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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『冬薔薇』の小林薫で幸福感~CG空回りで残念だったリドリー・スコット『エクソダス』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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阪本順治監督の『冬薔薇』。
小林薫が伊藤健太郎の父役。
石橋蓮司も出ていて小林薫と二人のシーンもある。
石橋蓮司と小林薫。
この贅沢なシーンを「贅沢なシーン」として愉しめる人間で、日本人でありたい。
それとねえ、わたし、小林薫がいるだけで幸福な気分になるんだよねえ。

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「CG満載映画」についてもう少しお話を進めれば、「CGがとても残念だった作品」の筆頭として頭に浮かぶのが、リドリー・スコット監督の『エクソダス 神と王』だ。
「とても残念だった」というのは「とても期待していて」という意味を含んでおり、『ワイルド・スピード』や『トランスフォーマー』には何も期待していないので「残念」とも感じないのだけれど、『グラディエーター』で見事に本物の肉体とCGをコラボして生かし切ったリドリー・スコットの史劇なので大いに期待したのだが、見せ場のシーンになればなるほどCGが空回りしてしまい、特にクライマックスの断崖における追跡シーンは作品の中にまったく入れなくなるほど空虚な映像となってしまっていた。

『ゼロ・グラビティ』に関していえば、上映時間の間中心に映し出され続けるサンドラ・ブロックのリアルな肉体と顔が完璧なまでに共鳴し合い、増幅していたのであり、主人公が少年である『ジャングル・ブック』はそういうわけにはいかないのだけれど、多くの「現実の動物たち」を敢えてCGで再現することで、わたしたちの精神の底にある野生に対するノスタルジーを擽ってくれる効果を有する出来となっている。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『冬薔薇』主演はあの伊藤健太郎~CG満載でも愉しめる『ジャングル・ブック』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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阪本順治監督の『冬薔薇』の主演は伊藤健太郎で、この俳優はご存知の通りひき逃げ事件を起こしていてしばらく謹慎状態ところ、坂本監督が敢えて伊藤健太郎向けに脚本を書いたとされる。
まあこうしたやり方について賛否はあろうかと思うが、テレビと違い映画界はより寛容であるべきだともいつも思っている。
伊藤健太郎の人格とかわたしは知らないが、俳優としての才能はある。

ところで『冬薔薇』、伊藤健太郎の父母役として小林薫、余貴美子が出ているが、このあたりもさすが阪本監督、豪華だ。

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映画『ジャングル・ブック』は主人公の子ども以外の出演はすべてCGの動物であって、わたしが「CG映像満載」の映画を好んでないことはちょいちょい書いているけれど、中にはとてもよくできている作品もあり、『ジャングル・ブック』は間違いなくその一つだと思う。
ちなみに「CG満載で凄い作品」の代表的な作品が『ゼロ・グラビティ』であり、この映画の場合、「映画館で観なくてどうする!さあさあさあ!!!!」と怒鳴りながら街を駆け回りたくなるほどの圧倒的映像体験だった・・・ということは鑑賞した方であればどなたも理解できると思う。
逆に個人的に、(もういいっス・・・)となってしまうのがスーパーヒーロー物や『ワイルド・スピード』、あるいは『トランスフォーマー』などであり、何と言うか、際限なく溢れかえるCG映像のシーンが来ると、(もう続きは観なくていいや)という気分になる。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~北別府を読みまくったある深夜~『冬薔薇』の永山絢斗はとてもいいよ。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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北別府学が亡くなった数日後の午前0時過ぎ、スマホで北別府の記事を検索し始めると止まらなくなった。
軽く1時間以上はそれだけで経過した。
これは決して無駄な時間じゃあないよ。

阪本順治監督の『冬薔薇(そうび)』は評判通りのおもしろさで、件の永山絢斗は半グレのリーダー役で、NHKなどで温い役をやっている姿をちょいちょい見かけたが、さすが阪本順治監督作では違う。
まあ永山絢斗の「やったこと」についてはここでは置くとしてね。


