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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年6月27日 [愛の景色]

そこここに感じる
あなたの気配に

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「SMAP解散問題で、ほとんど語られないこと」。2017年6月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「SMAP解散問題で、ほとんど語られないこと」。

末尾ルコ「社会問題で知性と感性を鍛えるレッスン」

SMAP解散で大騒ぎ、と。
スターとは何ぞや?

はい。
2016年8月20日に次の文章をアップしました。

・・・・・・

SMAP解散に関しての「閣僚発言」はネットリンチを怖れている。

末尾ルコ「社会問題で知性と感性を鍛えるレッスン」

ニュースで「閣僚もSMAP解散について発言」的に何人かの大臣の発言が取り上げられていたけれど、誰か一人でも、

「SMAPのことに興味はありません」

と堂々言える閣僚がおれば、わたしの中で大きく評価が上がっただろう。
もちろん公の場で政治家がそれを言えば、このご時世、ネットリンチが発生するは必定だが、

・いずれ「本当のこと」がネットリンチを超えねばならない。

(SMAPを無価値と言っているわけではありません。社会的バランスの問題です)

・・・・・・

繰り返しますが、アイドルグループを無価値と言っているわけではありません。
社会的バランスというか、「いるべき場所にいるべきだ」と考えるのです。
「アイドルグループとはこういうものだ」と、しっかりした社会的見地を持って、楽しむ人は楽しむ、興味のない人は興味なし、それでいいと思うのですが、もうずっと前から、アイドルグループは日本のど真ん中にいる。
もちろん「かつて隅っこにいた存在」が力を付けて「ど真ん中」へ来ることはあり得るし、あり得ていい。
しかしアイドルグループが「力を付けた」とはとても思えない。
そのにあるのは芸能プロダクション、広告代理店、テレビなどが一体となったマーケティングであり、「作品」や「実力」ではまったくない。
「アイドルグループは大きな経済主体となっているから」とか「需給関係だから」とか、経済的な面のみで分かったように説明する向きがあるけれど、

・売れさえすれば、中身については御咎めなしか?

という当然の疑問は忘れ去られている。

普段は様々なことについて、「反知性だ!」と言い募る「識者」たちも、この辺りから「反知性の根源」があるという点、まったく指摘しませんからね。
日本の場合、最早「知識人」だの「識者」だのいう人たちは、「絶滅危惧種」と言っていいでしょう。(もちろん敬意を払える方たちがいないわけではないですが)

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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●わたしが初めて「ハードロック」を耳にした瞬間。 [「言葉」による革命]

●わたしが初めて「ハードロック」を耳にした瞬間。

末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしがいつから音楽ジャンルとしての「ロック」を意識したかという記憶は明確で、AMラジオから流れてきたクイーンの「愛にすべてを」だった。
「愛にすべてを」は1976年発売のアルバム『華麗なるレース』の中の一曲だから、「ずっとロックな人生を送ってきた」という自覚の割には、あれ?けっこう歴史が浅いかな)という感じもなくもないが、まあそれはそれ。
「愛にすべてを」はクイーン得意の多重録音によるコーラスワークがいかんなく発揮されたかなり特殊な曲であるが、これがわたしの感覚にビシッとはまった。
そしてこの曲の創作者であり演奏者であるクイーンについて、DJは「ハードロックのバンド」と紹介したのである。
(これがハードロックか・・・)


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●末尾ルコ「ずっこけ失敗談」~イオン高知の5円コピー篇。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ずっこけ失敗談」~イオン高知の5円コピー篇。

