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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~「お薦めする」力量と技術~フォレスト・ウィテカー『大統領の執事の涙』の大統領たち。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

スタバ某店舗のJに最近お薦めしたレネ・ゼルウィガー主演映画4本。

『ベティ・サイズモア』
『ブリジット・ジョーンズの日記』
『ブリジット・ジョーンズの日記2』
『シカゴ』

この4本はどれもおもしろい、そして特に『シカゴ』は極めてクオリティの高い映画だけど、あくまで今回「今のJのために」選んだ作品なのだ。
(誰に何をお薦めするか)・・・これは想像される遥か以上に高度な力量を要する行為であり、しかしぼくなりにそれはできていると確信している。
この件についても適宜お話していこう。


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フォレスト・ウィテカー主演で、派手な内容ではないながら米国でメガヒットを記録した『大統領の執事の涙』。
巨額予算のスーパーヒーロー物の氾濫するハリウッドの現状は必ずしも「素晴らしい」とは言い難いけれど、『大統領の執事の涙』だけでなく、シビアなテーマの作品やアートフィルムが突然大ヒットを記録する可能性があるのが米国のポテンシャルであり、こうした点に於いては日本は遠く及ばないのである。

『大統領の執事の涙』は、フォレスト・ウィテカー演じる黒人の執事が、アイゼンハワーを始めてして「7人の大統領」の下で働き、その過程で米国の現代史の断片を炙り出していく。
ところで「アイゼンハワーから数えて7人の米国大統領」、すらすらと名前が出てくるでしょうか?
3行分ほど考えてみてください。



はい。正確に並べることができましたか?
次のような順で大統領が生まれています。

アイゼンハワー
ケネディ
ジョンソン
ニクソン
フォード
カーター
レーガン

どうでしょうか、ジョンソンとフォードって、けっこう忘れている人が多いんじゃないかな?

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~スタバJにレネ・ゼルウィガー~『初体験リッジモンドハイ』にフォレスト・ウィテカー。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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先月つまり6月から、映画をお薦めする相手が増えている。
訪ねてみるもんです、「映画なんか観ます?」というひとこと。
これで意外な人が「あ、好きですよ」という話になることしばしばだ。
その中でスタバ某店舗のJはお薦めする頻度の高い一人だけど、この前はレネ・ゼルウィガーの出演作をいくつかお薦めした。

『ベティ・サイズモア』
『ブリジット・ジョーンズの日記』
『ブリジット・ジョーンズの日記2』
『シカゴ』

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『初体験 リッジモント・ハイ』(Fast Times At Ridgemont High)という映画があって、1982年製作の米国映画だけれど、洋画専門誌『ロードショー』などを購読していたファンにはとてもお馴染みの作品である。
わたしは『ロードショー』も『スクリーン』も買っていた正統的洋画かぶれファンだったけれど、これら洋画専門誌の情報が日本人映画ファンの意識に与えた影響は、良い面・悪い面かなり極端に存在していたと思う。
それはさて置き、『初体験 リッジモント・ハイ』がどうして『ロードショー』や『スクリーン』に頻繁に掲載されていたかといえば、出演者の一人であるフィービー・ケイツが当時の若い日本人洋画ファンに大人気だったからで、『初体験 リッジモント・ハイ』はあたかも「フィービー・ケイツ主演」のような扱いでこれら映画誌に掲載され、劇場公開された。
今だとネットで米国の情報を調べればすぐに、「フィービー・ケイツは3番目にクレジットされている」事実が分かるけれど、当時は一ファンにはなかなか調べようがなかった。
ではフィービー・ケイツより上位にクレジットされていたのは誰かといえば、ジェニファー・ジェイソン・リーとショーン・ペンである。
二人ともその後、名優、大スターとなる。
ということまでは、わたしももうだいぶ以前から知っていたが、割と最近知ったのが、『初体験 リッジモント・ハイ』に脇役としてフォレスト・ウィテカーも出演していた事実だ。

