「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ ●末尾ルコ バレエプチ講座「男性舞踊手タイツ」の克服は可能か?2014年12月25日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ バレエプチ講座「男性舞踊手タイツ」の克服は可能か?
あ、この「末尾ルコ バレエプチ講座」はあくまで「バレエファン養成」のための試みであって、「バレリーナを育てる」類いのものではないというか、わたし本人はバレエを習ったこともないので、そんなことできません。
しかしバレエに限らず、今の日本は文化芸術の「しっかりしたファン」を育てることが大きな課題となっています。
バレエに興味を持った人が早い段階でぶつかる大きな障害があります。
それは男性舞踊手のタイツ姿です。
(この項、続く)
あ、この「末尾ルコ バレエプチ講座」はあくまで「バレエファン養成」のための試みであって、「バレリーナを育てる」類いのものではないというか、わたし本人はバレエを習ったこともないので、そんなことできません。
しかしバレエに限らず、今の日本は文化芸術の「しっかりしたファン」を育てることが大きな課題となっています。
バレエに興味を持った人が早い段階でぶつかる大きな障害があります。
それは男性舞踊手のタイツ姿です。
(この項、続く)
〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「ココナッツミルクと高知のポエミー」篇。2014年12月25日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ傑作詩「ココナッツミルクと高知のポエミー」篇
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココココココココ
ココナッツミルク
ミルミルミルミル
ミルククク
九九ができたら
算数バッチリ
とはいかないけど
できなきゃ
ダメだよ
九九 八十一
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
高知でも買える
ココナッツミルク
陶然さね?
いや、当然さね!
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココココココココ
ココナッツミルク
ミルミルミルミル
ミルククク
九九ができたら
算数バッチリ
とはいかないけど
できなきゃ
ダメだよ
九九 八十一
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
ココナッツミルクはね
ココナッツのミルクさね
高知でも買える
ココナッツミルク
陶然さね?
いや、当然さね!
末尾ルコ傑作詩「触媒 ザハロワとスミルノワ」篇。末尾ルコ「教育論」~歴史の教え方とダークサイド。「過激派」吉田松陰を「花燃ゆ」はどう描いていくか? [吉高由里子]
「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉
★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ傑作詩「触媒 ザハロワとスミルノワ」篇。
触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを
触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを
●末尾ルコ「教育論」~歴史の教え方とダークサイド
歴史の授業に関してですが、「歴史というものはすべて仮説である」という点については生徒たちにまず理解させておくべきだと考えます。
その際、「あったかどうか分からないことを何でならわなきゃならないんだ!?」とは言わせない。
「明確でないからこそ、学び続けねばならないのだ」と、教師は自信を持って言うべきです。
それと歴史には実は濃厚に人間のダークサイドが含まれていますね。
いくらでもダークサイドは出てくる。
そこをどう扱うか。
分かりやすい例を挙げれば、さほど遠い昔でない時期まで「切腹」「打ち首」「獄門」などという刑罰が公式のものだった。
その辺りをどう扱うか。
慎重に扱わねばならないけれど、「できるだけ伏せて」という方法ではダメです。
●「過激派」吉田松陰を「花燃ゆ」はどう描いていくか?