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キップリングの『ジャングル・ブック』原作を子どもの頃読んでいるかというと、明確な記憶はないが、読んでない可能性が高い。
わたしは読書を本格的に始めたかなり年少の時代から江戸川乱歩や実録怪奇物などのエグい本を好み、少年向けの乱歩シリーズからすぐに大人向けの文庫に移行し、その後も心躍らせる異常小説や異常実録物を中心にチョイスしていたもので、「いかにも少年・少女向け」というタイプの本はあまり読んだ記憶がないのだ。
本は親がちょいちょい本屋へ連れて行ってくれたのでそこで選んでいたのと、しかし普通は一回に一冊しか買ってもらえなかったから、頼りにしていたのは近所にやって来る移動図書館だった。
市民図書館、県立図書館自体は、幼少のキッズが一人で通うにはやや遠すぎた。
なぜか「パリの空の下 セーヌは流れる」のメロディを町内一体に聞こえるほどに流しながらやって来る移動図書館は紅顔のキッズだったわたしにとって、「取り敢えず宝の山」だった。
「取り敢えず」と言うのは、本の入れ替えはもちろんやっているだろうけれど、限られたスペースの移動図書館の蔵書などは、獰猛な読書家であったわたしにとってあっと言う間にペンペン草も無くなってしまう程度のものだったのである。
あ、いくらか話は盛っていますが、概ね事実である。

で、何と言うべきか、子ども時代のわたしって、「純粋な子ども」が主人公の小説やノンフィクションにはほとんど興味を示さなかったのである。
こう書くとわたしがいかにもひねくれた陰質な子どもだったように感じられるかもしれないが、少なくとも小学校6年間の内の5年間は学級委員長に選ばれていたのだから、わたしを「リーダーシップがあって、爽やかなボーイ」だと受け取っていたクラスメートや教員も多かったのに違いない。
と言いますか、書き始めてから話がどんどんズレていってる感じだが、ジョン・ファブロー監督の『ジャングル・ブック』がなかなかおもしろかったところから、今の自分が忘れていたいろいろなことを思い出して・・・という文脈のつもりでスタートした文章なのである、これは。
映画『ジャングル・ブック』には精密なCGで様々な動物が再現されていて、「CG満載」の映画は原則好きではないけれど、この作品は例外的に退屈せずに楽しめたのだが、それ以上に、(ああ、子ども時代って、意識の中で世界中の動物や昆虫や魚などと生きていたなあ)と思い出し、今では普段ほとんどそうしたことが心の中にない自分を見出した次第である。
でもこの感覚、取り戻したいなあと。
ちなみに子ども時代、わたしが好きだった動物は、

チーター
カメレオン

が二大巨頭だったと、これは断言できる。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~6月、北別府学も死んだ~映画の綾野剛のテレビドラマの位置づけ。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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去年から、アントニオ猪木、高橋幸宏、坂本龍一、そしてこの6月には北別府学も亡くなった。
まあこの3人を並べるのもどうかと思うが、いずれもある時期、わたしにとってとても大切だった人たちばかりだ(坂本龍一に関しては、死去後もわたしの中でその存在が大きくなり続けている)。
今は野球、だけでなく、スポーツ観戦とは程遠い生活となってしまったわたしだが、特に高校時代は広島カープに入れあげた。
日本一に何度もなった強い広島カープ。
その中で大エースだっただけでなく、スポーツ選手らしからぬ独特の雰囲気を醸し出していたのが北別府学だった。