末尾ルコ「ずっこけ失敗談で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしも人間だ。
そりゃあ山田姉妹のファンではあるけれど、日々、何らかの失敗はある。
失敗した時は、そう、わたしも人間であるからして、そりゃあ悔しい。
ぶっちゃけ、ブチ切れそうになる場合も少なくない。
しかし自分の失敗に対してブチ切れて怒鳴ったところで、声を嗄らせるのは自分でしかないから止めた方がいいですな。
声を嗄らせたと言えば、最近「矢切の渡し」を大声で何度も歌って喉が痛くなった自分とは何なのだと思わなくもなかった。
ちなみに高校時代にパンクなバンドのヴォーカルだったわたしのレパートリーの一つは、シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」だった。シド・ヴィシャスは別に好きでも何でもなかったけれど、「マイ・ウェイ」だけは傑作だと思っている。
しかし今回はそういう話ではなくて、わたしのずっこけ失敗談の話である。
そう、わたしは「10円コピー」よりも「5円コピー」の方が好きなのだ。
1枚コピーするだけであれば、10円でも5円でもこだわりはないのだが、100円出して10枚のコピーと20枚のコピーではまったく違うではないか。
これが200円だと、20枚と40枚。
この差は大きいでしょう。
というわけで、6月のある日、梅雨入りしたにもかかわらず、まだ雨がほとんど降ってない時期のある午後、わたしはイオン高知の5円コピー機に向かい、(さあ、100円で20枚コピーしちゃうぞ)と張り切ってコインを入れた。そしていつも通り楽しくコピーを開始。
もちろん心は、山田姉妹の歌う「みずいろの手紙」を奏でていた。
が、ほどなくしてわたしは大きな異変に気付く。
残額の表示を見ると、「20円」と出ているではないか。
(あれ、もう16枚もコピーしたかなあ~。おかしいなあ・・・)
訝りながらも次の一枚をコピーすると、残高表示が「10円」になったではないか。
(これはどうした仕儀だ!)と拝一刀ばりに憤り、出てきているコピーを手に取ってみると、思いの外広い。
そしてふとコピー機の説明ボードに目をやると・・・

「A3用紙は1枚10円」と書かれてあった。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、贅沢」篇。2017年6月27日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、贅沢」篇。

「猫、贅沢」

高知市薊野にある


ジュリエット・ビノシュ健在なりと
歯を磨きながらおれは頷き
クリステン・スチュワートのクールでかつ
誠実な造形にほれぼれし、
クロエ・グレース・モレッツの素っ頓狂に
笑ってしまう
贅沢な
とても贅沢な2時間と少し
それが『アクトレス』あるいは
Sils Mariaという映画

・・・・・・

もちろん最も贅沢な時間は
ぼくの素敵なネコがいる時間だ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

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●夜に読むことはお勧めできない、『下山事件』に関する一挿話。 [「言葉」による革命]

●夜に読むことはお勧めできない、『下山事件』に関する一挿話。

末尾ルコ「不思議な話で、知性と感性を鍛えるレッスン」

森達也の『下山事件』をベッドで読みながら、そのまま眠った。
するとわたしはある現場にいた。
国鉄総裁下山定則の遺体が埋められている現場。
それはどこかの山の中のような気がした。
神社と関わりがある場所のようでもあった。
土は柔らかくさらさらしていて、簡単に掘り起こすことができた。
つまり「それ」は簡単に掘り出せた。
「それ」とは国鉄総裁下山定則の轢断死体である。
どうやら「それ」は、かなりミイラ化が進んでいるようだ。
わたしは「来てはならない場所」へ来て、「見てはならないもの」を見ている。
そんな不安感に襲われた。
わたしがここに来たことを、誰にも気づかれずに立ち去らねばならない。
わたしは降り始める。
が、神主らしき男がこちらへ向かっている。

・・・もちろん夢だったのだが、国鉄総裁下山定則の遺体は鉄道上で発見されており、「どこかへ埋められていた」という事実はない。
この夢の中の変換がおもしろいなと思って。

〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ コートニー・パームという女優は米国人でも滅多に知らない。2017年6月26日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ コートニー・パームという女優は米国人でも滅多に知らない。

末尾ルコ「映画俳優演技論」

コートニー・パーム
Cortney Palm
米国出身の女優。
しかしおそらく、普通の米国人に、
「コートニー・パームの映画、観た?」と尋ねても、即座に返ってくる反応は「?」だろう。
わたしも本来は人生の中でコートニー・パームなど知るはずはなかった。
ところがいつの間にか、コートニー・パームの出演映画を二本観ている。
米国でもコートニー・パームの映画を二本観ている人間は滅多にいないだろう。
一本は

『SUSHI GIRL(スシガール)』

もう一本は、

『ゾンビーバー』

『スシガール』と『ゾンビーバー』とは、
いかにもコートニー・パームである。

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「言葉」による革命・「美」による革命  「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●「声のトーン」を自在に操る方法。2017年6月26日 [「言葉」による革命]

※2017年8月15日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・「言葉の戦士」訓練&「真の恋愛講座」~「声のトーン」を自在に操る方法。

声のトーンを調整できない人がいます。
あるいは、「調整しようと思えばできるのに、調整すべきシーンが理解できない」人もいますね。
要するに、

「この場所、あるいはこのシーンでは、どのくらいの声で喋るべきか理解できてない」

という人。
とても困ります。
普段の声のトーンが大きい、あるいは高い人もかなり多くいますが、難聴などの影響でどうしても声が大きくなる方たちは別ですが、普通は「いつも大声で喋る人」が周囲にいると、ストレスが溜まります。
「どうしても声が大きくなる」という肉体的・精神的条件がないのであれば、「いつも大声で喋る癖のある人」は改善していくべきです。

