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●末尾ルコ かつて語った「ジュテーム わたしはけもの」星田良子監督 [「言葉」による革命]

「ジュテーム わたしはけもの」星田良子監督

トンデモ映画ということを覚悟して、それでも「芦名星」をチェックするという使命感のもとに観たのだが、意外にも「まとも」に鑑賞することができた。芦名星の「色気」と「美しさ」が堪能できるが、最初から終わりまでわざとらしいまでに胸などを見せないのが「ジャパン!」。そのあたりはもはや苦笑するしかないか。洞口依子の存在が効いている。芦名星…本当に惜しい。


タグ:アート 映画
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2021年5月27日 [愛の景色]

本当の自由を
自ら封じてきた自由を得られたのだから
この梅雨空の下で


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●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、母(うたちゃん)の日々、かつてジェームズ・ディーンは「青春の象徴」だった、そして淀川長治は「別格の映画評論家」だった。 [「言葉」による革命]

わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。

・・・

日本でもですね、かつては日本でもいわば「青春の象徴」といった特別な位置づけでしたね。
あるいは「若者の反抗の象徴」とか「反抗する若者の象徴」とか。
わたしはそうした時代にジミー(ジェームズ・ディーン)に入れ上げたことはないけれど、特別な存在としての意識は常にあったし、多くの日本人も同様だったでしょう。
特に小森のおばちゃま(小森和子)はジェームズ・ディーンを自らの恋人のように語るのが芸風でしたね。
それと水野晴朗は『風と共に去りぬ』に対するこだわりをいつも語ってました。
他にもテレビへよく出る映画評論家として荻昌弘もいましたね。
ただ端的に言って、「淀川長治は別格」であって、誰とも比べられません。
評論家としてどうこうを遥かに超えた、「存在の凄み」なんですね、この方は。
この辺の違いが分かるかどうかっていうのは大きいと思います。
それとですね、これも折に触れ主張していきますが、ネット社会が浸透し、よくある書き込みが「映画評論家なんてオワコン」「ユーザーレヴューがあるから映画評論なんていらない」「誰が映画評論なんて読んでるんだ」などなど。
もう馬鹿々々しくてやってられないんだけれど、どんな分野でも成熟・充実すれば、「評論・批評」が発生するものだし、必要です。
どこの誰が書いてるか分からないユーザーレヴューと一緒にするなんてあり得ない。
いや、「映画評論家・映画評論」を名乗る中にもお粗末なものもあります。
どんなジャンルにも一級品から下等なクオリティまでありますからね。
別に有村崑のこと言ってるわけじゃないですよ(笑)。
あれ?言ってます??(笑)

いやまあ正直なところ、あの御仁をお好きな方もいるのかもしれませんが、個人的には有村崑に「映画がどうこう」なんて語ってほしくないですわ。
どうにもこうにも品性が…。

・・・

5月25日、高知市長からコロナ感染確認数について、「危機的な状況」という言葉が出た。
4月は四国の他3県が多数の感染確認に見舞われたのだが、それが落ち着いてきた頃から測ったように高知が。
「会食での感染が多い」というが、このご時世本当にちっとは我慢できないものか。


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