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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、うたちゃん(母)との日々~北別府を読みまくったある深夜~『冬薔薇』の永山絢斗はとてもいいよ。 [「言葉」による革命]


わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、「初恋のヒヨコ」でもあります。原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

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★映画は最高の「会話」の題材となる。
そして人間、「会話ある人生」と「会話無い人生」とはまったく違う。
 
このテーマ、わたしの宿願と言っていいですが、深め、広げ、各方面にアピールしていきます。

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北別府学が亡くなった数日後の午前0時過ぎ、スマホで北別府の記事を検索し始めると止まらなくなった。
軽く1時間以上はそれだけで経過した。
これは決して無駄な時間じゃあないよ。

阪本順治監督の『冬薔薇(そうび)』は評判通りのおもしろさで、件の永山絢斗は半グレのリーダー役で、NHKなどで温い役をやっている姿をちょいちょい見かけたが、さすが阪本順治監督作では違う。
まあ永山絢斗の「やったこと」についてはここでは置くとしてね。


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キップリングの『ジャングル・ブック』原作を子どもの頃読んでいるかというと、明確な記憶はないが、読んでない可能性が高い。
わたしは読書を本格的に始めたかなり年少の時代から江戸川乱歩や実録怪奇物などのエグい本を好み、少年向けの乱歩シリーズからすぐに大人向けの文庫に移行し、その後も心躍らせる異常小説や異常実録物を中心にチョイスしていたもので、「いかにも少年・少女向け」というタイプの本はあまり読んだ記憶がないのだ。
本は親がちょいちょい本屋へ連れて行ってくれたのでそこで選んでいたのと、しかし普通は一回に一冊しか買ってもらえなかったから、頼りにしていたのは近所にやって来る移動図書館だった。
市民図書館、県立図書館自体は、幼少のキッズが一人で通うにはやや遠すぎた。
なぜか「パリの空の下 セーヌは流れる」のメロディを町内一体に聞こえるほどに流しながらやって来る移動図書館は紅顔のキッズだったわたしにとって、「取り敢えず宝の山」だった。
「取り敢えず」と言うのは、本の入れ替えはもちろんやっているだろうけれど、限られたスペースの移動図書館の蔵書などは、獰猛な読書家であったわたしにとってあっと言う間にペンペン草も無くなってしまう程度のものだったのである。
あ、いくらか話は盛っていますが、概ね事実である。

で、何と言うべきか、子ども時代のわたしって、「純粋な子ども」が主人公の小説やノンフィクションにはほとんど興味を示さなかったのである。
こう書くとわたしがいかにもひねくれた陰質な子どもだったように感じられるかもしれないが、少なくとも小学校6年間の内の5年間は学級委員長に選ばれていたのだから、わたしを「リーダーシップがあって、爽やかなボーイ」だと受け取っていたクラスメートや教員も多かったのに違いない。
と言いますか、書き始めてから話がどんどんズレていってる感じだが、ジョン・ファブロー監督の『ジャングル・ブック』がなかなかおもしろかったところから、今の自分が忘れていたいろいろなことを思い出して・・・という文脈のつもりでスタートした文章なのである、これは。
映画『ジャングル・ブック』には精密なCGで様々な動物が再現されていて、「CG満載」の映画は原則好きではないけれど、この作品は例外的に退屈せずに楽しめたのだが、それ以上に、(ああ、子ども時代って、意識の中で世界中の動物や昆虫や魚などと生きていたなあ)と思い出し、今では普段ほとんどそうしたことが心の中にない自分を見出した次第である。
でもこの感覚、取り戻したいなあと。
ちなみに子ども時代、わたしが好きだった動物は、

チーター
カメレオン

が二大巨頭だったと、これは断言できる。

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