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綾野剛は朝ドラに出演してから日本全国で一般の人たちにも知られるようになり、「俳優が知名度を上げる」という点のみにおいては「朝ドラ恐るべし」なのだけれど、この状況をわたしは当然いいものとは思っていない。
それはさて置き、「朝ドラで有名になった俳優」は数多いが、ざっくりと「完全なぼっと出」と「もともと映画や舞台でかなりの実績がある」の2通りのタイプに分けることができ、綾野剛は当然後者である。
で、綾野剛の場合、大きく知名度を上げた後もその基本スタンスは変わらずに、インディを中心に様々な映画へ出演し続けている。
その中にはいわずもがなの過激な内容の作品もかなり多く、と言うか、テレビドラマなどでヌルい役を演じれば演じるほど(テレビでもヌルくない役、時にありますが)、過激な映画出演も増えているような気さえするが、実は映画というものは真正面から取り組んだ作品は、現在の社会常識の中では「過激」に捉えられるような内容になってしまうだけで、実はこの「現在の社会常識」の方がおかしいのである点注意が必要だ。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~7月内科受診、肝機能は?『そして、デブノーの森へ』の映画的官能。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

7月4日はうたちゃん(母)の内科定期受診、前々回からの肝機能数値が高めであるという懸念がどうなっているか、ここがもうずっとわたしの心に重圧をかけてきていたのです。
しかし今回、結論から書くと、数値、大幅に改善されていました。
特にこの2か月、わたしかなりの努力をしてきたので、これは嬉しかった。
もちろんこの今回の検査は今回の検査だけのことであり、そして肝機能だけが懸念材料だというわけでもないから常に「油断大敵」ということは心の一番前に置きつつ、今回のことは取り敢えず喜びつつ。

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『そして、デブノーの森へ』という映画は、フランス語タイトルは『LE PRIX DU DESIR』であって、イタリア語タイトルもあるけれど、ここでは触れない。監督はロベルト・アンドー、脚本がロベルト・アンドー、 サルヴァトーレ・マルカレッリ。日本語でのいささか馬鹿馬鹿しいジャンル分けをすれば、「官能サスペンス」「ラブ・サスペンス」というところだ。これどこのテの作品は本来とても映画と親和性が高い。しかし特にハリウッドで近年あまり作られてないのも事実であり、要するに「観る人が少ない」と作られなくなるのだが、この状況はとても残念である。「官能サスペンス」の「官能」も「サスペンス」も映画表現にはとても合っており、テレビや舞台ではなかなか成し得ない世界を創ることができるのだから。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~わたしは俳優の不倫に腹を立てない~トム・ハーディとガル・ガドットの「顔」。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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ぶっちゃけわたしは俳優やミュージシャンの私生活にはさほど興味はない。
「ぜんぜん興味はないよ」とまでは言わないが、そして人によりけりケースバイケースでもあるけれど、少なくとも熱心な興味はない。
つまり誰かが不倫したからといって目くじら立てることは一切ないし、もちろん腹を立てることもない。
わたしが俳優やミュージシャンに求めているのは当然ながら品行方正な私生活ではなく、あくまで「よき作品」なんです、ほぼ100%それだけ。

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現在活躍中の映画俳優の中では、これは男優に限りの話だけれど、女優についてはわたしなりの特別な鑑賞法があるわけだから、トム・ハーディがかなり好きな「顔」である。
人間の顔がスクリーンで大映しになる映画の世界で俳優の「顔」が重要なことは言うまでもないが、単なる美男・美女・カワイイではまったく足りないのも映画俳優の世界だ。
そんな中、現在映画へ出まくっているトム・ハーディだが、例えば『クライム・ヒート』のような小さめの犯罪物でも、トム・ハーディの「顔」を観ているだけで飽きることがない。