教育現場だけでなく、テレビで放映される歴史を扱ったドラマもほとんどがダークサイドを隠したまま作られています。
そこが「テレビ」ないし「テレビドラマ」というメディアの限界でもあるわけですが、さて大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作などはどう描かれているか。
時代が激動期だったことはもちろんありますが、現在の視点からすれば、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作らはすべて極めて過激な思想と行動力を持った人たちでした。
特に吉田松陰はほとんど「無茶苦茶じゃないか!」と言いたくなるほど過激な思想を持っていた。
でも割と一般的なイメージは「松下村塾で多くの人財を育てた立派な教育者」です。
そんなイメージが強い一つの要因は、吉田松陰の最も有名な肖像画。
とても分別くさい人間のように見えるのですね。
あれはあれで「厳格さが漂っていい」とも言えますが、若くして死んだ割には若々しいイメージが薄い。
「画像」「図像」のイメージの怖さでもあります。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ傑作詩「触媒 ザハロワとスミルノワ」篇。
触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを
触媒としてのスヴェトラーナ・ザハロワ
触媒としてのオリガ・スミルノワ
二人が人間世界に届けるものは異なるけれど、
わたしたちはしっかりと受け取るのだ
この世ならぬものを
●末尾ルコ「教育論」~歴史の教え方とダークサイド
歴史の授業に関してですが、「歴史というものはすべて仮説である」という点については生徒たちにまず理解させておくべきだと考えます。
その際、「あったかどうか分からないことを何でならわなきゃならないんだ!?」とは言わせない。
「明確でないからこそ、学び続けねばならないのだ」と、教師は自信を持って言うべきです。
それと歴史には実は濃厚に人間のダークサイドが含まれていますね。
いくらでもダークサイドは出てくる。
そこをどう扱うか。
分かりやすい例を挙げれば、さほど遠い昔でない時期まで「切腹」「打ち首」「獄門」などという刑罰が公式のものだった。
その辺りをどう扱うか。
慎重に扱わねばならないけれど、「できるだけ伏せて」という方法ではダメです。
●「過激派」吉田松陰を「花燃ゆ」はどう描いていくか?
教育現場だけでなく、テレビで放映される歴史を扱ったドラマもほとんどがダークサイドを隠したまま作られています。
そこが「テレビ」ないし「テレビドラマ」というメディアの限界でもあるわけですが、さて大河ドラマ「花燃ゆ」では吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作などはどう描かれているか。
時代が激動期だったことはもちろんありますが、現在の視点からすれば、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作らはすべて極めて過激な思想と行動力を持った人たちでした。
特に吉田松陰はほとんど「無茶苦茶じゃないか!」と言いたくなるほど過激な思想を持っていた。
でも割と一般的なイメージは「松下村塾で多くの人財を育てた立派な教育者」です。
そんなイメージが強い一つの要因は、吉田松陰の最も有名な肖像画。
とても分別くさい人間のように見えるのですね。
あれはあれで「厳格さが漂っていい」とも言えますが、若くして死んだ割には若々しいイメージが薄い。
「画像」「図像」のイメージの怖さでもあります。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
〈「言葉」による革命〉・・・「るろうに剣心 伝説の最期編」比古清十郎=福山雅治は強そうだったか?2014年12月25日 [「言葉」による革命]
●「るろうに剣心 伝説の最期編」で剣心の師匠 比古清十郎を福山雅治が演じていましたね。
と、ここまで書いて何と初めて気づいたんですあ、比古清十郎の「清十郎」は、吉岡清十郎の「清十郎」と同じじゃないですか!
ははあ。
今まで気付かなかったとはねえ、おれときたら。ふふふ。
と言いますのは、大人になってから(笑)滅多に漫画に接さなくなったわたしがまとめて読んだのが「北斗の券」「バガボンド」「るろうに剣心」の3作品。
これらの中でとりわけ気に入った登場人物が「バガボンド」の吉岡清十郎、伊藤一刀斎、そして「るろうに剣心」の比古清十郎なのです。
まあそれだけの話なんですけど。
映画「るろうに剣心 伝説の最期編」で福山雅治によって演じられた比古清十郎は、とてもじゃないが「いい!」とは言い難かった。
わたしは福山雅治を「俳優」とは思ったことなかったのですが、是枝裕和監督の「そして父になる」ではきっちりと「俳優」になっていたので驚いた。
いい監督に演出されるとこうまで違うものかと。
「そして父になる」は作品も見事な出来栄えでした。
ところが「るろうに剣心 伝説の最期編」の比古清十郎は基本的に「ガリレオ」と同じ。
そして比古清十郎と言えば「異常に強い人」のはず。
なにせ剣心よりもずっと強いわけですから。
しかし福山雅治演じるところの比古清十郎は強そうに見えない。
この辺りは演出の問題もあります。
比古清十郎の強さは正しく「漫画的」であって、人間の俳優が(笑)そのまま演じても表現は難しい。
となれば、「演出で強そうに見せる」ようにすべきですが、それがないんですね、大友監督には。
と、ここまで書いて何と初めて気づいたんですあ、比古清十郎の「清十郎」は、吉岡清十郎の「清十郎」と同じじゃないですか!
