●末尾ルコ かつて語った「バースデイガール」ジェズ・バターワース監督 [「言葉」による革命]
「バースデイガール」ジェズ・バターワース監督
さえない男がネットでロシア人女性と出会って・・という話だが、ヴァンサン・カッセルとマチュー・カソヴィッツをちょっとした「スパイス」にした、結局はライトでご都合主義な話になっている。絶頂期のニコール・キッドマンを観るだけでも価値ありだが。
さえない男がネットでロシア人女性と出会って・・という話だが、ヴァンサン・カッセルとマチュー・カソヴィッツをちょっとした「スパイス」にした、結局はライトでご都合主義な話になっている。絶頂期のニコール・キッドマンを観るだけでも価値ありだが。
極限の愛、日常の愛、その言葉 2021年5月19日 [愛の景色]
あなたとともに
歩いていた
もちろんそれは夢の中
けれど夢の中と明確に認識したのは
後のこと
もちろんあなたは
ちょいちょい夢の中に
訪ねてくれくれるんだけどね
ただ夢の中で
(これは夢に違いない)と
認識はなかなかできない、
皆無ではないけれど
目覚める直前にどういうわけか
(あれ、夢かな)と感じることは
少なくはないけれど
あなたと歩いていたのは
水族館だったかな
ある島の
それはあなたに似つかわしくない場所で、
しかもあなたは
あなたの写真集を
ぼくに見せてくれた
その写真集の中のあなたは
これまたあなたに似つかわしいものではなく
ぼくはただただ怪訝したけれど、
夢だと分かって一安心
というお決まりのパターンでは
あったね
歩いていた
もちろんそれは夢の中
けれど夢の中と明確に認識したのは
後のこと
もちろんあなたは
ちょいちょい夢の中に
訪ねてくれくれるんだけどね
ただ夢の中で
(これは夢に違いない)と
認識はなかなかできない、
皆無ではないけれど
目覚める直前にどういうわけか
(あれ、夢かな)と感じることは
少なくはないけれど
あなたと歩いていたのは
水族館だったかな
ある島の
それはあなたに似つかわしくない場所で、
しかもあなたは
あなたの写真集を
ぼくに見せてくれた
その写真集の中のあなたは
これまたあなたに似つかわしいものではなく
ぼくはただただ怪訝したけれど、
夢だと分かって一安心
というお決まりのパターンでは
あったね
●「母連れ狼」末尾ルコ(アルベール)、母(うたちゃん)の日々、レネ・ゼルウィガー『ジュディ 虹の彼方に』、深い感動を呼ぶ、二人のファンとの交流。 [「言葉」による革命]
わたしはアートでロックでハードボイルドでポップでジェントルな末尾ルコと名乗り、しかし地元ではふつうアルベールなのですが、原則いつも母(うたちゃん)と行動を共にし、車いすを押しておるそのイメージから「母連れ狼」とも名乗ります。
そう、最高の介護を超えるべく。
・・・
レネ・ゼルウィガーの大ファンだったことはわたし何度となく書いているが、一時まことしやかに「整形失敗」だのいろいろ書かれ、正直なところ若き日の圧倒的スターぶりを熟知しているわたしはかなり残念に思っていたのだけれど、ああ、ごめんなさい、レネ・ゼルウィガー、『ジュディ 虹の彼方に』では「最早若き日の容姿ではない」レネ・ゼルウィガーだからこその凄い演技で目はくぎ付け、圧倒され続ける。
なにせ『ジュディ 虹の彼方に』では「今のレネ・ゼルウ」よりもさらに老けたメーキャップで、と言うか、レネ・ゼルウィガーと知らなければひょっとしたらレネ・ゼルウィガーと気づかなかったかもしれないほどの変化(へんぎ)で挑み、だからこそ47歳で弁念を迎えざるを得なかったジュディ・ガーランドの姿を抉り出している。
いや、凄い。
そして誰もが言うようにクライマックスの「虹の彼方に」の絶唱…。
そして映画中、二人の男性ファンとの交流がことさら感動的だ。
かつての大スター、世界のジュディ・ガーランドだけれど、ロンドンでのショウガはねた後、外でサインを求めて待っていたのは男性ファン二人だけ。
しかもガーランドはその二人に「夕食いっしょにしない?」と誘う。
男たちが目当てにして足を運んだ店は閉まっていて、こともあろうか二人のうち一人の自宅で食事する羽目になる。
男の手料理を食べるガーランドだが、このファンたちの気持ちは純粋そのもの。
男の一人はピアノでガーランドの曲を弾きつつ泣き始める。
彼らの人生の中でガーランドの存在がいかに大きかったことか、大きくあり続けていることか。
ガーランドは言う、「(ロンドンのショウで)あなたたちがいつも来てくれているのはしっかり見えてます。いつも味方がいるようで本当に嬉しい」と。
「いつも味方がいるようで」と、これはとても重く素晴らしく美しい言葉だ。
そう、最高の介護を超えるべく。
・・・
レネ・ゼルウィガーの大ファンだったことはわたし何度となく書いているが、一時まことしやかに「整形失敗」だのいろいろ書かれ、正直なところ若き日の圧倒的スターぶりを熟知しているわたしはかなり残念に思っていたのだけれど、ああ、ごめんなさい、レネ・ゼルウィガー、『ジュディ 虹の彼方に』では「最早若き日の容姿ではない」レネ・ゼルウィガーだからこその凄い演技で目はくぎ付け、圧倒され続ける。
なにせ『ジュディ 虹の彼方に』では「今のレネ・ゼルウ」よりもさらに老けたメーキャップで、と言うか、レネ・ゼルウィガーと知らなければひょっとしたらレネ・ゼルウィガーと気づかなかったかもしれないほどの変化(へんぎ)で挑み、だからこそ47歳で弁念を迎えざるを得なかったジュディ・ガーランドの姿を抉り出している。
いや、凄い。
そして誰もが言うようにクライマックスの「虹の彼方に」の絶唱…。
そして映画中、二人の男性ファンとの交流がことさら感動的だ。
かつての大スター、世界のジュディ・ガーランドだけれど、ロンドンでのショウガはねた後、外でサインを求めて待っていたのは男性ファン二人だけ。
しかもガーランドはその二人に「夕食いっしょにしない?」と誘う。
男たちが目当てにして足を運んだ店は閉まっていて、こともあろうか二人のうち一人の自宅で食事する羽目になる。
男の手料理を食べるガーランドだが、このファンたちの気持ちは純粋そのもの。
男の一人はピアノでガーランドの曲を弾きつつ泣き始める。
彼らの人生の中でガーランドの存在がいかに大きかったことか、大きくあり続けていることか。
ガーランドは言う、「(ロンドンのショウで)あなたたちがいつも来てくれているのはしっかり見えてます。いつも味方がいるようで本当に嬉しい」と。
「いつも味方がいるようで」と、これはとても重く素晴らしく美しい言葉だ。