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『ワンダーウーマン』は評判通り主演ガル・ガドットの魅惑がスクリーンを圧していて、うっとりしている間に2時間20分ほどがアッという間に経過する。
もっとも映画最終盤の、「アレスとの対決シーン」。
このお約束のCG満載超能力対決映像については困ったものだなあとは思う。
このシーンへ至って、映画は制御を失ったかのように空虚なCGが炸裂しまくる。
しかしまあいいだろう。
ガル・ガドットの美しい顔と四肢、そして第2次大戦中のロンドンの再現などだけでも映画的快感は充分味わえる。
そして『ワンダーウーマン』の本当のクライマックスは、西部戦線の塹壕戦の中、ダイアナが単身ナチスの一斉射撃に立ち向かい、楯により脚を踏ん張りながら持ちこたえ、次々と包囲を破り、狙撃手が潜む街の鐘楼を破壊するに至る極めてエキサイティングなシーンであることは言うまでもない。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『鉄道員』の広末涼子の不倫血祭の件~『ヒトラー暗殺、13分の誤算』。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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もちろん『鉄道員』にも観どころはあって、言うまでもなく何と言っても、高倉健の鉄道員姿。
高倉健の鉄道員制服姿と北海道の雪景色。
これだけで鑑賞の価値がある。

が、映画全体で言うならば、例えば高倉健の妻役が大竹しのぶであるとか、あるいは広末涼子の存在であるとか、高倉健主演映画としてはミスマッチに感じられるのだ。

広末涼子と言えばこの五月、不倫云々でネット血祭りにあげられておりました。
まあとにかく芸能人の不倫ネタが大好きな暇人が多過ぎである。

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映画館で『ダンケルク』を鑑賞するのと前後して、家で『ヒトラー暗殺、13分の誤算』と『大脱走』を観た。
3本とも第2次世界大戦、ナチス・ドイツが大きなテーマの作品だ。
これは意図したわけではなくて、たままたま鑑賞順がそうなったのだが、ナチス・ドイツという題材はこの先も容易に尽きることはなさそうだ。
例えば同じ第2次世界大戦でも、ムッソリーニのファシスト党を主要なテーマとする映画はそうそう制作されない。
もちろんハリウッド映画の場合は、「どの程度米国を含む連合軍と戦ったか」によって、映画としてのストーリーが成立するか否かというポイントがあるのだから当然と言えるかもしれないが。



わたしは『ダンケルク』鑑賞前に『ヒトラー暗殺、13分の誤算』を観て、『ダンケルク』の後に『大脱走』を観たのであるが、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』はナチス時代のドイツで何度となく試みられた「アドルフ・ヒトラー暗殺計画ならび未遂事件」の一つであり、トム・クルーズ主演『ワルキューレ』として映画化されたシュタウフェンベルク大佐の暗殺未遂事件と並んでよく知られたものの一つである。
この事件は独りの家具職人ヨハン・ゲオルク・エルザ―によって計画・実行されたという特殊性が歴史上名高いし、『ヒトラー暗殺、13分の誤算』のタイトルから正しくその計画や実行の過程が描かれていると思いきや、エルザ―と人妻との「不倫愛」にじっくり時間を割いている点、かなり意外で、その意味では変におもしろい映画だったと言える。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『鉄道員』が高倉健尾代表作の一つという常識に異論~『サンザシの樹の下で』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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『鉄道員(ぽっぽや)』という映画は高倉健後期の代表作の一つとされていて、大ヒットした大人気作の一つなのだろうけれど、わたしとしてはこれを高倉健の代表作の一つに数えるのは抵抗がある。
全体としてあまりに緩く、悪い意味での通俗性に満ちていて、どうにも乗れないのである。
もっとも、ある時期からの日本で老若男女に受け入れられる大ヒットを狙うとしたら、こうした「あまりに分かりやすい」演出や演技で行くしかないのかなという気もして、要するに「現代日本人の観賞レベルに合わせた」映画なのだろうなとも思う。

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チャン・イーモウが世界でも別格的な映画監督の一人であることは既に1990年代には分かっていたが、とは言え、予算的に大作に取り組むと(???)という出来になることもあった。
が、淡々と切々と人間心理、特に恋愛心理を描かせば抜群の冴えを見せ、『サンザシの樹の下で』もそんな作品の一つである。
細かな話はまたおいおいやっていくけれど、恋愛を描いた映画のクライマックスで目頭が熱くなるなんて、昨今そうそうない体験ができたのが、この『サンザシの樹の下で』なのである。