(続きは有料メルマガでお願いします)



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[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、▲「新たなる教育機関」です。

[ダイヤ]末尾ルコのこのブログ、そして有料メルマガは、より多くの方が「新たなる日本人」として人生を思う存分生き抜いていただくための、「末尾ルコだけに可能」な

▲「新たなる教育機関」です。

毎日当ブログを訪問し、お読みくださるだけで、「新たなる日本人」としての資質が身に付いていきます。

▲感覚・感性・知性・理性を中心に、そして非認知能力(スキル)」をも鍛錬します。

有料メルマガを購読いただければ、さらに深く、より強力に「新たなる日本人」として、あなたは日々成長していくことができます。

注1 「読む」という行為にも様々な方法があり、どんな方法を使うかによって「成長」の度合いも違います。「方法」に関しては、当ブログ、そして有料メルマガで適宜お伝えしていきます。

注2 末尾ルコによる「新たなる教育機関」に年齢性別学歴職種などの制限はありません。「誰も」が「今すぐ」に「新たなる日本人」としての第一歩を歩み始めることができます。 

注3 当然ながら、「効果」には個人差があります。しかしより正確にお読みいただければ、間違いなくほとんどの方に「効果」が出てきます。

●〈「言葉」による革命〉・・・その基本的かつ画期的方法論。

〈「言葉」による革命〉の基本的方法論の優位性を記しておきます。

まず、
1どこにいても、その場所でいながらにして参加できる。
2どんなに忙しくても参加できる。
3老若男女、どなたでも参加できる。
4「趣味」「生きがい」として始めても、それが強固な社会貢献に結び付く。

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●「キラー猪木」という幻想と、全国放送で長州力に大恥をかかせたブルーザー・ブロディの「すげえ!」試合。 [「言葉」による革命]

●「キラー猪木」という幻想と、全国放送で長州力に大恥をかかせたブルーザー・ブロディの「すげえ!」試合。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

『週刊ファイト』の井上編集長はあからさまな「猪木派」であり、常にアントニオ猪木中心でプロレスを考えていて、猪木が体力の衰えを隠し切れなくなってきた頃のコンセプトとして、「キラー猪木」という言葉をしきりに打ち出していて。
「キラー猪木」とはつまり、対ドリー・ファンク・ジュニアや対ビル・ロビンソンといった、「技の公房で60分フルタイム」という試合が難しくなってきた猪木が生き残る道として、「短時間で凄みを見せる」展開を推奨するコンセプトだった。
しかし井上編集長の言う「キラー猪木」的試合の例として挙げられるのが、ラッシャー木村やアブドーラ・ザ・ブッチャーを「鉄拳制裁」のみで血祭りに上げた試合であるとしたら、「プロレスなのに相手に恥をかかせるだけ」という不毛なものだったのではないかと、今になればつくづくそう思う。
「今になれば」というのは、これらの試合を観た当時はまだまだ猪木ファンだったわたしは、(うわあ、やっぱり猪木はすげえ!)と盛り上がっていたのだ。
いやホント、「今となっては」、何が凄いのかさっぱり分からない(笑)。
と言うか、ぜんせん凄くない。

しかし「相手に恥をかかせる」というキーワードで顧みれば、「今となっても」凄い試合と常に記憶に新しいのが、ブルーザー・ブロディが長州力に大恥をかかせた試合だ。
長州力が新日本を脱退し、全日本プロレスのリングへ戦いの場を移してから間もない時期だったけれど、そしてこれは当時既にプロレスファンだった人であれば、誰もが記憶に鮮烈な試合だと思が、今となっては、(こんな試合をメインの時間帯に全国放送していたんだ)と、これこそ「すげえ!」の世界である。
大柄なブルーザー・ブロディは長州力にまったく付き合う気がなく、組み合いさえせず、あの長い髪をもって引きずり回し、あたかも土佐犬が子犬を弄んでいる(実際にそんなシーンを見たことあるわけではありませんが 笑)が如くなのだ。
当時の長州力と言えば、「プロレス」というジャンルを超えた「時の人」であり、それを相手に、「大恥をかかせた」ブルーザー・ブロディの姿に、長州力の膨張し過ぎた人気や言動を快く感じてなかったわたしは、とても心地よい時間を愉しんだのだった。


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