これちょっと、『初体験 リッジモント・ハイ』。観直さなきゃならないよね。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~冠動脈バイパス術執刀医と記念撮影そしてハグ~『シシリアン』、それは今の映画とあまりに違って。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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うたちゃん(母)の冠動脈バイパス術をしてくれた医師が高知赤十字病院から他病院へ移ることになったというお話は既にした。
この医師はうたちゃんがカテーテル検査を受け、循環器科の医師に、「カテーテル治療では手の施しようがないほど血管が閉塞してます。これでよく心臓が動いてゐというくらいです」と言われ、日曜だけどすぐさま心臓血管外科の彼が来てくれて、「準緊急手術」扱いでその日間もなく執刀を始めてくれた。
この医師も手術前わたしとの面談でなかなか厳しいことを言ったのだが、おそらく早くわたしに決断を促すために敢えて言ったのだろう。
実はこの医師、なかなかおもしろい人で、退院後年に一回の受診の際はお互いギャグを押収することになる。
もちろん手術後の経過がよいからこそできることなのだが。

できればこの医師に今後も年に一回のペースで診てもらい続けたかったのだが。
彼の人生だから、他へ移ることをどうこうは言えないけれど。

うたちゃんが高知赤十字病院からA病院へ転院して以来、この医師とは年に一度会うだけだったが、この日彼の方から「一緒に記念撮影しましょうか」と言い出してくれ、診察終了時にはわたしともハグしてくれた。

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『シシリアン』というアンリ・ヴェルヌイユ監督の映画を、吹き替え版だったけれど、たまにはいいかなあということで、『シシリアン』を鑑賞したのはいつか分からないくらい前だから、本当に久しぶりに観たけれど、観応え十分だった。
ジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラの豪華共演の超へヴィー級な素晴らしさは言うまでもないが、それ以前に、「人間が人間として映し出される心地よさ」が強烈なのだ。
しかし驚くべきは、「人間だけ」ではないのである。
バスが、護送車が、道路が、ありとあらゆる建造物が、「それらそのもの」として映し出される。
(これは違う)とわたしは感嘆した。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~あまりにミスマッチな、ジャン・ルイ・トランティニャンとシルベスター・スタローンのお話。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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このところシルベスター・スタローンの出演映画を観る機会が多い。
かつてもちろん『ロッキー』でスタローンが瞬く間に世界中を覆うまでのスーパースターになった頃は高知東映で『ロッキー』観ました。
封切後どのくらい経っていたかは覚えてないが、ぼくが観た上映時間は他に観客あまりいなかった。
『ロッキー』とスタローンはハリウッド映画史上でも稀なほどのサクセスストーリーだった。

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わたしの中ではロバート・デ・ニーロ、そして市川雷蔵に次ぎ、文句なしに痺れ続ける映画俳優だ。

『暗殺の森』
『Z』
『離愁』

他にも多くの映画へ出演しているけれど、まずはこの3本を挙げれば十分だろう。

ジャン・ルイ・トランティニャンは、
Jean-Louis Trintignantは、
知的で、危険で、豊かな包容力に満ちている。
細面の輪郭に秀でた額、そしてまったく無駄のない頬と顎のライン、そしてやや厚めの唇。

もちろんわたしは、今でもどうやら世界的に「不滅の位置にある恋愛映画の傑作」のようである『男と女』も語るべきだけれど、それよりも何よりも、

『暗殺の森』
『Z』
『離愁』

の3本なのである。

今でもどうやら世界的に「不滅の位置にある恋愛映画の傑作」である『男と女』の、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』の主演は、アヌーク・エーメとジャン・ルイ・トランティニャンJean-Louis Trintignantである。

そして結果論でなく、アヌーク・エーメとジャン・ルイ・トランティニャンJean-Louis Trintignant以外であの映画が成立したとは絶対に思えない。
しかも「あの時の」アヌーク・エーメとジャン・ルイ・トランティニャンJean-Louis Trintignant以外では

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~駐車場に吸殻散乱~愛する映画『離愁』とはどんな映画。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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6月終盤のこと、スターバックス某店舗の駐車場に車を停め、降りるとアスファルトの地面に煙草の吸殻が散乱。
今更再びエンジンをかけて移動するのも時間を取るので仕方なしに車椅子を出したが、うたちゃん(母)の車椅子(レンタルだけど)のタイヤで不埒な人間の吸殻を踏まざるを得なくなったじゃねえか!