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この前、「トム・ハーディの「顔」が好きである。」というプチエッセイを書いたが、映画『ダンケルク』ではその顔はほとんど見えない。
スピットファイヤのパイロット役であるトム・ハーディは、その飛行中はゴーグル越しの「目」しか見えないわけである。
ところがと言うか、やはりと言うべきか、それは「やはり」で間違いないのだが、「目しか見えない」トム・ハーディもとてもいいのである。
鋭い、厳しい、頼もし気なトム・ハーディの「目」だ。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~BS演歌番組の中身~『ティエリー・トグルドーの憂鬱』ヴァンサン・ランドンの映画的演技。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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BSには演歌系歌番組が多くあって、その多くは現役の歌手が往年のヒット曲をカヴァーするという内容となっている。
昨今演歌系のヒット曲がなく、各歌手が最近リリースした持ち歌を歌っても、視聴者のほとんどはそれら楽曲を知らないとなるから自ずと過去の有名曲に頼る番組構成となっているのだろうが、しょっちゅう演歌系番組を観ていると、同じ楽曲をしょっちゅう耳にすることにもなる。
で、演歌ファンでもないわたしが「しょっちゅう」演歌系番組を観ているのはひとえにうたちゃん(母)のためであり、うたちゃん、藤井風やKingGnuも大好きだが、やはり演歌も愉しむのである。

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今までにも何度か書いているけれど、フランスの名優ヴァンサン・ランドンの「映画的演技」が実に心地いい。

1959年7月15日生まれのヴァンサン・ランドンは、現在名実ともにフランスを代表する俳優の一人であり、世界的に見ても、「映画的演技」の名手の一人だと言える。

ではヴァンサン・ランドンのどこがとりわけ「映画的演技」なのか。

簡単に言えば、表情だけで、時には目の表情だけで、実に細やかな感情表現ができる点である。
カンヌ国際映画祭で男優賞、セザール賞で主演男優賞をヴァンサン・ランドンにもたらした『ティエリー・トグルドーの憂鬱』でも、台詞は極めて少ない。
しかし鑑賞者はヴァンサン・ランドンの「憂鬱」や「憤懣」に釘付けになるわけだ。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『鉄道員』が高倉健尾代表作の一つという常識に異論~『サンザシの樹の下で』。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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『鉄道員(ぽっぽや)』という映画は高倉健後期の代表作の一つとされていて、大ヒットした大人気作の一つなのだろうけれど、わたしとしてはこれを高倉健の代表作の一つに数えるのは抵抗がある。
全体としてあまりに緩く、悪い意味での通俗性に満ちていて、どうにも乗れないのである。
もっとも、ある時期からの日本で老若男女に受け入れられる大ヒットを狙うとしたら、こうした「あまりに分かりやすい」演出や演技で行くしかないのかなという気もして、要するに「現代日本人の観賞レベルに合わせた」映画なのだろうなとも思う。

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チャン・イーモウが世界でも別格的な映画監督の一人であることは既に1990年代には分かっていたが、とは言え、予算的に大作に取り組むと(???)という出来になることもあった。
が、淡々と切々と人間心理、特に恋愛心理を描かせば抜群の冴えを見せ、『サンザシの樹の下で』もそんな作品の一つである。
細かな話はまたおいおいやっていくけれど、恋愛を描いた映画のクライマックスで目頭が熱くなるなんて、昨今そうそうない体験ができたのが、この『サンザシの樹の下で』なのである。

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この前、「トム・ハーディの「顔」が好きである。」というプチエッセイを書いたが、映画『ダンケルク』ではその顔はほとんど見えない。
スピットファイヤのパイロット役であるトム・ハーディは、その飛行中はゴーグル越しの「目」しか見えないわけである。
ところがと言うか、やはりと言うべきか、それは「やはり」で間違いないのだが、「目しか見えない」トム・ハーディもとてもいいのである。
鋭い、厳しい、頼もし気なトム・ハーディの「目」だ。

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