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●末尾ルコ 「女狙撃兵マリュートカ」とは? [「言葉」による革命]

「女狙撃兵マリュートカ」という映画があって、監督はグリゴーリ・チュフライ。
ボリス・ラヴレニョーフが原作。
イゾルダ・イズヴィツカヤが主演を務めていて、ロシア革命後の内乱時代、赤軍と白軍の抗争を題材としています。

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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年10月1日 [愛の景色]

手紙を書く
それはぼくにとっては
一つの愛の行為だ

まだそこまではいかなくとも
一語一度に
一字一字に
魂をこめる
愛の行為

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌356日目~歯科医で「菅田将暉」「ヒゲダン」と発声したらどうなった?~「精神の飛翔」を日々の生活の中に。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、芸術の話題」

9月23日(水)手術後547日目 退院後356日目

そう言えば9月15日、母の歯科受診の日。
もう主治医の方、スタッフさんたちとも馴染みになっていて、診療が終わって母を治療台から降りてもらい、さあ帰ろうかという前に「お母さんの最近の様子はどうですか」などと尋ねてくださるものだから、「うちでは菅田将暉とかヒゲダン観て、きゃあきゃあ言ってますよ」と言うと、別の方向を向いて黙々と仕事していた若い女性スタッフさん2人が(ハッ!)としたようにこちらを向いたんです。
この瞬間の雰囲気、伝わりますでしょうか。
つまり、人間にとって、人間の人生にとって、最も大切なのは「身の回りの出来事」ですよね。
「身の回りの出来事」とは、家族のこと、友人・知人のこと、仕事のこと、学校のこと、近所のこと、そして自分自身のこと・・・これらのことを疎かにしていては当然な~充実した人生を全うすることはできないでしょう。
いや、「絶対できない」とはもちろん言いきれない。
敢えて「身の回りの出来事」に重きを置かない人生も可能かもしれない。
かつてユイスマンスが小説で描いた人物のように。
しかし通常はですね、「身の回りの出来事」を疎かにする人間は地に足のつかない愚かな人間と見做されることが多いですね。
それはもちろん当然のこと、人間はまず地に足つけて生きるべきですよね。
ただ同時に、「身の回りの出来事だけ」では多くの人が苦しくなる、人生に生活に行き詰まるものです。
人間精神のバランスとして、「地に足つけた歩み」と「飛翔する時間」が必要なのだというのはわたしの基本的考えの一つです。

「飛翔する時間」と聞いて、大枚費やしての娯楽とか旅行とか買い物とか、そういうのを思い浮かべてはいけません。
いや、そういうのもいいですよ。
「よき旅行」や「よき買い物」であれば、きっと精神を飛翔させることができるでしょう。
しかしもっと身近で、もっと高くそして深く濃厚に精神を飛翔させることができるのが芸術鑑賞・エンターテインメント鑑賞、とりわけわたしが「3種の神器」と呼んでいる、「読書、映画鑑賞、音楽鑑賞」なのです。
なにせこれら3つのジャンルの鑑賞に必要な経済的負担は極めて軽い。
もちろんより深めていこうとするならそれなりの経済的負担が増してきますけれど、最小限の経済的負担でも極上の(←この表現、安易に使う人がいるけれど、使い方をよく吟味したいですね)鑑賞体験が可能です。
先に書いた歯科医でわたしが「菅田将暉、ヒゲダン」の名を出しただけでパッと雰囲気が変わったのも、「芸術(エンターテインメント)』の持つ力なのですね。
「精神の飛翔」です。

もちろん他の芸術・エンターテインメント分野も素晴らしい。
絵画、写真、演劇、建築、彫刻・・・「日常からの精神の飛翔」、この言葉を記憶し、より多くの方々にぜひ実践していただきたいのです。

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