いつも書いてるが、わたしは喫煙する人たちに対しての拒否反応はまったくない。
健康への影響については気にしなければならないが、「タバコを吸う」ことは人間の文化の一つだと認識している。
問題はマナーを守らない一部喫煙者が存在すること。
多目的トイレへ入ると、煙草の臭いプンプンとか(「報知機が反応する」とざれたトイレが主流のはずだが)、そういうことがあると怒りが込み上げてくるわけだ。

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愛する映画に関しては、いくらでも語らねば。
映画だけでなく、「愛する対象」すべてについて、あらゆる方法で語らねば。
あなたが折に触れ語る映画をどんどん増やし、本当に折に触れ、語るようにしましょう。

もちろんわたしは率先して語ります。
いっぱい語るべき映画、語るべき「愛する対象」があるからです。

映画『離愁』。
絶品の映画です。
しかし作品の総合評価として「絶品」という意見はまずない。
批評とは何だろう。
批評は必要なのだけど。

『離愁』のフランス語原題は『LE TRAIN』。
「汽車」。
もちろん「レ・トレイン」とは読まず、概ね「ル・トラン」と読む。
「汽車」の中に乗っているのは、誰だろう。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~一本の映画としての『スザンヌ、16歳』~アネット・ベニング、ウォーレン・ベイティ~ダイアン・キートン。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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『スザンヌ、16歳』の監督、脚本、主演であるスザンヌ・ランドンはひょろりと背が高く顔も面長で一見シャルトット・ゲンズブールを感じさせるけれど、そこまでのカリスマ性やスター性は感じられない。
どちらかと言えば平凡な顔立ちに見える。

『スザンヌ、16歳』はつまり、16歳の女子高校生を演じるスザンヌ・ランドンが20歳ほど年上の男性に恋をするという、いわばそれだけのストーリーだ。
80分に満たない映画、いわばそれだけのストーリー、そんな作品が一本の映画として成立している事実が一番興味深い。

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アネット・ベニングが台頭してきた頃の代表作に『グリフターズ』があって、この映画は大人が心底愉しめる犯罪映画として秀逸で、ベニングは非常に魅惑的な女詐欺師を演じていた。
しかしウォーレン・ベイティが『バグジー』出演をオファーし、すぐに二人が結婚した時には、どうしても(ベイティの野郎、またやりやがってえ!)と多くの映画ファンは感じただろうし、わたしも感じた。
2017年アカデミー賞で「作品賞、間違い発表」の当事者となってしまった時には「いい感じのお爺さん」的な雰囲気になっていたけれど、若き日は映画ファンの誰もが知るハリウッド屈指のプレイボーイとして知られており、乗りに乗っていた時期のダイアン・キートンとくっついた時も、『アニー・ホール』などですっかりキートンのファンになっていたわたしは、(ちっ!)と舌打ちしたものである。
それも今は昔だが。

そんなアネット・ベニングとウォ―レン・ベイティが結ばれるきっかけとなった映画『バグジー』は、しかしなかなかにおもしろい。
実在の大物マフィア ベンジャミン・シーゲルを描いた作品だが、ハードボイルドタッチでいて、けっこう笑わせてくれるし、当時ハードボイルドの魅惑的な女を演じさせては絶品のアネット・ベニングが存分に愉しめる。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~毎日ランチでコンビニチキンを食す美ヒヨコ~アネット・ベニング礼賛。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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毎日、と言っていいと思うが、ランチにチキンを食べている。
コンビニのチキンだ。
と言っても、セブンイレブンは午前中の買い物に適切な場所にないから、ローソンとファミリーマート。
つまりファミチキとローソンのLチキ、Lチキレッド、パリチキのどれかを買う。
毎日食べても飽きない。

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アネット・ベニングは出演していると必ずその映画を観たくなる女優の一人だ。言うまでもなく、ハリウッド(だけではないが)では人気女優でも40歳を超えるとグッとオファーが少なくなるという伝統的状況がある。
だからこそ、「年齢の限界」を塗り替え続ける人たちにわたしたちはより注目すべきである。
そう、別に「ある年齢になったら老け込まねばならない」なんて決まりはどこにもないのである。
もちろん、「老け込みたい」とか「枯れたい」という考えもあるだろうし、そうした人たちはそうすればいいわけであり、つまり、人間はできるだけ「望む人生を歩むべきだ」と言いたいわけである。
しかしもちろん、「美魔女」などという中身のない(すべての「美魔女」が中身なしと言っているわけで張りません)流行りに惑わされてはならないのである、つーか「美魔女」って既に死語?それはさて置き。
もちろんアネット・ベニングが「美魔女」などであろうはずもないのである。


