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●末尾ルコ 薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』のエロス 1 [「言葉」による革命]

薬師丸ひろ子は今の日本人の体型を基準にすれば、「プロポーションがいい」とは無論言えませんが、「セーラー服と機関銃」前後の時期は、「そこがよかった」。
薬師丸ひろ子が夏目雅子のようなプロポーションだったら、当時あれだけのカリスマ性は発揮できなかったでしょう。
もちろん夏目雅子が薬師丸ひろ子のようなプロポーションだったなら、「夏目雅子」は存在しなかったでしょうけれど。


タグ:アート 映画
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極限の愛、日常の愛、その言葉 2020年10月26日 [愛の景色]

こんな心の波乱だからこそ
あなたに頼ることなく

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●我が母、心臓バイパス手術後、大転子部不全骨折後闘病記&退院後日誌378日目~素晴らしい映画『こどもしょくどう』でとても綺麗な48歳常盤貴子がかつて語った「映画への渇望」。 [「言葉」による革命]

末尾ルコ「母の話、健康医療・介護福祉の話題、映画と芸術の話題」

10月18日(日)手術後569日目 退院後379日目



映画『こどもしょくどう』について続けますとですね、常盤貴子が「食堂のおかみさん」の役なんです。
大将が吉岡秀隆。
前にも書いたように二人とも実によかったのですが、常盤貴子の綺麗なことといったら、これも驚きでした。
(そりゃ常盤貴子だもの、綺麗で当然)と思う人も多いでしょうが、彼女ももう48歳です。
特に顔のラインのすっきりと綺麗なこと。
やはり常日頃の節制をしているのでしょうね。
女優とは言え、誰しもこうはいきません。

常盤貴子を「嫌い」だと断言する女性に何人か会ったことありますが、「連ドラの女王」的な頃のイメージが強いのかな。
わたしはそういうの観てなかったですが、もうずいぶん前から常盤貴子は日本では貴重な「意識的女優」「発言する女優」の一人です。
例えば最近では自分が出演している映画の舞台挨拶の時に、自分が出演しているわけではない塚本晋也監督の『野火』を「観てください」と勝手に宣伝してましたね。

ところで大岡昇平の『野火』ですが、もうずうっと前ですけれど、ある雑誌の戦後文学ランキングだったかな(↑記憶曖昧です)、三島由紀夫の『金閣寺』をおさえて1位でした。
文学者や識者らのアンケートによるランキングだったと思いますが。
『野火』は短い小説ながら文章と思想、そして魂において極めて高度な作品です。
未読の方はぜひ手に取ってみてください。

常盤貴子のお話に戻りますと、次のような意味の発言もしています。

「連ドラばかりやっていて気が狂いそうになったので、事務所に〈映画をやりたい。やらせてくれなければ女優を止める〉と言った」

まあだいたいこんな内容です。
何かで読んだのですが、(よくぞ言ってくれた!)と心で大拍手しましたね。
別にテレビドラマのすべてが悪いと言っているわけではありません。
しかしその多くが出演俳優たちに「固定的なキャラクター」を演じさせている。
本来俳優というものは多様な役を演じたいものなのですが、日本のテレビドラマの多くは、「俳優の世間的イメージ」通りの役ばかりを用意しています。
さらに要求される演技はほとんどが極めて大仰で説明的。
要するにテレビドラマというものは日々の生活を送っている視聴者がひととき息抜きをするために作られる・・・これが基本であって、わざわざ映画館へ足を運び、安からぬお金を払って鑑賞する映画とは本質的に違うものなのです。
その違いは例えば山田洋次監督の映画を観れば一目瞭然でしょう。
隅から隅まで神経を張り巡らせた綿密な作り。
さらに小津安二郎監督の映画などを観れば、そのほとんど「異常」なまでの完璧主義に圧倒されるはず。
小津監督はちゃぶ台の上の湯飲みなどの配置を決めるだけのためにさえ長い時間を取る。
そんな監督なのです。

いや、わたしもテレビドラマ観ますし、中には映画に準ずる高いクオリティの作品もある。
それは分かってます。
しかしそうでない作品が圧倒的に多く、そういった作品たちにも「生き抜き」としての価値はあるにしても、そればっかり出演している俳優としては内心、常盤貴子のように感じていて何の不思議もないのだと思いますね。

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