ははあ。
今まで気付かなかったとはねえ、おれときたら。ふふふ。
と言いますのは、大人になってから(笑)滅多に漫画に接さなくなったわたしがまとめて読んだのが「北斗の券」「バガボンド」「るろうに剣心」の3作品。
これらの中でとりわけ気に入った登場人物が「バガボンド」の吉岡清十郎、伊藤一刀斎、そして「るろうに剣心」の比古清十郎なのです。
まあそれだけの話なんですけど。
映画「るろうに剣心 伝説の最期編」で福山雅治によって演じられた比古清十郎は、とてもじゃないが「いい!」とは言い難かった。
わたしは福山雅治を「俳優」とは思ったことなかったのですが、是枝裕和監督の「そして父になる」ではきっちりと「俳優」になっていたので驚いた。
いい監督に演出されるとこうまで違うものかと。
「そして父になる」は作品も見事な出来栄えでした。
ところが「るろうに剣心 伝説の最期編」の比古清十郎は基本的に「ガリレオ」と同じ。
そして比古清十郎と言えば「異常に強い人」のはず。
なにせ剣心よりもずっと強いわけですから。
しかし福山雅治演じるところの比古清十郎は強そうに見えない。
この辺りは演出の問題もあります。
比古清十郎の強さは正しく「漫画的」であって、人間の俳優が(笑)そのまま演じても表現は難しい。
となれば、「演出で強そうに見せる」ようにすべきですが、それがないんですね、大友監督には。
「言葉」による革命・「美」による革命 「末尾ルコ 革命広場」/「末尾ルコ 会話芸術」 高知(土佐)薊野より全国、世界へ あなたが「よき鑑賞者(享受者)」になれば、それだけで社会は何歩も動き始めるのです!2014年12月24日 [「言葉」による革命]
●超絶予算を使った映画よりも低予算、あるいはそこそこの予算で面白い映画は今でもいくらでもあります。
そのような作品を楽しみ、鑑賞する人が増えていけば映画はますますおもしろくなるし、増えなければ映画は瀕死の状態になる。
「よき鑑賞者(享受者)」が増えねば、そのジャンルの継続・発展はありえません。
そして今すぐに「あなたがよき鑑賞者(享受者)になる」ことでが、社会は今すぐに「よき方向へ動き出す」のです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!
高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。
高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。
※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!
高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。
高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。
※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。
そのような作品を楽しみ、鑑賞する人が増えていけば映画はますますおもしろくなるし、増えなければ映画は瀕死の状態になる。
「よき鑑賞者(享受者)」が増えねば、そのジャンルの継続・発展はありえません。
そして今すぐに「あなたがよき鑑賞者(享受者)になる」ことでが、社会は今すぐに「よき方向へ動き出す」のです。
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●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!
高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。
高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。
※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●子供たちの国語力を上げる!
あなたの言語能力を上げる!
高知を「日本史上初の自由・知性・美の革命運動の地」とする。
高知を「世界最高の日本語を使う場所」とする。
↓
高知で暮らせば「世界最高の日本語」を身に付けることができるという認識を日本国内、そして海外に広める。
高知は「日本史の流れを変えた革命の地」として歴史に残り、住民は誇りを持って暮らし、他地域から訪れる人、移住する人も絶えることがない。
※そんなこと不可能だとお思いですか?私は可能だと考えています。そのためにあなたのご参加が必要です。
〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ傑作詩「ツバスと高知とエーマックス」篇。2014年12月24日 [「言葉」による革命]
●末尾ルコ傑作詩「ツバスと高知とエーマックス」篇。
ツバス?
ツバスさ。
それは魚?
魚さ。
どこで?
高知市のエーマックスで。
ツバスが獲れたのは?
忘れた。
ツバスって、ひょっとして?
ひょっとして?
大きくなると?
大きくなると?
ブリになる?
そう、ブリになる。
(ここで激しいファンクと化する!)
ああ、ブリになるうう ぶりになる
ブブブブブブブブ ブリになるうううう
ああ、ブリになるうう ぶりになる
ブブブブブブブブ ブリになるうううう
ツバス?
