あるいは「ヘアヌードブーム」の時代。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「昭和史」~わたしはなぜあの頃、「伊藤つかさのアルバム購入」などという暴挙をしてしまったか、あるいは「ヘアヌードブーム」の時代。

末尾ルコ「昭和史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

そうか、タモリは伊藤つかさが好きだったんだ。などと、ふとわたしが伊藤つかさのLPを買ったことがあったという黒歴史を思い出したというか、伊藤つかさという名前自体ずっと忘れていて、なぜかふと心に上ってきたよのさ(←ピノコ風に)。
黒歴史と言えば、かつて一瞬菊池桃子のファンになって『MOMOKO』なんて雑誌を買っていた事実もわたしとしては赤面歴史ではあるけれど、菊池桃子の場合は少なくとも当時としては、「極めて容姿に優れたアイドル」という認識が広範にされていた。
それまでのアイドル歌手の一部、あるいはかなりの部分かもしれないが、(え?この人のどこがいいの?その辺に歩いている女の子と変わらないじゃん)と思わせる人がいて、まあここは嗜好の問題も入ってくるけれど。
アイドル当時の菊池桃子レベルのルックス女子(笑)が高知の帯屋町を歩いているなんて図はあまり想像できるものではなかったんですな。
その点、伊藤つかさの特に「顔」についてはわたしの周囲でも評価が分かれていた。
もちろん「可愛い」と思っている男子生徒が多かったが、「よく見たら、ブスじゃないか?」とする意見も少なからずあった。
今見ても当時の伊藤つかさ、ぽわ~ンとポイントに欠ける顔立ちではある。

伊藤つかさが『3年B組金八先生』に出演したのが1980年。
翌1981年には例の「少女人形」をリリースしている。

「少女人形」について『ロッキング・オン』で批判的記事が掲載されていたのが印象的で、「この男に媚を売る路線は何だ!」的内容だったのだが、現在日本の「少女」的路線に対する市場は当時とは比較にならないほど膨張してしまっており、何をかいわんやの世界である。

伊藤つかさは2002年にヘアヌード写真集を出版したそうであるが、わたしは伊藤つかさに限らず、「ヘアヌードブーム」にはまったく乗れなかった。
あるいは乗らなかった。
ぜんぜんエロくもないし、芸術として優れているわけでもないし(中には優れているものもあったのだろうが、すべてのヘアヌードをチェックするような暇人ではないし)、要するにつまらなかったのですわ。

わたしが当時どうして伊藤つかさのアルバム購入という暴挙を成してしまったかと言えば、「伊藤つかさに夢中になったから!」ではぜんぜんなくて、簡単に言えば、「その時期のノリ」といったところだろう。
「アートでロックでプロレスな男は、アイドル情報もある程度はたしなんでおかねばならない」的な感覚が当時はあった。

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