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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~スザンヌ・ランドンによる『スザンヌ、16歳』とは~『ジョン・ウィック』の基調とは。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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『スザンヌ、16歳』というフランス映画があって、とても興味深く観た。
女性監督のスザンヌ・ランドンがカンヌ国際映画祭で同作品によって注目されたのが2020年、まだ20歳の時だった。
しかも脚本も自分で書いたのみならず主演もスザンヌ・ランドンだ。
両親ともに名優。
父親がヴァンサン・ランドン、母親がサンドリーヌ・キベルラン。
この両親であれば娘のスザンヌが映画界へ入ることはさほど難しくなかったと想像されるが、それはさて置こう。(つづく)

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要するに、1970年代までのアクション映画は、その中で主人公の人間性や生活を、それが多くの場合は皮相的でパターン化されたものであっても、まがりなりにもどうにか入れようとしていたし、あくまで「ストーリーの中の見せ場」としてアクションシーンが存在していたわけである。
それが1980年代、シルベスター・スタローンの『ランボー』シリーズ、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』などにより、70年代までのアクション映画の方法論は極めて影の薄い状況に追いやられてしまった。
いわゆる、「ノンストップ・バトル・アクション映画」の台頭だ。

で、『ジョン・ウィック2』のクオリティについて先に書いておくと、

「基調は70年代アクションであり、そこへ80年代バトル・アクションの要素をいくらか取り入れている」というところなのである。



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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~『グッバイ・クルエル・ワールド』の玉城ティナ美~『ジョン・ウィック』と1970~80年代的アクション映画 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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『グッバイ・クルエル・ワールド』の評価は決してよくないけれど、ぼくはとてもおもしろく観た。
西島秀俊、斎藤工、三浦友和、玉城ティナ、大森南朋、奥田瑛二、宮沢泳魚など、並んでいるだけで嬉しくなる。
中でも玉城ティナの常人離れした美貌が冴え渡った。
映画中斎藤工に頭部を踏みにじられ入院する玉城ティナは、頭部を包帯でぐるぐる巻きになってない、いや包帯でぐるぐる巻きだからこその退廃的美貌を見せつけてくれてファンとしては大満足。

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キアヌ・リーブス主演『ジョン・ウィック』がスマッシュヒットしたこと自体驚きであり、「2000年代的」ではないのだが、『ジョン・ウィック2』は「1」よりも遙かに高い興行収入を上げたのにまた驚いた。
『ジョン・ウィック2』の米国国内興行成績は9000億ドルを優に超すもので、惜しくも1億ドル突破のメガヒットとはならなかったが、それにしてもこれは大快挙である。
なぜこれが大快挙か?
それは『ジョン・ウィック』のシリーズが、1970~80年代的アクション映画だからだ。
1970~80年代的アクション映画が大ヒットすることは昨今、極めて困難である。
いや、『ジョン・ウィック』シリーズのアクション映画ぶりをもう少し詳しく説明すると、

「1970年代アクションに、1980年代アクションのスパイスを振り掛けた」となるだろうか。
『ジョン・ウィック』の基本はあくまで1970年代アクションである。

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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~カップ麵がダメになったの~「2000年代的でない」『ジョン・ウィック』のキアヌ・リーヴス。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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どうもカップ麵がダメになった。
かつてあれだけ美味しく食べていたカップ麵が全般的にダメになった。
つまり不味く感じるのだ。
この前も『カップヌードル』のプレーンのやつを食べたんだけど、食べるまでは(今日は『カップヌードル』、食べたい気分)だったのだけど、食べ始めるといけない。
味は濃いし、麺の食感も気持ち悪く感じる。
これが「年齢」というものなのか。
18歳だけどね。

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キアヌ・リーヴスのファンだったことはなく、その理由は個人的嗜好を含めた様々な理由があるのだろうけれど、その一つは、キアヌがいかにも「薄っぺら」に見えることだ。
キアヌ・リーブスという人物が実際に薄っぺらかどうか、それは知らない。
ただ、映画の中の彼から「厚み」を感じたことがない。
それはキアヌ・リーブスという俳優が演技力を自在に発揮するタイプではないこともとても大きいだろう。
映画俳優は必ずしも「演技派」が歓迎されるわけではないが、演技力があれば、俳優としての選択肢も引き出しも大きく多様化する。
キアヌ・リーブスがかなり長い期間、「過去の人」的状況に陥っていた大きな原因は、「薄さ」「演技力の不足」であることは間違いない。
しかし時にハリウッド俳優は思いもよらぬ復活を遂げることがある。
しかも『ジョン・ウィック』シリーズのような「2000年代的でない」映画で。


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