ツバスさ。
それは魚?
魚さ。
どこで?
高知市のエーマックスで。
ツバスが獲れたのは?
忘れた。
ツバスって、ひょっとして?
ひょっとして?
大きくなると?
大きくなると?
ブリになる?
そう、ブリになる。
(ここで激しいファンクと化する!)
ああ、ブリになるうう ぶりになる
ブブブブブブブブ ブリになるうううう
ああ、ブリになるうう ぶりになる
ブブブブブブブブ ブリになるうううう
末尾ルコ傑作詩「スヴェトラーナ・ザハロワの本物の神話」篇。末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする講座」~市川雷蔵「大菩薩峠」篇。末尾ルコ「健康長寿120歳への挑戦!」~「心構え」。 [吉高由里子]
「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉
★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ傑作詩「スヴェトラーナ・ザハロワの本物の神話」篇。
ザハロワは
スヴェトラーナの
ザハロワは
いるのです
最早
早くも
神話の世界に
●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする講座」~市川雷蔵「大菩薩峠」篇。
「大菩薩峠」。
はい。ご存知でしょうか?
「大菩薩峠」。原作は中里介山。
堕落的な剣豪机龍之介を主人公とした歴史的にも名高い小説ですね。
映画化も度々されており、「机龍之介」は大河内傳次郎や仲代達矢らによっても演じられていますが、わたしが大好きなのはもちろん市川雷蔵によるもの。
キャラクターや要望が「眠狂四郎」とかぶってはいるけれど、そこは雷蔵、しっかりと微妙なニュアンスの違いを付けている。
ニヒルにして、しかし磊落な要素のある「狂四郎」に対して「龍之介」はひたすら陰鬱に生きる。
これだけ陰鬱な主人公なのにぐいぐいと観客を引っ張り魅了する市川雷蔵とは何なのか、という話です。
「大菩薩峠」はNHK BSや日本映画専門チャンネルなどでもちょいちょい放送してますから、未見の方はぜひご覧ください。
一度観てその魅力を感じることができれば、何度でも観たくなるし、雷蔵出演の他の映画も観たくなる。
逆に言えば、雷蔵の「大菩薩峠」を観て、「なんだつまらないじゃないか」と感じる方ば、自らの鑑賞眼、美的感覚などについて大いにクエッションマークを付けるべきだとさえ言いたい。
はい。
●末尾ルコ「健康長寿120歳への挑戦!」~「心構え」。
防ごう、家庭内事故!
健康長寿。
人間、思わぬ年齢で死を迎えることもあれば、望外の長寿へと至ることもあります。
どんなに注意深く生きていても意外な時点で死ぬことはあり得る。
その覚悟は誰しも持っていなければならない。
だからといって、それは120歳超えの健康長寿を志すことと矛盾はしないのです。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!
現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。
●末尾ルコ傑作詩「スヴェトラーナ・ザハロワの本物の神話」篇。
ザハロワは
スヴェトラーナの
ザハロワは
いるのです
最早
早くも
神話の世界に
●末尾ルコ「映画であなたの人生をより強靭に美しくする講座」~市川雷蔵「大菩薩峠」篇。
「大菩薩峠」。
はい。ご存知でしょうか?
「大菩薩峠」。原作は中里介山。
堕落的な剣豪机龍之介を主人公とした歴史的にも名高い小説ですね。
映画化も度々されており、「机龍之介」は大河内傳次郎や仲代達矢らによっても演じられていますが、わたしが大好きなのはもちろん市川雷蔵によるもの。
キャラクターや要望が「眠狂四郎」とかぶってはいるけれど、そこは雷蔵、しっかりと微妙なニュアンスの違いを付けている。
ニヒルにして、しかし磊落な要素のある「狂四郎」に対して「龍之介」はひたすら陰鬱に生きる。
これだけ陰鬱な主人公なのにぐいぐいと観客を引っ張り魅了する市川雷蔵とは何なのか、という話です。
「大菩薩峠」はNHK BSや日本映画専門チャンネルなどでもちょいちょい放送してますから、未見の方はぜひご覧ください。
一度観てその魅力を感じることができれば、何度でも観たくなるし、雷蔵出演の他の映画も観たくなる。
逆に言えば、雷蔵の「大菩薩峠」を観て、「なんだつまらないじゃないか」と感じる方ば、自らの鑑賞眼、美的感覚などについて大いにクエッションマークを付けるべきだとさえ言いたい。
はい。
●末尾ルコ「健康長寿120歳への挑戦!」~「心構え」。
防ごう、家庭内事故!
