SSブログ

君への本当の愛の短い言葉 新変奏曲 2010年9月10日 [愛の景色]

詩的な君はいつもとてもメロディのように素敵なのだけれど、だからと言って実務的な君が素敵でないわけではない。
君は実務的な時間もとても素敵な特別な女なんだ。

タグ:言葉 アート
nice!(31)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

ネオアンガージュマン 「ガチンコ」という言葉の使用に関する小さな考察1 [ネオアンガージュマン]

そもそも「ガチンコ」とはどういう意味の言葉か。
相撲が起源ともされているが、ここでは起源論に遡るつもりはない。
「ガチンコ」という言葉が使われていたのは主にプロレスや格闘技に置いてで、特にプロレスファンの間では神話を語るように「ガチンコ」の話が語られるのだった。
多くの人が知るように、プロレスというエンターテイメント「暗黙のルール」に基づいて試合が展開するのが基本で、多くは予定調和としての楽しさに満ちた内容となる。
「勝敗」ではなく、「いかに観客を楽しませるか」がプロレスとしての成功不成功の分かれ目となるのだが、その世界で理由は様々さけれど稀に、あるいは突発的に現れるのが「ガチンコ」と目される試合なのだ。

nice!(32)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

● ルコ美醜悪学 展開-行為 12 [ルコ美醜悪学]

「大学教授」や「学者」などは、その地位へたどり着くまでの能力があり、研鑽も積んだ人たちだから尊敬すべきなのだろうが、こと人格的には到底尊敬不可能な方々が多いのは残念だ。(本当は別に残念ではないが)
例えば雑誌で学者同士の対談をするとき、いかにも浮かれた調子で専門用語連発するセンセイ。

nice!(36)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

モントリオール世界映画祭最優秀女優賞深津絵里と「悪人」で共演の満島ひかり。吉高由里子と共演すればどうなるか? [吉高由里子]

「悪人」の演技によって深津絵里がモントリオール世界映画祭最優秀女優賞を獲得したものだから、わたしもここ数日は彼女の話題を中心としているが、もともとこの映画に以前から注目していたのは満島ひかりが主要なキャストとして出演しているからだ。
満島ひかり。
「日本で今最も凄い女優は?」と聞かれれば、「満島ひかりだ!」と答えるかもしれない。
吉高由里子や仲里依紗と共演したらどうなるか?
想像もつかないし、それだけにぜひ観てみたい。
「愛のむきだし」の満島ひかりはそれだけ凄かった・・と何度かいたか分からないほど書いたが、これからも書き続けるだろう。
深津絵里の受賞で大いに話題になっている「悪人」だ。
今まで満島ひかりを知らなかった多くの人たちが目にする。
「とてつもない女優」が人口に膾炙する(膾炙すればいいというものではないが、もちろん。)大きな機会だ。

nice!(21)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

この秋、ナスレシピの時代! [生と死のためのアート]

2010年。
夏から秋にかけて、わたしはナスをよく食べている。
何故かって?
安くて美味しいからさ♡
しかしこんなわたしでも子どもの頃、ナスは完璧に苦手な食材の一つだった。
火を通すと内部がふにゃふにゃしますよね。
特に煮付け。
あの水分を含んだふにゃふにゃ感。
口の中へ入れるのも憚(はばか)られるあのテクスチャー。
(こんなの人間の食い物じゃねえよ)
小学校の頃、すでに読書家、映画通、ロックンローラーでありながら、あらゆるプロレス技をマスターしていたわたしならではの見事な定義だ。
それはさて置き、いつの間にかナスを食べられるようになっていた。
別に「ナスを食べる」という目標を持って血の滲むような努力をしたわけではない。
人生のどこかで「ナスって悪くないじゃん」という瞬間があったのだろう。
特にスパゲティに入っているナスが美味い。
そしてこの夏から秋、一袋にたっぷりのナスを100円程度で売っているではないか。
これは食べねばならないぞ。
そして食べる限りはナスのことを知らねば。
そんな所存でございます。


nice!(27)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

アリーナ・コジョカル Alina Cojocaruとミリアム・ウルド-ブラム Myriam Ould-Braham、そしてパトリック・デュポンとシルヴィ・ギエムの「見得」に関する小さな考察。 [愛とバレエ]

下手なバレリーナが下手に見得を切ると見苦しいだけだ。
上手いバレリーナでも見得がリミットを超えると見苦しくなる。
リミットは「節度」という言葉に近い。
かつてのパトリック・デュポンなどは明らかに「リミット」超えの見得を切っていたけれど、「まあパトリック・デュポンだから」ということで許容されていた。
リミット超えが許容されるには「特別」になる必要がある。
アリーナ・コジョカル Alina Cojocaruはすでに「特別」に近いけれど、もちろんパトリック・デュポンやシルヴィ・ギエムの域には達していない。
そしてコジョカルの見得は、まさしくリミットぎりぎりの節度を保っているのだ。
ミリアム・ウルド-ブラム Myriam Ould-Brahamはまだ「特別」とまで評されるバレリーナではない。(わたしにとっては「特別」だが)
見得もリミットまでまだ余裕がある。
しかしその「未熟さ」が魅力となりうるバレエという芸術の不思議さをも見せてくれるのがミリアム・ウルド-ブラム Myriam Ould-Brahamだ。

ミリアム、あなたは知らない世界から落ちて来た朝露のように美しい!
Myriam!
Vous êtes belle comme la rosée du matin qui est tombée du monde que je ne connais pas!

あなたは最も繊細なバレリーナなんだ。
Vous êtes la ballerine la plus sensible.

nice!(17)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート