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●〈「言葉」による革命〉・・・始めよう、「小さな戦い」~「言葉の愚劣・醜悪化」を放置していてはならない!2018年2月15日 [「言葉」による革命]

※2018年2月20日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

●〈「言葉」による革命〉・・・始めよう、「小さな戦い」~「言葉の愚劣・醜悪化」を放置していてはならない!

ネットはもちろん、テレビもまたそう。
まったく脳味噌腐りそうな愚劣にして醜悪な「言葉」がどんどん膨張していますね。
放置していてはいけません。
「言葉の力」は絶大です。
とりわけ人間の「魂・心・精神」に深い深い影響を及ぼします。
「言葉の愚劣・醜悪化」はすぐさま「人間の愚劣・醜悪化」に繋がり、もちろん「社会の愚劣・醜悪化」、そして「国家の愚劣・醜悪化」に繋がります。
繰り返します。
放置していてはいけません。
「小さな戦い」でいいから、今すぐ始めましょう。
「最も小さな戦い」は、まず「自らの言葉・会話」の見直し、向上を図ることです。

(続きは、有料メルマガでお願いします)

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2017年2月15日 [愛の景色]

だからわたしは、
「通り道の
梅の花が
咲き始めています」と
あなたに

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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「ウディ・アレン、エマ・ストーン『教授のおかしな妄想殺人』のおもしろさをフランス語で説明する難しさ」その3。2018年2月15日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「ウディ・アレン、エマ・ストーン『教授のおかしな妄想殺人』のおもしろさをフランス語で説明する難しさ」その3。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ウッディ・アレン作品のおもしろさは「台詞」だけではない。
もちろん画面作り、カメラワークなど、映画の裏表を知り切っているウッディ・アレンだから、愉しめる要素は無限にあるのだけれど、わたしがぜひ強調したいのが、

「楽しく間抜けな瞬間の創造」です。

これが随所にあるんだな。

「楽しく間抜けな瞬間の創造」

そしてこれを特に外国語で説明するのが難しいんだな。
わたしずっと、(フランス語で、あるいは英語でどう言えばいいかな)と検討し続けています。

でもですね、「外国語で」というだけではなく、日本語でも当然、

「いい映画をより的確に魅力的に伝える」

というのは大切なんですね。
ただ「おもしろかった」とか、ましてや「ヤバい」とか言うだけの表現は止めて、あなたも誰かに映画の話をする時、あるいはブログやSNSでアップする時、

「より的確に魅力的に」

ということを念頭に、いろいろと工夫してみてください。
知性、感性も磨かれますよ。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

●山田姉妹へのメッセージ「ジャームッシュ」 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ゲレンデからの中継・・・既に数日前から応援体制バッチリです!テレビの前で、できる限りの気持ちを送り続けます。寒いこと間違いないので、お風邪など召されませんようにね!ところで本日のお写真、いつもと少しタッチが違い、ジム・ジャームッシュの映画とか、そんな美が感じられます。そして本物の美を湛えている方には、黒がよくお似合いになるのです。RUKO

・・・・・・

3月7日、山田姉妹ニューアルバム(セカンド)
『ふたつでひとつ〜心を繋ぐ、歌を継ぐ』発売です!!!

https://ameblo.jp/karei1224/
https://twitter.com/karei1224

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●高知の中学校、校内暴力が荒れ狂ったエキサイティングなあの時代を、わたしが生き抜いた方法あるいは人間性とは? [「言葉」による革命]

●高知の中学校、校内暴力が荒れ狂ったエキサイティングなあの時代を、わたしが生き抜いた方法あるいは人間性とは?

末尾ルコ「昭和史と中学時代の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

高知市立某中学を卒業したわたしは、高知県下で「公立No1の学力レベル」と自他ともに認める高校へ進学した。
高知県下で「公立No1の学力レベル」と書けば、高知の人間なら誰でもすぐにどの高校かわかるはずで、特に校名を隠す必要もないのだが、特に大きな理由もなく、「今のところは校名を出さない」。
わたしの通っていた中学は、特にわたしが中二あたりから校内暴力が荒れ狂い、恐らく変化でも屈指の暴力中学校だっただろう。
特にわたしが中三となった二学期あたりからは、校内の最強非行グループがやりたい放題の毎日で、彼らが気に入らないサイトたちに対するリンチ攻撃が頻発し、時には教員も被害に遭い、アッと言う間に「学校崩壊」まで至った。
この「学校崩壊」は単に「授業が成立しない」とかいうレベルではなく、最強非行グループによる物理的破壊が当然のように毎日行われていたという意味だ。
窓ガラスは割られ、天井には大小の穴が無数に開き、ドアは壊され、ある時はトイレで焚火が行われていたし、急性アル中の症状で暴れる生徒もいた。
もちろん学校側も(どうにかしなければ)と、これまた連日のように講堂で生徒集会が催されたが、何の効果もなかった。
わたしは小学校から中学校までは基本的に「優等生」で通していたので、当然ながら最強非行グループの一員ではなかったが、彼らとは常に良好な関係を築いていた。
これは今考えてみれば、実に絶妙のバランス感覚だったと自画自賛したくなるところだ。
と言うのも、「優等生」的男子生徒はほとんどが最強非行グループのリンチ攻撃に遭っていたのである。
なぜわたしがその連中の攻撃を受けず、しかも良好な関係であり続けることができたかできるだけ客観的に振り返ってみると、

一つは、わたしがプロレスのトレーニングで鍛錬していことを誰もが知っていて、(あいつは、かなり強い)と目されていたからだろう。

実際、最強非行グループのトップの暴力ポテンシャルは圧倒的で、その男と戦ってもとても敵わなかったはずだが、それ以外の誰も、わたしが(絶対負けるだろう)と感じる生徒はいなかった。

二つ目は、小学校の頃から最強非行グループのトップと、友人ではなかったが、比較的仲がよかったことも大きかったと思う。
まず間違いなくわたしは、トップからの暗黙の了解で、(あいつには手を出すな)という生徒だったのだろうと思う。

そして三つめは、

わたしが「優等生」の一人であるに関わらず、「嫌味のないタイプ」だったことではないかと思っている。

「嫌味の有無」は人間関係を築いていく上で、とても大切なものなのだ。
そして、小学校あたりから、あるいはもっと前から、「嫌味だらけの子ども」というのは多く存在し、それはもちろん間違いなく、「家庭教育」に問題があるのである。


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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ詩D「猫、パッション」篇。2018年2月15日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ詩D「猫、パッション」篇。

「猫、パッション」

呆れた後は
さてパッションなジュースでも飲み
反省しても
後悔しない
と、ね

・・・・・・

まったくパッションな
ぼくの素敵なネコだねえ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)