健康長寿。
人間、思わぬ年齢で死を迎えることもあれば、望外の長寿へと至ることもあります。
どんなに注意深く生きていても意外な時点で死ぬことはあり得る。
その覚悟は誰しも持っていなければならない。
だからといって、それは120歳超えの健康長寿を志すことと矛盾はしないのです。
マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。
〈「言葉」による革命〉・・・映画「悪の法則」で、あなたもエロス&タナトス+「悪」を堪能する!2014年12月24日 [美と、生きるための教育]
●リドリー・スコット監督の映画「悪の法則」についてです。
大筋は、有能な弁護士が美しきフィアンセのために「大儲け」しようとして悪の世界の泥沼へ入り込む。
ディテールはやや複雑で、一度観ただけでは話がよく分からないという人もいるでしょう。
しかし「悪の法則」の魅力は「ストーリーがおもしろいか否か」ではない。
りドりー・スコットが造形する映像の持つ濃厚な魔力に酔い、名だたる現代最高のスター俳優たちの持つ濃厚なエロスとタナトスに酔う。
わたしは「悪の法則」をそんな風に愉しみました。
原題は「TheCounselor」。
邦題「悪の法則」はいかにも抽象的ですが、観終わったらよく合ったタイトルだという気がした。
エロスとタナトス、そして「悪」の薫りが充満しているんですね、映画そのものの中に。
ストーリー上のみでいかに凄まじい悪を描こうとも、映像から、そして映画そのものから「悪」が香って来ないことには映画として成功しているとは言えない。
そこに映画監督の力量がある。
そして心地よくハードボイルドな雰囲気に浸れる映画としても「悪の法則」は貴重な作品です。
かつてのハリウッドはハードボイルド的映画がよく作られていたものですが、近年はアメリカにおいても深刻な観客の幼児化などの影響により、CG多様の大作中心に観客が押し掛けるようになった。(言うまでもなく、「幼児化」は日本の方が遥かに深刻ですが)
その代わり、米国のテレビシリーズで刑事物、探偵物、サスペンス風なものが多くありますが、全然物足りないんです。
圧倒的なクオリティのハードボイルド映画としての「悪の法則」を、ぜひ!
大筋は、有能な弁護士が美しきフィアンセのために「大儲け」しようとして悪の世界の泥沼へ入り込む。
ディテールはやや複雑で、一度観ただけでは話がよく分からないという人もいるでしょう。
しかし「悪の法則」の魅力は「ストーリーがおもしろいか否か」ではない。
りドりー・スコットが造形する映像の持つ濃厚な魔力に酔い、名だたる現代最高のスター俳優たちの持つ濃厚なエロスとタナトスに酔う。
わたしは「悪の法則」をそんな風に愉しみました。
原題は「TheCounselor」。
邦題「悪の法則」はいかにも抽象的ですが、観終わったらよく合ったタイトルだという気がした。
エロスとタナトス、そして「悪」の薫りが充満しているんですね、映画そのものの中に。
ストーリー上のみでいかに凄まじい悪を描こうとも、映像から、そして映画そのものから「悪」が香って来ないことには映画として成功しているとは言えない。
そこに映画監督の力量がある。
そして心地よくハードボイルドな雰囲気に浸れる映画としても「悪の法則」は貴重な作品です。
かつてのハリウッドはハードボイルド的映画がよく作られていたものですが、近年はアメリカにおいても深刻な観客の幼児化などの影響により、CG多様の大作中心に観客が押し掛けるようになった。(言うまでもなく、「幼児化」は日本の方が遥かに深刻ですが)
その代わり、米国のテレビシリーズで刑事物、探偵物、サスペンス風なものが多くありますが、全然物足りないんです。
圧倒的なクオリティのハードボイルド映画としての「悪の法則」を、ぜひ!